5.31.2005

バカだからできちゃう

前から気になっていたので、インターネットで調べてみた。現代の「自転車」の発祥地は、歴史上、明らかでないらしい。意外な結果である。18世紀の日本、19世紀のフランス、ドイツ、イタリア(ダヴィンチだとさ)・・・10分間インターネットをサーフィンしただけでもセオリーは数え切れないほどだった。しかも全部、自信満々の解説ばかり、笑えた。自転車に関わる物理のホームページも見た。が・・・わけわからなかった。スウジ、ヤジルシ、イッパイ、ワカラナイアルね・・・,.。oO

そうノウミソプッチンプリンなヒナミが理解できるわけがないんだが、私も自転車の発明者について、一応、勝手なイメージがある。めがね、チビ、どちらかというといじめられっ子で、多分もてなかったと思う、甘えんぼ。若干、ワキガ。一人っ子か、お姉ちゃんがいたか。断じて、ヤツはバカだったはずだと思う。バカ、尚且つ頑固だったはずだ。18世紀か19世紀だったかは分からないけど、あんな物理をコツコツ考え抜いて、さて自転車でも作ってみるか、という流れだったとは到底思えない。自転車の物理だなんて、既に実証されてるものを逆算しているだけだ。それがその創造につながったとは思えない。

2輪で走ってみたいっ!2輪でも、よくわからんけど、うーんと早くこげば、倒れないはずだっ!そんなレベルの考えだったはずだ。間違いない。インスピレーション。それが全てを動かしていたのだと信じてる。一発で乗れた人はいるのか?きっと、いないよね?ましてや、実証済みだと知りながら自転車に挑んだ我々だが、ヤツはどうだったか。史上初の試みである。笑われながらも(それとも恥ずかしくてひそかに練習したんだか)、相当諦めの悪い人だったと思う。

でも、2輪で走れたときのヤツの喜びはさぞ大きかったに違いない。

5.29.2005

下へ、まいります

暖かい天気が続くなか、虫たちが少しずつ、遠慮がちにも、現われはじめた。蛾とかコバエ、大したものではない。私は虫は得意でないが、特に気になるわけでもない。妻はモロに苦手だ。今日のお話はそこから始まる。

我輩はベランダに生息する蛍族である。妻が妊娠したころからずーっと、家の中はノー・スモーキングである。これに関して特に不満はない。外の空気とタバコの煙が混ざった味は好きだし、10階からの眺めも悪くないし、家の中の空気がきれいなのはありがたい。タバコを吸うときくらい、一人でいられるヒトトキとするのも全然やぶさかでないわけで、今宵も春風を楽しみながら夕食後の一服を楽しんでいたわけだ。が、部屋に戻ると妻の顔が真っ白。

「む、虫・・・」

ベランダの窓にコバエみたいなのが1匹張り付いていたらしい。早い話、私がタバコを吸うためにベランダを出入りしていると、ベランダの窓が大きい分、虫が侵入してくる可能性が高まる、ということで私の喫煙所は急遽、玄関の外と変更された。

妻と子供が寝静まった頃、早速玄関へ。玄関のすぐ隣にエレベータがあるのだが、珍しく我が家の10階に停止している。しばらく動いていないと中の照明が落ちるタイプだが、そのときは照明が付いていた。お隣の人が降りたばっかりだったのかもしれない。玄関近くは特に眺めと呼べるものがないため、タバコを吸いながらぼーっと、空っぽのエレベータを見ていた。

すぅっと、エレベータの中に若い女性とその人の手をつなぐ3歳くらいの男の子の姿が現われた。二人とも背筋をまっすぐに、フランス人形のようにじっと、立っている。服装はなぜかよく覚えてないが、とても上品な親子だと記憶している。ただ、女性はとても悲しそうな表情だった。

「乗りますか。」

「いいえ。」

「そうですか・・・。」

テレパシーっぽい会話。幽霊なのだから、口でしゃべるわけがないか。いや、そもそも、喋ることが出来たとしても、エレベータの窓を間に、声で会話できるわけがない。まぁいいや。とにかく悲しそうな表情だった。

「地下に行きたいのです。」

「この建物に地下はありませんよ。」

「それでも、地下に行きたいのです。」

「・・・。」

「・・・。」

「行けばいいじゃないですか。」

「ボタンが押せないのです。」

「それは、困りましたね・・・。」

そのとき、おそらく1階にいる人が上に行くボタンを押したためか、彼女等を乗せたエレベータは下がり始めた。エレベータが動きはじめてから、見えなくなるまで1~2秒しかなかったが、彼女は丁寧にお辞儀をし、子供は私に手を振り、口を閉じたまま「バイバイ」と言った。思わず手を振ってしまった。

私はタバコを近くの排水溝で消して、部屋に戻りました。
明日は妻と子供をつれて、ディズニーランドにでも行こうかと思います。

5.27.2005

何とでも呼べ

エゴ丸出しな日々で申し訳ない。

ヒナミケイスケとは確かに運転免許に書かれている名前だが、本名ではない。簡単に説明すると、父親が母と結婚し、日本国籍を取得する際に、日本語で普通に読める名前となるように改名をさせられたらしい。私の実名は「陳京佐」であり、「ケイスケ」というのは母側の祖父の「当て読み」である。正確な台湾の発音では「チュン・ジンズォ」みたいな感じらしい。子供の頃はよくこの名前で呼ばれていたが、いまとなっては他人のようで、なんか変(笑)。

おまけ。ミーがベイビーの頃、母親が付けたニックネームは、フーちゃんだった。デブだったのだ(ダイエット中です)。昔の写真を見たことがあるが、残念だが、あまり可愛くなかった。肉風船に顔、無念にも納得。何か食ってるときは異様におとなしかったらしい。ケイスケ、と発音できない海外の友人が今まで私に付けてきた呼び名は、スモーキー(たばこ吸いすぎだから)、トヨタ(・・・)、ライスケイキ(おにぎりのつもりらしい)、ファッキン・ジャップ(愛らしく)いずれもいい加減なものばかりで実に腹立たしい。けしからん。でも一番残酷だったのは、高校時代につけられた、天然パーマをテーマにワカメ。kill you凸と切に想った青春の一場面。あれ、みんな友達だったはずなんだが・・・もしや・・・。

話は戻りますが、なんで今更「実名」とかそういう堅苦しい話をするかというと、どうでもよくなかったから、というヒナミ的に前向きなカミング・アウトのつもりである。4年半前に帰国したわけだが、当時は色々と人と接する中で、こういった事情は表に出すことは何かと好ましくなかった。珍しい名前ですね、って言われても、読みにくいんですよぉ、困っちゃいますよね、程度で。タダでさえアメリカ帰りで日本語がなまっていたりするのに、なんというか、先入観を誘いたくなかった。余計なところに、自分がどうにもできないところに、注目されてしまうのが何よりも恥ずかしかったし、イヤだった。「すごいね」とか「うらやましい~」というヤツらは本気で、ダメだった。「すごい」じゃあない、「おれ」なんだよ。ばかやろう。なんてね。心の中で。でも今、思い返すと、必要以上に力んでた気がする。多分、ちょっと自分が恥ずかしかったんだと思う。

でもなんというか、最近は、なんて呼ばれるかなんてどうでもよくなってきたわけで。忙しいと、余計な悩みが自然と排除されていく。

この話は、皆様の中でも、「ふーん」程度で思っていただければ。

5.26.2005

火吐くアルマジロの独り言

キライ、というより、非常に非常に非常に恐れてる言葉がある。「疲れ」。
私、この言葉、気安く使わない、あなたに対しても。
インディアン、嘘つかない。
微妙に、古い。

下手したら自分の日本語の理解力が不足しているだけかもしれんが、今の自分の中では「ファック」級の言葉だ。眠い、とかだるい、とかの領域を越えて、色々ひっくるめて使う言葉なのだと思う。投げ遣りの矢先、一度でも使ってしまうと、中毒性が高く、自らそうだと思い込んでしまい、負のスパイラルに陥ってしまうから。「疲れた」の4文字で100%後ろ向きになれちゃう、不思議な魔力を持った言葉だ。そうなった経験がある。だから人にも言わないし、言われたくも無い。疲れた人に「疲れた?」と聞くと、なんだか助けようとしてるようで、本当は崖から突き落としているような。

疲れてる人に「疲れた?」。
鬱の患者に「がんばれよ」。
スポーツ選手に、「ムリしない方がいいよ」。
足が無いひとに「ねぇ、足、ないよ?(驚)」。

眠いなら「眠い」といい、腰が痛いなら「腰が痛い」といい、彼女にふられて悲しいなら「彼女にふられて悲しい」といい、全部ならば「眠くて腰が痛くて、おまけに彼女にふられて悲しい」という。ひっくるめちゃダメだ。余計な魔物が進入してくる。

そういう考えだから、軽い気持ちで、「ねぇ、疲れてる?」と誰かに尋ねられても、「ううん、別に?全然疲れてなんか無いよ」と声が裏返らんばかりに答え、変な汗をかいてしまう。ついつい、自分の中では「諦めてなんかねぇよ」という守りの体制になってしまう。そう見られてるのであれば、私は絶~対信じないし、おそらく私にそう尋ねた可哀相な人は「いかに私が疲れてないか」について半永久的に熱弁を食らうことになる。

バカすぎて自分に呆れる。

5.25.2005

語り継がれる

「ジェフ・バックリー」って知ってる?お父さんはこの人の歌を聞くのが好きなんだ。ジェフはね、ちっちゃい時から音楽が大好きで、学校でも一生懸命音楽を勉強して、一生懸命人の前で歌って、沢山の人を喜ばせたんだ。でも、ジェフは川で溺れて死んじゃったの。でもね、ジェフは死んじゃう前に、ちゃんとね、わざと死んじゃうことはかっこ悪いんだよ、ってみんなに言ってたよ。ジェフが死んじゃったときは沢山の人が泣いたんだって。

ケン君、一生懸命、好きなことをやるのはいいことだよ。
ケン君、川の流れは速いから、気をつけようね。
おやすみ。

5.24.2005

銀髪少年はどこへ

アホのように髪がのびてきた。普通に、頭がでっかくなったように見える。天然パーマなので、野放しにしたら大変なことになる。近いうちにサンパツしたいです。まぁ・・・こういう不アイドルなビジュアルな僕ですから、髪が長かろうと短かろうと、周囲の人間にとってはどうでも良いのだろうが、確かに。が。それなら、いったい私はどういう意地を張りたくて自分の写真を公開しつづけるのでしょう。あぁ、そうか・・・読者に対して正直でいたいんだったっけ・・・。

悪い癖がある。髪の毛が長いと無意識に手でいじってしまう。単に見っとも無いから、短めにしておきたいのである。なんだかこういう癖、心理学的な意味がありそうだけど、敢えて知りたくない。フロイト博士的にも疚しい意味がありそうで。大体予想がつくからいやだ。自意識過剰で欲求不満で妄想系で早死になる、バカ、ハゲる見たいな。ということで、私心もなく安定的且つ堅実で長寿で賢くていつまでもフサフサでいたい私は、髪の毛を触らないように今日もオールバックで会社にきてるわけで。ロンゲで真っ白に染めてた自分の大学時代が信じられなくなってきたわけで。それでその思い出に今更赤面してたりして。

mixiとやらをいじっていたら、高校時代くらいまでさかのぼってご無沙汰の友人・知り合い・先輩等々ワンサカおった。覚えてますかメールをいくつか投げて見るが、さて、返事は帰ってくるんだろうか。なんだか、自分がどれだけ変わったか、否か、昔過ぎて分からなくなってきた。・・・幼馴染と呼べる人は二人くらいしかいない。ある意味ラッキーなんだろうか。

5.23.2005

地上での生活

気付けば5月のライブも無事終わり、再び現実が私の肩をポン、と叩く。「戻って来~い。」ええ、戻りますとも。ハイハイ、少々お待ちを・・・。次の大脱走の青写真に取り掛かる準備・・・。定期的な大脱走が得意になってきた。脱走マニア。逃げて逃げて逃げまくる。そして帰ってくる。

今日、カミサンと子供が帰ってくる。義母が体調を悪くしてしまい、カミサンは看病をするためにしばらく実家に帰っていました。残された私は、久しぶりにエセ一人暮らしをしたが、その間、京都の友人の結婚式、軽井沢への出張、静岡への出張、ライブ、練習・・・あ、か、か、会社も・・・。時は目まぐるしく過ぎてしまい、結局あまり一人の時間というのは過ごしていなかった気がする。前前からたまってた単行本に少しだけ手をつけられた程度かな。テーブルの上のせんべい、ペットボトル、ぶわーっと広げられた音楽機材達、必殺「1週間分洗濯物ブッコミ」全自動式。静まった部屋の中でほっとすることもあったが、それでも、やつらが帰ってくるのはやっぱり楽しみだ。結婚は3年半経ってもまだして良かったと思ってるぞ。べらんめ。やつらが居ればいるほど、僕も、少しずつだが、良い意味での大人に成長できると勝手に思ってる。シニカルでない。守りだなんてとんでもない。だって、ヤツらだって精一杯戦ってるんだから。

何がそう時間の流れを感じさせるかって、一つは子供の成長。これから育児日記をつけるわけではないが、この1週間ちょっと、毎晩電話でカミサンが声を聞かせてくれたのだが、言葉の覚えがとにかく、早くなってきた(喋り始めたのがずいぶん遅かった分ね、きっと)。バイバーイ。ヤッホー。オッケー。おかえりー。ハーイ。ママ-。パパ-(うぉー)。マ・パー(?)。確実な進歩だ。すごいすごい。えらいえらい。もはやこれ以上、親バカ丸出しはできない。方や、パパは、君とは違って少しだけの進歩を見出すのに、最近ずいぶん苦労するのだよ。大人気ないが、君が少しうらやましい。次は「お父さん」と呼んでみ。

以前一緒に音楽活動をやっていたYが初めてライブを見に来てくれた。うん、ずいぶん進んだね、と。でも、次のハードルはまた、凄く高くなるよね、きっと。うん、そうだね。また気を引き締めてやらなければ。なければなければ。

5.20.2005

昭和ステイルメイト

出張で沼津に行ってきました。たまたまなんだけど、以前から気になっていた街(過去記事参照)だったので、この機会があって嬉しかったです。仕事でなければ、本当は1週間くらいゆっくりしてみたかったが。関係ないんでしょうが、静岡と呼ばれるだけあって、町並みの静けさが一番印象的でした。オヤジギャグではない。静けさ・・・じゃなくて。うーん。三嶋駅で新幹線下車、異様に感じたのが。雑音がない。無数の足音、おばちゃん達の会話、車、犬、風、食器、全てが混ざっていながらも一つ一つ意味のある音として耳に届いた。バックに澄んだ静寂があったためだと思える。最近地方に行くことが多いためか、東京にどれだけ、「その他の音」が充満しているかを実感している。依然として東京を愛しちゃってることに変わりないんだが。演歌になりそう。

話は沼津に戻ります。総括して言うのも失礼だけど、温厚な静岡県民とは対照的に、東京の様々な大企業の手足となる製造企業、物流企業の看板や建物がとにかくデカく、イヤでも目に入る。住宅街と思いきや、デーンと巨大なプレハブの工場があったりね。なんか、沢山の眠る巨人が、デーン、デーン、デーンと、所々遭遇する。少なくとも製造業においては中国を含むアジア諸国に機能を移転して行く大企業が年々増えていくなか、こういった街は今後どうなって行くのでしょう、と、こういう天気のいい日には偉大すぎるような、どうしようもないような、少なくともちっちゃい僕にはどうにもできそうにないような、ことを考えてみる。なんだか、今日のプレゼンにはあまり力が入らなかったよ。だって、あなたがあまりにも温厚すぎるんだもの。それを少し分けてもらって、東京に帰ってきましたさ。

以下、社に帰ってから調査。このままで大丈夫なんだろうか。ごめん、写真は三嶋駅でした。



静岡県沼津市
平成15年5月1日現在
人口211,339人、83,619世帯、ということで平均世帯2.5人か

<沼津市産業戦略ビジョン・概要より抜粋>
沼津市は、静岡県東部地域の中核都市として様々な産業をはぐくみながら発展してきました。グローバル化、高度情報化など、社会・経済環境の大きな転換期にあって、今後とも沼津市が発展していくためには、より戦略的な視点で産業の活性化を図っていく必要があります。・・・これからの産業振興において「人材」の重要性があらためて認識されたことから、「人は財産」という考え方により、「人財が集まり、育つ”ぬまづ”」としました。<以下省略>

5.19.2005

きちんと手入れをする

「物」の手入れが苦手です。ギター周り、自分の喉とか。ついつい忘れ続ける内、最低限のケアにも至らないのは確かに問題。先日、サビてきたギターの弦を久しぶりに張り替えました。このバンドを結成してから一度も交換したことがなかったことから、最低1年は同じ弦で演奏していたことになります。もしかして計2年くらい?記憶がない。何の自慢にもならん。音も徐々に劣化するモンだから、耳がついつい、潰れた、つまり死んだ音に慣れてしまっていた。

ベース嬢は「弦が切れなかったのがおかしいくらいよ。ありえな~い。」と私を叱ったとです。ギター氏も持ち前の皮肉パワー全開で援護し、「は?なに考えてんの、このヘボヘボ歌歌いめ、バカアホウンコ。ぺっ」とステレオサラウンドの説教を食らう。暴言がやがて露骨な暴力へと展開し、ベース嬢の見事なボディーが決まったところ右サイドあばら骨2本骨折&内臓出血、ギター氏のスペシウム光線により左肩は第2度熱傷。最後に、風邪をこじらせたため休暇中の闇の帝王ことドラム師が「見せしめに右手の親指と人差し指以外を切断しておしまいなさい」と一本の電話。細いくせになぜか強いギター氏の腕に取り押さえられながら、じわりじわりと使い古したベース用のおにぎり型ピックで手術が行われた。先に帰った二人に取り残され、私はスタジオの床から自分の血液と訳のわからない体液を左手と残されたパンツで拭きおとしてから、午前4時頃に帰宅。

フルマラソンの距離を徒歩で。

昨日の練習で少し上手くなったかも。

弦を取り替えて、実際音もずいぶんよくなりましたです、確かに。ほー、このギター、こんな良い音するのね、と呆れた二人が見下ろす中、半分人事のように関心してしまった。ハイ。反省しております。自分のギターの面倒くらいしっかりみてやれってね。次のライブでは少なくとも、ギターの音質だけは良くなっているはずですよ。それ以外も願わくば。

5.18.2005

色付なサイレント映画

二人のスーツは同年くらいに見えた。一人はグレーのピンストライプのスーツ、もう一人はチャイロ。赤坂のとある一本道は幅が狭く、朝はいつも混雑する。チャイロが人ごみの流れに沿ってその道を歩く中、数メートル後ろからグレーが突進してきた。無言で、肩で人ごみをかき分けながら歩いていて、チャイロとぶつかった。たまたま当たり所が悪かったためか、チャイロは豪快にコケてしまった。グレーはそのままその場を去ろうとしていた。

チャイロは何かに取り付かれたかのように、すばやく立ち上がり、自分も人ごみをかき分けながらグレーを追う。グレーの肩をつかんで、ギュルン、と強引に振り向かせる。怒鳴り散らすのかと思いきや、素っ気なく丁寧に、小さなビンタを繰り出した。グレーは呆然。それからはチャイロの腕が嵐のように動きはじめ、怒りの手話を目の当たりにした周囲の人々で、彼の半径数十センチ内に近づける者はいなかった。多分、このようなことを表現していたのだと思う:

「あんた」

「口があんだろ。」

「口、口。」

「オレにはねぇんだよ。あんたが」

「後ろから」

「何も言ってくれなきゃ」

「何も分かんねんだ。」

腕で激怒していた。チャイロの腕がハウステンボスの風車のハネのようにぐわんぐわん動いてるのを見てると、グレーより体が相当大きく見えました。チャイロはすっかり興奮状態で、目も少し、潤んでるように見えました。私はその間ヘッドホンをずっとつけて野次馬していたのですが、私もそろそろ先を進もうと思った頃、グレーは少しだけ、口を開いた。

けど、きっと何も出てこなかったのだと思う。

5.16.2005

行き来する男達

男の身体を「美しい」と思ったことがない。大体でいうと、ボコボコ、もしくはプニプニのどちらかに当てはまるのではないかと思う。ボコボコが美しい、プニプニが可愛い、という人もいるかもしれないが、果たして女性のフォルムと匹敵するかどうかは、まぁ、私の中では匹敵しないことになっている。少なくとも、私が帰属するプニプニ類を美の対象とする人は少数派だと思われる。女性の方が一般的に美しいというのは、モデルさん見たいな、棒のようなスタイルの女性に限った話でない。むしろ、私個人としてはポッチャリさんや、コンパクトさんを割と熱烈に支持している。

ギターやバイオリン等の弦楽器の形も、女性のカーブを描いたものとされている話はいまや有名であろうが、同じように男性の形を再現したモノって残念ながらあまり思いつかない。うーん・・・三角形ね・・・こんなん?いくらなんでもムリしすぎだろう。。。



いや、やっぱりこんなもんだろう。アメリカのワシントン記念塔君です。



失礼しました。でも、せっかくなので(何が?)変態の領域にもう一歩。皆様。男性が「イク」姿というのが、あからさまに醜いと思ってるのは私だけであろうか。無様?考えてみ?だって、頑張って、頑張って、頑張りまくった挙句、「あへっ」ですよ?拍子抜け、というか。見っとも無いとういか。頑張って、頑張って、最後に「ガオー」とか何かクライマックスらしいクライマックスがあればいいのだが、どうやら神は男達に偉大なオチを授けたようだ。いや、ここを突っ込んでいったいなんなのかは分かりませんが・・・。世の不公平とでも言っておきましょうか。

またいつこのテンションになるか分からないので・・・もうちと引っ張りましょう。「イク」。どこに行くのでしょう。英語では「クル」です・・・男達はどこから来て、これからどこに行くのでしょうか。

小さい音楽

京都、日帰り、友人Sの結婚式へ。いよいよ、初めて人のために書いてみた曲、「スロウダンス」のお披露目だった。今までにない緊張が私の胃袋をえぐっていた。えぐって、えぐりまくって、ステージに上がった頃には何がなんだか分からなくなっていた。90人の披露宴会場 vs ヒナミ、バンドもギターもなし。結果からすると、パフォーマーとしてはちゃぶ台ひっくり返し級の、あまりにも悲惨なステージ。何しろ声が出なかったので。自分で言うのもなんだが、俺の歌はこんなんじゃないんだってば・・・(涙)。いつもはどれだけ「ギター氏」、「ベース嬢」、「ドラム師」、「自分のギター」といった様々な「盾」に守られているかを痛感。まぁ、まだまだ自分も甘いということで、いい勉強になりました。

歌った後はしばらく放心状態で、大分凹んでいたのですが、当然披露宴は着々と進むわけで。そうだ、これは俺のライブじゃない。友人Sの晴れ舞台であって、ウジウジしているのもなんだか大人気ないと感じ、心を入れ替えて、披露宴を楽しむ。しかもステキな披露宴だった。再び、披露宴なしの我が妻にも何かしてやりたいと思わせる。次の結婚記念日に何かできないだろうか。それと、友人S、新婦M、おめでとう。先ほど渡したCDには、一応まともに歌が入ってるバージョンが入ってるよ(笑)。

大学時代の友人と久しぶりに再会し、お茶し、みんなで新幹線の最終電車に乗る。自由席の光景は嘘のようだった。20代前半の女性が、倒れた。一時意識不明、ふと意識が戻ったり。「親や車掌には言わないでくれ」、「東京の病院にいきたい」、などポツリポツリと言葉が耳に入る。向かいの列の50代のやさしそうなサラリーマンは心配そうに彼女の面倒を見る。たまたま旅行中だったのか、スニーカーと半そでの柄シャツを着た医者。最終的には意識が長い間ぶっとんだらしく、心臓マッサージまで・・・。新幹線は名古屋のひとつ前で臨時停車、運び出される。再び電車内は静まる。

一生涯の誓いをした人、自分の命を掛けて一人で新幹線に乗り込む人、赤の他人の命を必死こいて守ろうとした医者や車掌の姿にしろ、ことの重大さを目の当たりにして、自分と自分の悩みがとても小さく感じた一日でした。

5.13.2005

フランス料理、キリスト教の正体

仕事、ホテルで宿泊してきました。夕食は社員6人でフランス料理を食べた。久々のバブリー。何を食べてるかよく分からなかったが、美味しかった。伊勢エビとか、フカヒレスープとか、ホアグラとか、トリュフとか、とかとかとか。料理ごとに変わるフォークとか。でも、鯛の刺身みたいなやつにオリーブオイルといくらが添えられたような料理。外人さんの上司に、何があってフランス料理と呼べるのか、とアホな質問をしてみる。「バターとクリームが多くて、ソースがでーんって乗ってる感じ」、とイマイチ納得行く答えではなかったが、訳わかってないのは自分だけでないということでその場では問い詰めないことにする。

ワイン2杯ちょっとでお眠モードになってしまい、会話の盛り上がり具合に一切お構いなく、部屋に退散。最近、酒を飲むと急激に眠くなるのと、私に酒を勧めた人に対して態度が悪くなる、あまりよろしくない傾向。でも本当に飲めないからこうなってしまう。とにかく、意識モーローな状態でシャンプーで洗ったんだかリンスで洗ったんだか、それよりタバコはどこだ、となんとか寝る支度を済ませてベッドにたどり着く。さっさと寝ればいいのに、「ふぅ~」とくつろいでみる。

ベッド側の引き出しに、キリスト教の聖書が入ってる。海外のホテルでもよくあることだが、これだけ限りなく無宗教な日本でも、聖書が置いてあるのがなんだか不思議に思えてくる。久しぶりに開いてみる。知らない人もいると思うが、私の父親は一応、キリスト教の牧師さんで、私も「それ系」の育ちでした。ということもあって、聖書は何度か読んだことがあったのです。懐かしい。今は、多分、私はキリスト教ではない。

私はあまり好きじゃないんです、「キリスト教」の連中って。別に教えが悪い、っていうわけでもなくてさ。人殺しちゃあいけない、盗んじゃダメ、・・・そこらへんび教えは別に、全然好きなんだけどさ。こういうこと言ってると、親父に半殺しにされるんだろうけど。世界の様々な宗教の内、歴史的に見ても、一番押し付けがましい宗教なような気がする。よう分からんけど。オイラは神様がいればステキだなと思っていて、ということはどちらかというと「いるんじゃないですかね」的な願望的考え混ざりの変なヤツなのだが、口が裂けてもやらないのは、他人の神に口出すこと。自分と自分の神って、ガチンコの関係だと思うのよね。人間同士で「神があーだこーだ、だからお前はこうしろ」って・・・なんか違う。一人がこっちの空気をつかんでて、違う人が別のところの空気をつかんでる、見たいな、パントマイム。

だから、ベッドの側に、やる気なさ気に、聖書がぽんと置いてあったのがなんとなく、あっさりしてて、よかったのかな。よう分からん。

5.12.2005

飾りだけの左手

私の右手はいつも忙しい。オナニーの話ではない。

高校から大学に渡って、おバカでデッカチな私は腕時計というものを一度も付けたことがなかった。「時間に追われる」という感覚がどうも好かんで、わざわざそんな人間小っさくなるようなことは絶対しないもんね、という子だった。腕時計を30秒に一度は見るようなサラリーマンをひっくるめて軽蔑していた。なんだかカッコ悪くてしょうがなかった。今も少なからず、時間に支配されることに対しての想いは変わっていない。

んなアホなことばかり考えていたため、私は腕時計を利き腕に付けるモノだとずっと勘違いしていた。今現在も、右手に付けたまま、時計を見る度に自分の愚かさを実感する羽目になっている。一応、会社というものに勤めるようになって、<若干>大人になったつもりな私は、時間に追われるのは時計のせいではなく、己の心構えのみだと気付き、腕時計を着用するようになった。ありきたりだが、自分の時間というものに限りがあることをより実感するようになってから、時間の重みだけでも感じていたかったということで。昔の癖が残っていてあまり見ない。その重みだけ。

モノを書くのも、箸を持つのも、実際ギターの弦をピックで鳴らすのも、質問をするとき手をあげるときも、そして時計の重みを背負うのも、ぜーんぶ右手くん。左手はあくまでもサポート、言葉通りモノを支えるだけの、脇役。ギターの弦を抑えるのも、茶碗を持つのも、メモ帳を抑えるのも。ヒマなときは、置き場所に困っちゃうこの子。唯一の重要機能として、結婚指輪を無くさないための保管所、くらいかな。

左右対称でないと気持ち悪くなる人です。右腕を掻いたら左腕も掻かないと気がすまない、というやつ。なんかよくよく考えてると・・・オェ・・・。

5.09.2005

神隠し

我が家のゴールデンウィーク旅行の最後の一泊は旅館で、親子でひっそりと美味しいものを食べ、ゆっくり温泉につかる予定だった。なにかとヒョイヒョイ忙しい旅行だったので、ただただゆっくりしたかった。その晩、大雨だったことも全然気にならなかった。

ロビーも客室も、なかなか新しそうな旅館だった。開業して数年も経ってないような。こういった旅館に「出る」はずがない。出るはずがないんだが、悪い予感がしていた。

21:30頃、子供を寝付かせてから、妻と交代で風呂に入ることに。私は割と風呂は早い方なので先行。「男湯」の暖簾をくぐると照明が明るい脱衣所。誰もおらず、聞こえるのは扇風機と外の雨音。その時点で十分、<まずい>感はあった。チェックインの時、人でにぎわっていたロビーを思うと、ガラガラであるわけがない。しばらくウロウロと設備を物色した。電気が消えてる隣の部屋にはマッサージ椅子が5つ並んでいた。スイッチを付けて入ると、入り口に一番近い椅子の隣に小さなテーブルと置時計。0:30をさし、何事もなかったようにコチコチ動いてる。ん、と思い自分の携帯電話の時計をもう一度確認するが、22:00。たいしたことでないが、少し、ゾッとした。

湯船は露天風呂及び、室内のヒノキ風呂と大浴場があった。再びガラ空き。老人が一人だけ、ヒノキ風呂につかっていた。半身浴で、うつむき。しんどそうな表情が伺える。相当恐かったが、既に真っ裸なので洗い場の鏡に向かうことしかできない。しようがなくシャンプーし始めるが、都合悪く目を閉じてる状態であの冷たい手がやわらかく私の肩にピト・・・とくる。

「私は、自縛霊です。さっそく命をいただきます。」

「それは困る。」

「・・・。」

「なぜ、私の命を奪うのですか。」

「悔しいからです。私はつい先日このヒノキ風呂で死にました。」

「自然死ですか。」

「ええ。」

「どのように命を奪うのですか。」

「エンマには、奪われるものに選択肢を与えるように言われています。」

死体をこの場所に残すか残さないか。生身として、もしくは魂としてエンマの裁きをうけるか。生身のままであれば死の痛みからは逃れるが、遺族の混乱を伴う。遺体を残すとしたら、人間的な死が必要となるため、それなりの苦しみが伴う。らしい。

こういった状況で

くだらない

と思われるだろうが

裸の状態で

こういうことを判断するのは

すごく、難しい。

5.06.2005

出来損ないのフーテン

理想の一人旅というものがある。願わくば2週間くらい、最低1週間もあれば実行可能だ。

場所選び。これといった「旅の目的」が見当たらない場所が良い。ある程度の利便性、安全性を考えて国内が無難か。たとえば、沼津、釧路、八王子、ごめんなさい。店に行っても、大した気合を感じさせないのが目安。「いや、海に行って騒いでくださいよ。ウチはただの商売なんだから・・・。」富士急ハイランドの○○ジェットコースターを乗りに行くだとか、そういう場所はあまりよろしくない。贅沢を言えば昭和を色濃く感じさせるところが良い。こんな:



一日目。宿泊先にチェックインしてから、まず、荷解きをする前に、部屋のカーテンを閉じていただきたい。そして、着替えもしないまま二日間くらい寝込んでいただきたい。引きこもっていただきたい。なにやってんだろ・・・と軽く欝の症状を起こすくらいの勢いが良い。

あなたがようやく宿泊先から、街に繰り出すのは引きこもり2日目の夜。この街を始めて探索する。1週間以上も滞在するわけなので、遊び相手の一人か二人は作っておきたいもの。できれば、旅行中のあなたと同じくらい、日中ヒマな人がいいので、近くのスナックにでも足を運んでみるのがよいのでは。そこでホステスかボーイと仲良くなっていただきたい。別に、水商売でなくても良い。できれば、体の関係は避けていただきたい。3日目以降は新しい知り合いと遊ぶなり、飲むなり、食うなり、散歩するなり、話すなり・・・自由行動。

最後の日は、また一人で、映画館に行っていただきたい。飛びっきり今風の映画を見ていただきたい。

結果の良し悪しはよく分からないが、確実に、あなたの日常が変わるはず。