12.30.2005

間違いではない

家に帰ると、机の上にチョコレートがおいてあった。アーモンドの粒が入っているチョコレート。男は少し頭をかしげる。誰がおいていったのか、検討もつかない。妻ではないはず。男が甘いものをあまり好まないことを妻は知っているはずだ。誰かが贈り物として、家に届けたとしても、手紙も何も添えず、しかもただのチョコレートだけ、というのが実に不自然だ。

翌朝、男は妻にこのチョコレートは何だ、と訪ねるが、さぁ、という。酔っ払って自分で買ってきたんじゃないの?と言われる。男にとっては不思議な出来事だったが、妻にとっては、たかが、100円程度のチョコレートだった。それ以降、チョコレートの話題は途絶えた。

男は会社につくと、朝にやろうと思っていた会社の資料が会社の机の上においてあった。なんらかの者が好意で男のために資料を作っておいたようだ。署名の欄にも、あたかもその男が書類を作成したかのように、男の名前が書かれている。表紙をめくって読み始めると、ひどい間違いだらけだ。文章は読みにくいし、英単語のつづりは間違ってるし、バラバラだ。

その日、その後も、熱すぎて薄すぎるお茶を誰かが男だけの机においていったり、読みもしないスポーツ紙をおいていったり、とにかく男が見えないところで知らぬ者が、いろいろやってる。迷惑といえる迷惑はひとつもないが、必ずしもありがたいともいえない行為を、次から次へと。男は不機嫌になる理由はひとつもなかったが、不思議でしょうがなかった。人に聞くにはあまりにも些細で、あまりにも多くな出来事ばかりで、話す気にはならなかった。

男は、その日のことを心に秘めることにした。

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これで今年は店じまいです。
読んでくれた方、コメントやトラックバックを残して下さった方、
どうもありがとうございました。ステキなお正月を過ごして下さい。
来年もよろしくお願いします。

ヒナミケイスケ

12.29.2005

雨が全然ふりません

毎年この時期、悲しくなる。

いじめられたとか、殴られたとか、悔しいとか泣きそうとかそういうんじゃない。
そういう瞬間の、積極的な感情じゃない。

イヤになったり、絶望したり、後悔したり。
そういう、後ろ向きな感情でもない。

今ある物を投げ捨てたくなるような、人に会いたくなくなるような、それとは違う。
理性はそのまま、安定しているつもりでいる。
好きな人と会ったり、話したりすることは相変わらず楽しい。

気づけばため息をついていたり
無性に座りたくなったり
ちょっとだけ静かにしていたくなったり
ただの状態
これが何かって、「悲しい」。違うのかな。

そんなのが今年も来た。

12.27.2005

エンマのジレンマ

メザニンという男は、山の狼の群れに育てられた。赤子の頃に実の母に捨てられたので、人間の言葉を覚えることもなかった。自分の手足を見るだけで、狼の兄弟とは明らかに違う姿であることは分かっていたが、それに不満を感じることはなかった。狼の兄弟とともに母狼の乳を飲み、狩に出かけたり、遊んだり、一緒に寝た。幸せだった。ただ、敢えて生活で違和感を感じたところがあったとすれば、兄弟とは違ってメス狼と交尾する気にはならなかったくらいだ。兄弟達も限られたメスを争う相手が一人分いないだけ、やぶ蛇をつっつかぬまいと、メザニンをからかわなかったし、「それ」には触れずにいた。

そんなある日、メザニンは狩をしていたときに、イノシシに腹をえぐられて死んでしまった。狼達は老若男女問わずメザニンの死を悲しんだ。

三途の川を渡ると、メザニンはエンマと会った。大抵の人間の魂はエンマを恐れていた。エンマやエホバ、アヌビスやヤウエイ、呼び名は色々あったが、皆同じ存在のことをさしていた。しかし、メザニンは神どころか人間の言葉も知らなかったので、エンマの名前を一つも知らなかった。しきりに貧乏ゆすりをしながら、あの世の言葉で、「ここはどこ、あんただれ」と言う。

さて実はのことを言うと、エンマはメザニンが生まれた日からあの世に来るまでずっと頭を悩ませていた。ケモノとして育てられたので、人のモノサシで計ることが出来ない。沢山の動物を殺生してきたが、全てそれは生き抜くためのもの。人として「守る」ものもなかったし、身内を傷つけたこともない。結論からすると、何も「悪い」ことをしていないはずだった。かといって、何も「良い」こともしていなかった。

「お前さんは自分の姿が皆と違うことには気付いていたな?」

「そうだ。」

12.25.2005

血を流す機会

ヨメ側のじいさんが言ってた。最近、スリ傷すら貴重な経験に思える、と。
子供も大人もそうなんだな。血を流すことが返って珍しいってわけで。

今朝、銀座のレコード屋へ。開店前に到着してしまった。

世界中の、世界平和を願う祈りが12月に集中するのは、クリスマスが原因ではない、のでは。こんなにクソ寒いと、そりゃあ戦争どころじゃあなくなるのかも。もっとも戦争がバカバカしく感じられる季節なのでは。言葉どおり、頭を冷やせと。あれ、今年もまだ続いてますよね。ね。すっかり忘れていたよ。。。

久しく戦争を憎みながら、少しの間でいいから身体を温められる場所を探していた。この時間から活発に頑張っているのは献血バスのお兄さんだった。献血はしばらくやってないが、どうってことなかったと記憶していたので、シメシメとテントに入る。A型とO型が不足していたそうだが、役に立たないB型を400ml提供。野郎ども、献血すると実にいいことがあるぞ。キレイな看護婦のお姉さんが針が刺さってる間、話相手をしてくれた。あまりの親切さに、もしかして次は手を握ってくれるのではないかとアホな期待さえあった。ワリとドライな流れだと思っていたので(ブスッ、はい次、的な)、このマッタリナイスなサービスは意外だった。電気ストーブにあたりながら暖かい紙パックのコーヒーをいただく。こりゃあ、ハマルかも。恥ずかしいが、「ちょっといいことしたかも」的、極めて単純思考も否めないが。

12.23.2005

ヌードにザイル

長湯をしていたら、眠くなった。
特に寝不足じゃなかったので、少し不思議。

手と足の感覚が少しずつ鈍って行き、まぶたがどんどん重くなる。スルスルっと落ちてゆく感じだった。湯船にもぐってもないのに、頭から全身同じ温かさがあった。まるでお湯につかっているのではなく、コタツの中にもぐりこんでウトウトしていたような。疲れみたいなものもトロトローっと溶けていった。トロトローっと。

気づけばヨメに起こされて、怒られていた。
風呂で寝てはいけないらしい。よく分からんかった。

このまま風呂水と共に排水溝に流され、地底世界に行ってしまったとしたら確かにまずい。地底人に初めて会うというのにマッ裸は相当まずい。プランプランぶら下げながら「はじめましてっ!」はきっと、僕にできない。裸で何かをする夢ってワリと多い方だと思う。自意識過剰なのかも。まぁ何はともあれ、地底世界に行くはいいが、帰りが中々大変なのかと想像する。のぼる手段が必要なのだ。のぼる方が大変だろうから。裸で、ザイルとつるはしを両手にロック・クライミング。これはつらい。寒いだろうな。南極は北極より寒いらしい。北極は氷だけ、南極は大陸。大陸の方が冷え込むらしい。

とにかく、地底に行ってる場合でない。
明日は予約しておいたクリスマスケーキを取りにいかなければならないのだ。

12.22.2005

ドッペルゲンガ

ある大都会で暮らす男がいた。

その男は住まいも、職場も、遊びに行くような所も、大抵その都会の中に収まっていた。男は匠にバスやタクシー、地下鉄や電車を利用して、どんなA地点からどんなB地点への距離を30分で航海することができた。美味いものや洋服、あらゆる流行にも敏感だったし、男性の友人もガールフレンドも沢山いた。そうとはいえ、浪費者ではなかった。仕事はそれなりの給料で、金持ちでもなかった。すばらしい知性に恵まれているわけでもなく、趣味といっても、人並みにお酒好きで、クルマ好きで、たまに流行の映画を見るくらいだった。

ただただ、男はこの都会で暮らすことが幸せだった。
男はこの都会での暮らしが本当に大好きだった。

そんなある日、男は帰りの地下鉄に乗ろうとした。同じタイミングで、なんだか見たことのあるような顔をした男が一緒に乗った。二人はそれぞれ車輌のドアの左右の脇に立った。じっと見つめない程度で男はもう一人の男の顔をもう一度確認し、記憶をたどった。朝の通勤電車でよく見かける顔だった。帰りの電車でバッタリ会うとは大した偶然だ。

相手の男もそう思ったようで、他に思いつく動作がなく、お互い軽く会釈をした。じっと見つめない程度で男はもう一人の男の顔をもう一度確認し、記憶をたどった。朝の通勤電車でよく見かける顔だった。帰りの電車でバッタリ会うとは大した偶然だ。

ただし、しばらく地下鉄に揺らされてると、男の中で少しばかりパラノイアが芽生える。

ただの偶然か?いや、それはきっと違う。

あとをつけられたか?

降りたら何をされるか分からない。

こいつは誰だろう。

12.20.2005

罪悪快感

男は椅子から立ち上がり、ゆっくりと洗面所へ向かった。座っていた椅子の正面に大きな窓があり、入ってくる夕焼けの一筋の陽光の中をホコリたちが舞う。その夕焼けの熱で部屋の空気もこもっていた。今日は一度も窓を空けていない。着替えてもいない。くたびれたパジャマのぬくもりから逃げられぬまま、一日が過ぎていった。何も口にしていない。口の中がベタベタする。寝てはいないが起きてるともいい難い状態だった。

両手を洗面台にのせて、少し前かがみになり、じっと自分の顔を見て静かにため息をもらした。中途半端に長い髪の毛が散乱している。出かける時間まで、15分、20分くらいか。やることが沢山ありすぎる。少しゆっくりしすぎたか。何から手をつければよいのか、少し迷う。蛇口のレバーを少し上にあげて、目一杯左に回す。右手を差し出して、水が温かくなるまで待つ。また10秒くらい気を失った。気付くと洗面所は蒸気でいっぱいになっていて、鏡もすっかり曇っていた。男は両手を杯にして、温かいお湯でばしゃばしゃと顔を洗った。パジャマのえり辺りも濡れてしまった。はぎとって洗濯機に放り込む。

歯ブラシを人差し指、中指、親指でやわらかく握った。鏡がロクに見えないので、手が思うように動かない。結局同じところばかり磨いているような気分になり、2分くらいで歯磨きを止めてしまった。寝室に入ると、カーテンが閉まっている。冷え切った洗い立てのズボンを履く。布が固い。長袖のTシャツも肌に冷たく、頭からかぶると洗剤の匂いがする。急いで靴下も履いた。

上着を羽織って荷物を背負い、思いドアを開けると風がほほに噛み付いた。

男は音がでもしない口笛をしながら、駅への道を歩いた。

気分がよかった。

「今起きたんだぞー」と叫びたかった。

12.19.2005

授かりものですか

ギリシャ神話の登場人物で、神の王ゼウスの娘に値する、ミュースと呼ばれる九つの女神がいる。芸術や学問に従事する者の守り神として昔から拝まれていた。この方々、一応「神」といえどもなかなか気まぐれで、ひいきしがちで、嫉妬深い神様達だったそうな。忠誠心の高い者に、インスピレーションをささやく。ひいきされる分にはいいが、ミュースがヘソを曲げるとそれなりにヘビー級な祟りが下されるらしい。姿をケモノに変えられたり、目をもぎ取られたり、等等等。女神のそれぞれの名前と担当分野をざっと調べるとこんな感じ:

カリオペ(叙事詩)
クリオ(歴史)
エウテルペ(器楽)
タリア(喜劇)
メルポメネ(悲劇)
テルプシコレ(舞踏)
エラト(恋愛詩)
ポリュヒュムニア(賛歌)
ウラニア(天文)

インターネットで拾ったマメ知識だが、ミュース達は絵とか、建築物、いわゆる空間芸術においては関係ないらしい。上記の分野では当時、本とか形に残るものはなく、何らかの形で人前で演説・演奏されたものと言われる。ようは、9人総じて「ライブ」の神様といってもおかしくはない。と思う。

授かりものなんですかね?どうなんだろう。
古代ギリシャ人さんたちの気持ちも分からなくはない、が。
ねぇ、メルポメネさん。

12.16.2005

夕焼けが楽しみ

毎日17時になると、区役所が「夕焼け小焼け」のメロディーをスピーカーから流す。こんなところでも、一応子供が生息している証。赤坂の数々のオフィスビルに音がはじかれ、半秒遅れでやまびこが重なる。これが何ともいえない不協和音を生み出して、とても切ない気持ちになる。あぁ、ホントに帰りたいなぁ。と思わせる。今日はキレイに晴れてるから良い夕焼けを見れそう。

ということをふと思っていて、今日のお昼休みは久しぶりに「人の住む」赤坂を散策してみた。大通りから怪しげな横道に入り、しばらく歩いたところに、昔良く見かけたような巨大のコーポ。かなり古そうだった。肌色のコンクリートのハコ。このコーポ、1階が保育園になっていて、あの、都会の公園の独特な灰色の細かいジャリ、の広場もあった。割と広い。広場に面して3、4つの教室が横に並んでいて、それぞれの入り口には大きな靴箱が置いてあった。結構静かだった。お昼ねの時間にしてはまだ早すぎるし、教室からも何も聞こえなかった。

一人だけ女の子が広場で遊んでいた。オモチャを持たず、走り回ってる。いや、走ってるような、歩いてるような、とっとっと。チビッコには独特なテンポがあると思う。不定期なステップなんだけど、どことなくリズミカルな。広場は広いんだが、その8分の1もないスペースで走り回っていた。チビッコ一人にしちゃあ広すぎたか。別に占領する必要もないんだろうな。

12.12.2005

筆ペンを握りしめる

キレイな文字を書ける人って結構うらやましい。
不祝袋の表紙とかに名前をサラララ~っと迷いなく書けるあなた。
ためし書きだけでメモ長半分くらいダメにしてしまう私も、

「おぉ」

と一目置いてしまうわけで。なぜだか。文字がキレイなのは単に表面だけでなく、それなりに精神的な強さトカ、自信とか何かすげーモノを表しているのではないかと私は妄想する。筆圧が強い人の文字は堂々とした太い線でなんともいえない迫力、いさぎよさがある。筆圧が軽い人の文字はアイススケートの跡のような、セクシーなライン。それに比べ、私の文字。

ぐにゃ。びちょ。

うーん・・・。個性的・・・ともいえない。

そういうこともあって、今年はローテクの手書きの年賀状に挑戦してみようかと。筆ペンを何本かつぶす覚悟でいる。一枚でも満足に書けたらいいんだが。それで勝手に盛り上がってるわけだが。

今年のクリスマスは何をあげましょう、か。

12.08.2005

座敷わらしは妖怪でない

昨夜、久しぶりにお酒を飲んだ。いつもお酒を飲むと、泣きたくなるくらい眠くなる、すなわち寝る、のがいつものパターン。でも、時々気の合う人と一緒にいると自分から飲む、なんて無謀な事を口走ることがある。そして案の定、酒を飲み始めてからの記憶はまだらだ。自慢でないが、一杯のキツ目のウォッカトニックとやらでこの有様である。安上がり極まりない。変なことを言わなかったか、少し心配である。遅くまで付き合わせちゃってスミマセン。

それでも色々お話ができたので、嬉しかった。

どうにか帰宅できたよう。酔っているとき、寝る準備がやたら早い。寝るぞ、寝るんだ、俺は。シャワーで力任せに体をゴシゴシゴシ。歯磨きガシガシガシ。風呂掃除は無視。明日やろう。。。寝る準備が済むと、酔いもちょうど抜け始め、なんだかそのまま寝るのがもったいなくなる。

テレビをつけ、毎週録画している「まんが日本むかしばなし」の再放送を見る。大粒の雪がポワリポワリとゆうっくりテレビの画面を横切る。コタツのありがたみが増す。語りのじいさんばあさんの声がものスゴイ説得力を持つ。雪の映像も、声も、話の流れすら、何もかもがスローモーションの世界。三十分とは思えないくらい長い時を過ごした気分になる。

これぞスローコアの極み・・・?

12.07.2005

もういくつ寝ると

寝るだけじゃあ正月はこねえ。

ふと思い。めっぽう哲学というものに弱くなった。もとから哲学に深い関心があったわけでもなく。ただ、若かったころは(今も一応若いとしておくが)もっと、ダラダラ考えるだけの時間を過ごしていたような気がする。それはそれで自分にとって意味はあったんだが。でも、模索することで完結してたような。何かの練習をしていたような。今は、加えて何かを実らせたい野望、悪く言えば欲求不満、焦り、とにかく何かをやらかしてやりたいというわけのわからない考えがなぜか強い。平たく言うと、幼稚園級のマインド、三つ子の魂オン・ファイアーである。表現は微妙に90年代テイストになってしまったが。

男26.81173歳、社会6年生を目前に、明らかに遅すぎる実感、である。

んで心と体でバランスを取り合う。おっとっと、的な。
ただただ、音楽を作りたい。
存在価値がここにあると思いたいから。
勘違いだったとしても(笑)。少なくとも、金儲けではない。
ただただ、人と居て、人でいたい。
一人でいるのはつまらんから。

色んな意味でお勉強用の時間は終わりなんだなぁ、と思う。何のために勉強してきたかって、そりゃあ、今のためだったんだし。当然これからも勉強なんだろうけど、何をするにも何らかの結果が伴うようになった。そうであるべきなんだろうけど。それがリアルライフ。

ということで。

もうそろそろ、年賀状に取り掛かろうと思います。いつも読んで下さっている方に、簡単ながら(本当に簡単です・・・)新年の挨拶をさせていただきたいです。よろしければeメールにて、ご住所を教えて下さい。テンメェいつも世話してんやから送らないとどうなるか分かってんだろうナ、オウ、等脅迫も承ります。

もちろんプライバシーは厳守します。うっしっし。

12.01.2005

ビバ漂流

無人島で暮らし始めて、ちょうど1ヶ月を迎える。

正確に言うと、30日経った。11月の最後が30日か31日か忘れてしまった。残念ながら確認するものがない。なんだっけ、と思ったころにはとっくに携帯電話の電池も切れていたし、カレンダーなんかもない。面倒くさいので、これから私が死ぬまで、1月から12月、全部30日だ。そして13月は5日間あることにする。覚えていれば4年に一度、13月は6日間とするつもりだ。

旅にでるとき、友人は冗談で、私にサザンオールスターズのアルバムをくれた。ほら、言ってただろ。無人島にCD一枚だけ持っていくとしたら、って。

CDプレーヤーがあったとしても聞かなかったと思う。そして聞いてもないのにサザンなんかもうキライだ。今までよくも僕を騙してくれた。CDの裏面を太陽に反射させて、火をおこしている。食べられるかどうかも分からない草を一応、ゆでている。というよりは、葉っぱで包んで蒸している。どっちが器でどっちが食物なのか区別がつかない。もしかして、食べられるのは器の方なのかも、しれない。

1ヶ月も声を出していない。飲み食いする以外、口に用はない。言葉を忘れそうだ。ためしに喋ろうとしたら、舌をかんでしまった。血の味がする。

最初の1週間はやけに静かに感じたが、波や森のざわめきが日々、大きく聞こえてくる。