2.28.2005

頭痛が痛いムーンライティングな夜

私の自宅での音楽活動は毎晩夜中前後に始まります。子供の寝る支度が一日で一番忙しい時間帯なので、それまでカミサンのお手伝いをします(パチパチパチ)。カミサンも普段は子供と同時に寝てしまうので、その後が私の自由時間であります。まずは30分くらいじーっと、ボーっと椅子に座ってから、その後少しずつ手が動きはじめ、ネタ作りやメンバーとの電話に取り掛かります。時には、30分くらいじーっと、ボーっとしてからそのまま寝てしまうこともあります。どうやら毎晩の「じーっと、ボーっと」のセッションだけは欠かせないようです。切り替えというヤツでしょうか。単に「じーっと、ボーっと」するのが好きだけなのかもしれないですが。

そんな先日、以前四谷で共演させていただいたモノクロビジョンのあかおさんがライブ中の僕らの写真をいくつかメールで送ってくれた。いつまでたっても自分の写真(特に歌ってるところ)を見ると恥ずかしいが、とてもよくとれている。早速ホームページに乗せてみた(あかおさん、本当にありがとうございます)。せっかくの写真にふさわしい音を追求したいと思う。このモノクロビジョンというバンドはすごく好きです。エッジをたくさん効かせながらも、繊細な面をひょこっと出してくる。メンバーもそれぞれいい人で、話もしやすかった。すんなりと、軽く惚れた。

その日もいい一日でした。
風邪っぴき1週間くらい経過。いいかげん治りたい。

2.25.2005

私の恋心をどうしてくれる

社会人4年目にして、初めて日本経済新聞の裏面にある連載「愛の流刑地」に気づく。悪く、衝撃的だった。ていうか、いかに自分がちゃんと新聞を読んでいなかったことにもショックだったりした。読んだことがない人のために説明すると、中年男性と人妻のダブル不倫の話で、チンタラした会話と、露骨な(台詞付き)セックスシーンがたくさんあります。ちょっと、朝っぱらから読むもんじゃないなぁ、という気がします。ご興味があれば読んでみてください。

いや、別にいいんですけどね、結局日経も週刊ポストも同レベル、ってことで。所詮新聞。報道機関としてはちょい見損なったけど。子供が少し大きくなったら、どうか日経新聞に興味を持ちませんように(笑)。こればかりは説明できん。大人がね、ばっちいのおもしろいの。パパもこういうのを読んで、自分もこんなことあったらなぁと思ったり・・・なんて恐ろしいこと言う訳ないでしょう。とにかくそういう大人にならないように気をつけなければ。

別にね、不倫、その先に何かが実現する限り(離婚&再婚、もしくは消滅)、いいじゃん、って思ったりするよ。過程だとか色々あると思うけど。何かにたどり着くための通過点としてさ。肝心の「先がある」ケースが少ないような気もするけど。不倫そのもの、性質としてダラダラしたものなのだろうか。それが楽しいのか・・・あぁ、なるほどね。スリルというヤツを忘れていました。スリルねぇ。

2.23.2005

亀と兎と都会鼠と田舎鼠(後編)

1ヵ月後の話。有給を利用したことを口実に、大豆畑の害虫駆除を担当していた田舎鼠は兎から解雇通告を受けてしまいました。調子は万全でなかったものの、田舎鼠は必死に、無謀にも兎に解雇の正当事由が満たされていないと訴えましたが、当然相手にされませんでした。民法による訴訟も試みましたが、兎には都合よく、イソップ農業協同組合の圧力が裁判所にかかり、陪審員団の過半数は兎類で構成され、裁判所は茶番と化してしまいました。

農業で暮らせなくなった田舎鼠はやむを得ずイソップ村を出て、再度都会鼠のマンションに訪れました。そこで酒・女・ロック・麻雀を都会鼠の影響で覚え、フリーターとなり、月25,000円のアパートを借り、それなりに幸せに暮らしました。心優しい都会鼠は卒業後、無難に就職し、良い意味で不特定多数の人ごみのなかへと消え去っていきました。

その間、兎と亀のかけっこは運良くワイドショーのネタとして取り上げられたことをきっかけに、異常なほどのマスコミの注目を浴びることになっていました。かけっこその日も全国ネットで放映されることになり、兎と亀の人気は急上昇しました。

「亀よ、これはいっそのことコア事業をたたんで、広告収入で食っていこうではないか。」

と兎さん。とっくに理性を失った亀さんももちろん合意しました。もう大豆なんかまっぴらだ。その後兎と亀は農家からイベント運営者に転進し、今度は共同で会社を設立しました。彼等もイソップ村を出て、イソップ市に新しく出来た大型都市開発プロジェクト「イソ・ヒル」(くどい?)にオフィスを設け、ヒル族としてちやほやされることとなりました。

一年後にはかけっこブームが過ぎ、イソップ国民の注目が再びサッカーに向いてしまい、会社が倒産したことはもはや言うまでもありません。

2.22.2005

亀と兎と都会鼠と田舎鼠(前編)

昔々、イソップ村に亀と兎が暮らしていました。亀と兎はそれぞれ、先祖代々より伝わる土地を利用して大豆作りに励んでいました。二人は良きライバルでした。

互いに農業に関しては譲れないこだわりがあり、それぞれ醤油に適した大豆、枝豆に適した大豆等、ゆるぎない努力で次々とすばらしい大豆の品種を開発していました。ところが、ある日イソップ国に「イソップ農業協同組合(略称:IA)」という団体ができ、イソップ国の農家全てに対して安定的な収益をもたらすために、品種を問わず全ての大豆を均一価格で買取り、全国への物流を仕切ってしまうことになりました。徹底した品質管理、研究開発活動に見合った収益が得られなくなった亀と兎は共に資金繰りに困り、経営不振に陥る一歩前で、やむを得ず大量生産戦略に移行し、人員削減を含む大胆なコスト削減も実施しました。その結果、破産は免れたものの、亀と兎はすっかり大豆への熱意を失ってしまい、灰色の毎日を過ごすことになりました。

「そうだ、せめてかけっこでもしないか。かつての熱い気持ちを取り戻すために・・・。」

と亀さん。この際、何でもしてやる、とうなずく兎さん。ということでかけっこの準備が着々と進められた。レースの日が近づくにつれて、互いのライバル精神は再び燃えに燃え上がった。

一方で、イソップ村に住む田舎鼠は、国立イソップ大学に通ういとこの都会鼠のマンションに遊びに行っていた。都会のごちそうもたらふく食べさせてもらい、ちょうど「都会の生活も悪くない」と思えてきたところだったが、部屋の壁紙の接着剤の影響でシックハウス症候群になってしまい、予定より早く田舎に戻ることになってしまいました。良心的な都会鼠は気の毒な田舎鼠をイソップ村まで送り、相当ダルかったがしばらくそこで看病してやることを決心しました。

2.21.2005

他人の一歩前

兄ちゃんから久しぶりにメールが届く。数ヶ月に一度のペースのやりとりだ。どうよって。兄ちゃんははるかアメリカに住んでいて、医者。いわば自慢の兄ちゃんというやつである。勉強優秀、体脂肪率は多分一桁、なにしろ医者、趣味は多数で、私の記憶が正しければ女子供に対してもやさしい人間である。愛読書はエマヌエル・カント・・・(は?)。犬は黒いニューファンドランド。おいおい、さわやか過ぎんぞ・・・。今は病院の集中治療室で働いているが、相当大変なのだそうだ。一番重症な患者達を、なんで病院で一番眠い人たちに任せちゃうのかねぇ、という。俺も姉ちゃんもギター買ったよーってさ。カミサンと子供は元気かって。

私には兄弟が3人います。一番上の姉ちゃんは小学校の音楽の先生、兄ちゃんは医者、それと高校生(だったっけ・・・)の妹がいる。残念ながら兄弟間の連絡は、兄ちゃんと同様、数ヶ月に一度メールがあるかないか。仲が悪いわけではないが、住む世界があまりにも違うから、共通の話題が普通にないのである。あっちでの生活があまりにも長いこともあり、3人とも日本語もどんどん忘れているのではないかと思う。当然私の英語力も衰えてるわけで(の割には日本語が未だどん詰まり)。でも、たまーに連絡したくなるのであります。兄弟愛足らんぞお前ら状態だが、今のところ、このペースが心地よい。とりあえずお互い忙しいということで、それが逆に安心させるというか。

兄ちゃんは時々不思議なことをいう。「お前は日本に帰って、兄弟で一番賢かったかもね」。いやいや、何をおっしゃいますかお兄サマ。でもまじめな話、アメリカ生活が長いと思いきや、未だ溶け込めてないこともよくあるらしい。顔が顔だからって。でも、そういう話を聞くと、自分も果たしてどれだけここに溶け込みきれているのか自問したり。

自意識過剰だよね。

2.20.2005

下手の横好き

作曲家失格な発言だが、作詞は大好きだけど同時に大の苦手である。気合を入れすぎて書くと、後々客観的に読んでみるとゾッとすることが多い。したがって、今まではなるべくドライに、風景的なものを中心に書いてきた。あとは、言葉の響き具合で適当に組み合わせたり。文法どころではない。良くも悪くも、今のsomatoneの歌詞は100%直感任せで、意味は皆無であります。

そこで、100%直感任せの歌詞を、どうすれば上手くなれるのだろう、とケイスケは以前、考えていたのでした。小さな脳みそから搾り出された答えは、「書きまくれ」でした。何も考えずにいっぱい書くことにしたのです。ブログもその練習だったりします。

願望としては、いつかは意味も兼ねていい歌詞を書きたいと思います。
表に出る気持ちと、それを表現する言語力、求む。
道のりは長い・・・。

2.18.2005

業務連絡

本サイトのコメント機能が改良されました。

今まではコメントするにあたって、いちいちログインアカウントを作成する必要がありましたが、今後は必要ないそうです。どなたでも手軽にコメントできるようになりました。

もし気が向けば、声を聞かせてください。管理人がよろこびます。
気が向かない方でも引き続き、ブログを楽しんでくださいね。

2.17.2005

エーテル

人と目を合わせない男児。電車の入ったおもちゃ箱を床にひっくり返し、小さな車輌を一つずつ、丁寧に拾ってはダイニングテーブルに載せる。5個テーブルに載せたところで満足したみたいだ。つま先立ちして、車輌をつなげはじめる。この時のまなざしはいつも真剣そのものだ。さっきまで濡れた洋服を外に干していたマンマは、今は台所で何かしてる。マンマはしばらくおとなしくしているだろうと判断した様子。この子もしばらく夢中でいるだろう。

2、3年後、この子にどのような変化が起きるのかはまったくわかっていない。
もしかして、何も起きないかもしれない。
私も妻も、無力さを痛感していた。

皮肉にも、この子には何も心配がない。なにしろ、今はその5個の車輌の前後のフックをつなげることに全精神を費やしてるのだから。マンマもいつもそばにいてくれる。しあわせに決まってる。あなたも2歳児の独り言を聞いたことがあるならば分かるはずだ。

2.16.2005

ヒマジン・オール・ザ・ピーポ

「絵でも描いてみたら?」

ギター氏からの提案だった。ブログやバンドのホームページの話をしていて、「文字、多いわよね・・・」という話題に。結局運営している人々が頭でっかちなのだからこうなるのも当然で、メンバーのありのままの姿としては一応正確なのだが。でもまぁ、初めてのホームページの訪問者に対して、しょっぱなから文字の嵐で迎えるのも、多分参っちゃう人もいるのでは。ということで、ビジュアル系でないが中途半端なビジュアル表現にも挑戦することに。

今朝職場にたどり着き、メモ帳を取り出し、カリカリ書き始めて見る。と、そのとき、重大なことに気づく。

1. 絵かけません。
2. 私はいつこの会社クビになってもおかしくないです。

絵が描けないので、いっぱい線を書いてみた。せめてメモ帳をインクで埋め尽くしてやる位の勢いで。これほど完全に有効活用(消耗?)された紙っぺらはさぞ幸せであろう。無駄な時間を結構費やした故、証拠写真にでも納めておこうかと。これです:



絵描きキャリアはきっと、長続きしません(キッパリ)。

2.15.2005

「ピンクと茶色の狭間」

えーっと・・・。正直。あまり元気がないです。
地平線まで届くキャラメルの沼を匍匐前進している気分です。
食べるとアゴが痛くなるほどかたいキャラメル。
ジーパン穿いて。
気温23℃、湿度76%くらい。曇り。
これでもか。
2、3匹のコオロギの泣き声と冷蔵庫のブーンという音が背後に聴こえます。

昨日という日、家の悩みと音楽の悩みが見事なワンツーパンチを私にお見舞いしてくれました。家の悩みはまた後日、あなたに打ち明けることにしましょう。自分で言うのも変ですが気疲れというヤツです。体調はいたって正常。久々にダイエットをお休みし、夜は洋食屋にて充電、エビフライと刻みキャベツをむさぼる。少し気分がよくなる。が。帰宅後新曲のラフな音源を作るが、ギター君のシビアなコメントで再びマットに沈む。ギター君のせいじゃないんだけど。じわじわとTKOな一日である。こういう日はおとなしく就寝するべきだった。コタツに身を包んでしばらくボーっとしてみる。これもこれで最高に非建設的で効果的なのだが。ボーっとするためにボーっとして、ボー・・・。ぼーーーー・・・・・・コクリ。出られない・・・。

前向きに生きることは本当に心構え次第だと信じています。中からなるしかないんです。いや、別にならなくてもいいけど、どうせならなる方がよか。周りに便乗してちゃあ、ろくなことにならないし。でもダメなときはどうしようもなくダメなのよね。

まぁ、慢性的に笑顔ってのも気味悪いだろうからこういう日もあってよいのかと。
どうだ。
ちょっと前向きだったぞ。
べらんめぇ。

タイトルはstina nordenstamのmemories of a colorより。

2.14.2005

ネガティブ・アンパンマン(続編)

ということで、製作会社の株式会社バップに下記メールを送信しました。愚痴だけで終わるのも良くないしね。

担当方

先日、2歳の息子と「アンパンマンとのおやくそく」のDVDを見ていました。どうも内容的に納得がいかないことがあり、メールさせていただきます。

どうも、アンパンマンの口から「ダメ」という言葉がやたら多く感じました。「わがままはやめよう」、「すききらいはよそう」といった、どちらかというとネガティブなトーンが気に掛かりました。子供の発達ステージに応じて、時には「ダメなものはダメ」というメッセージももちろん必要かと思いますが(たとえばガス栓は絶対に触るなとかね)、実際収録されていた内容についてはもっと、なんといいますか、ポジティブな言い方をした方がいいと思うんです。たとえば、「好き嫌いはダメ」というメッセージでなく、「なんでも食べようね」だとか、凄く凄く細かいことだとは分かるのですがトーンが大分違うと思いませんか?単に「ダメ」で片付けてしまうと、物足りなさを感じます。

出来てしまったものに対してあぁこう変更が効かないのは分かりますが、もし今後の作品のご参考にでもなればと思います。

ご参考まで。


さて、返事くるかな。

ネガティブ・アンパンマン

息子が見るビデオの中で、一つ気になっているのは「アンパンマンとおやくそく」というシリーズだ。通常のストーリー物ではなく、様々なTPOでのお行儀についてアンパンマンやバイキンマンがコント風に演じて面白おかしく子供に教える、というコンセプトである。

やたらアンパンマンが説教がましい。「ダメ」という言葉が多いのだ。「わがままいっちゃダメだよ」だとか、「こういう風にしちゃあダメだよ」だとか、「君はこうしてない?」と子供を攻めたりする。DVDのパッケージの裏面の目次も、同様「わがままはやめようね」「すききらいはよそうね」・・・おいおい、こんな教え方じゃあ、子供たちがアンパンマン嫌いになっちゃうぞ・・・と思ってしまう。「ダメ」といっておいて片付けたつもりじゃあ、教育パパでもないけど合格点は与えられんな・・・。

いや、バランスの問題だとは思います。子供は確かにそれまで発達してないから、スパッというものはスパッということも必要だ。でも、全てに大して「これはダメ」だけでは発達が止まっちまう。なにかポジティブに動ける言葉にしないと・・・「わがままはやめよう」じゃなくてさ、「おかあさんの言うこと聞こうね」に言い換えるとかさ、「すききらいはよそうね」より「なんでも食べようぜ!」の方がよっぽど気持ちよいと思うのだが・・・。「走るな」じゃなくて「歩こう」である。

オイラが神経質すぎるのだろうか・・・。

2.09.2005

おかしな衝動

本日午前中は江東区の免許センターに行き、更新手続き。「チカコちゃんとカナコちゃん、今でも天国で歌ってますか?」のビデオを見せられ、お酒は飲めないけど飲酒運転は絶対しないぞっ!と自分に硬く誓う。講師がやたらプレゼン上手(そりゃあ上手くなるべな)だった。一日何回も同じことをやってるのだろうが、しっかり言葉に熱を入れてることに関心してしまった。結局、初めての更新なので2時間の講習を聞かされ、気づけばお昼前。

会社に戻る時間がなかったので、その足で直接日本橋に向かい、取引先で上司と待ち合わせ。一時間も早くついてしまったので近くの高島屋のおしゃれなブチークを物色する。

気づけば、1時間後に取引先と会議があるのにネクタイをつけていない。朝出かけるときに、忘れていた。悪い癖なのだが、私のネクタイたちは会社のデスクに散乱している。首をしめつけるものはあまり好きでないから、必要なときだけつけて、必要なくなった瞬間に外してデスクにポイ、という習慣が身についてしまったのだ。ということで、しょうがなく高島屋のおしゃれなブチークでネクタイを買うことになったのである。

普段であれば、ちょっと憂鬱になっていたはずだが、今日はおかしな衝動がおきた。「今日は奇麗な水色のネクタイをまきたい。とにかくまきたいのだ。」意味わかんねーであるが、ネクタイ無しの変なお兄さんがお暇なおマダムたちにまざって、おーっほほほと(嘘)紳士服のブチークを次から次へと探し回り、水色のネクタイをあさっていたのである。1万円のネクタイを買ってしまった・・・。

今夕方、会社にデスクにいるが、なぜかそのネクタイをつけたままである。もうそろそろ窮屈になってきたかも。

外そ・・・。

2.07.2005

消耗戦

マラソン選手にとって、レースを走り終えた直後に気を失ったり、下呂を吐いてしまうことが最高に嬉しいこと、という話を聞いたことがあります。ようは、ありったけのエネルギーを消耗しきってぶっ倒れることが良い、らしいです。もちろん、レースの最中ぶっ倒れてしまえばNGなのだが、体力を残したままレースを走り終えてしまうとなんらかの非効率があった、という悔いが残るそうです。ラストスパートもっと出せたんちゃうか、など。

第3ライブの一日は平凡に始まりました。午前中は病院に行き、皮膚科の先生とアトピーの相談。何人目の医者になるだろうか。外が寒いおかげで調子がいいので、こっちから「この薬とあの薬とこれくれ」状態でほぼ一方的にかたづけてしまう。先生、ごめんよ。でも、オイラはこのアトピーとは長い付き合いなのよ・・・。自分自身成人アトピー持ちの医者と会ってみたいとふと思う。

「これ、10本処方してもらえないよね?ダメかな?」
「いやぁ、怒られちゃうよ・・・。」


会話の内容がわからなければ実にいかがわしいやりとりだ。

その後、家族をつれて車を試乗しに行く。今すぐ、ってわけではないが、ちょうど子供もタイヤのあるものに興味を示し始めたので面白いかと。当然、いざ乗ってみたら買いたくなったが、今のところ経済的に難しいか。スバル。たーぼだ。たーぼが気持ちよい。エンジンの構造はポルシェと同じなんだとか。うまい、安い、早い国産ポルシェということか。

四谷のライブ現場まで早送り。全体の出来は前のライブよりは結構よかったと思います。自分に甘すぎるかもしれないけど、少しだけ進歩が見えてきた気がします。気持ち良いくらい疲れました。一日たっても左手の指のタコがジンジン痛みます。だけど、冒頭の話に戻るけど、ぶっ倒れるほどではなかった。いつか、その快感を味わってみたいと思う。ステージで下呂吐くのはまずいと思うけど。

いい一日でした。

2.03.2005

父親の言いたかったこと

昨日、二つのブログを書いた後、高校の頃の父親の言葉がふと思い浮かんだ。

雑誌は読むな。
新聞も読まなくていい。
本を読みなさい。


当時は全然意味がわからなかったし、なにしろ父親とは顔を合わせる度に口喧嘩になるほど仲が悪かったので、そもそも彼の言葉を受け入れる心すら無かったのだと思う。殴られたり怒鳴られることが多くて、今の平和マニアな僕ちゃんが育ったわけだが。余談。父親は台湾人で、日本語があまり上手くなかったため実際は(お父様ごめんなさい)「雑誌、ヨクナイ」だったんだか、「雑誌ノー・グッドネ」という感じで実に理解しにくかった。私も日本語に関してはあまり偉そうには言えないのだが。今になって思い返せば、父親は自分なりに不慣れな日本語で子供を教育しようとするフラストレーションを相当抱えてたんだろうなぁ、と思う。たまに電話で話すが、未だ会話がかみ合わないこともよくある。

特にすばらしい言葉だとも思ってはいない。結局は学問肌の人間の偏見が混ざってると思う。父親の性格からすると、一部チャラチャラしたマスコミを単に毛嫌いしていたのだと思う。時代に流されながら、時代を「表す」ほかになにも役割のない存在、みたいな。ただ、今となって彼の意見が正しいのどうのこうのはどうでもいい。単発に、言いたいことの「キモ」だけでも一生懸命吐き出してたんだなぁ、と愚かな息子は振り返って思えたのでした。

2.02.2005

きらきらと騒音

秋の終盤だっただろうか。飛行機のキャビンの空気はよどんでいて、暑い。苦い味が呼吸を詰まらせる。楕円の窓から都会の明かりがやっと見えてきた。まだまだ出張慣れしてるわけでもなく、おまけに新しい革靴を履いていたため足が痛い。21時過ぎの到着となると、リムジンバスの最終便も、成田エクスプレスももうないだろう。これは、まいった。

飛行機の高度が下がり始め、毎度おなじみの痛みが脳の中から突き刺さり、聴覚が曇る。今日はいつもより耐えがたい。気を紛らわせるためにまた窓の外を見たわけなのだが、狭い視野を多くのきらきらが埋め尽くしていた。空港の駐車場、滑走路の明かり、車。外の空気が澄んでいたためか、ひとつひとつ、明りの中心から小さく光っている。昼間の日差を蓄えていた地面からの熱気でまばたきしていた。

景色にとらわれるまもなく、飛行機のタイヤが地面を噛む。がががというよりはごごご。足元がひどく揺れる。翼のフラップも悲鳴を上げている。経験する度に思うが、ありったけの力で止まろうとする飛行機の惨めな姿は、空中での優雅な姿とはあまりにも対照的だ。

飛行機を降り、だだっ広いターミナルを抜け、地下の駅にたどり着く。

砂嵐

「ザー・・・・・・」

帰宅したのは午前1時過ぎだった。新しいマンションに越してきてからもう2、3ヶ月たつ。このマンションに決定した理由は、築浅であった以上に、日当たりのよさだった。妻はそれにえらいこだわりがあるようで、数十件の不動産屋を見回った結果、やっとの思いで入居を決めた。男は妻のすさまじいこだわり方には多少疲れていたが、それより40平米の部屋を後にすることができただけで幸せだった。

「下町のほうが、やっぱりあたしとこの子に合うみたい。」

重いドアを開けると、居間の方からテレビの砂嵐の音がする。玄関の自動センサーがドアの動きを察知し、無言で豆電球がポツリとつく。男は背広を脱ぎながら居間の方へと進み、ひとまず椅子に座って、ため息を一つ、ついてみる。また寝る前に掃除機をかけていたようだ。

男は下着姿になり風呂場へ向かうが、ふと思ったかのように立ち止まり、途中で寝室のドアをそっとあけて覗いてみる。ドアの隙間からの光がちょうど顔にあたったせいか、妻は寝返りを打って、小さな声で「おかえりなさい」という。