3.30.2005

布壁のスタジオ

サッカーフィーバーを機に本日19時過ぎ帰宅。妻・ちびっ子が実家に帰ってることを機に、そのまま一人で錦糸町にくりだしスタジオ。当日予約であるため一時間しか部屋をおさえられなかったが、至福のヒトトキだった。

久しぶりに、一から十まで一人作業。友人の結婚式用の曲である。<読者層ざわめく。「てめーのツラに似合わねぇことすんじゃねぇ」。>まぁだまらっしゃい。たまには人のために何かやってやりたいと思ったりするさ。そうだ、自分なりに飛びっきりロマンチックなバラァドを作ってやろうではないか。べらんめぇ。

とか言いながらも案外難航していたのです。フツーに自分の曲を作るならばさほど問題ではないけれど、今回は決まったTPO。初体験。1ヶ月ちょっとかけてようやく基本のメロディと雰囲気が出来上がったのだが、今から足早に編曲作業に突入。アコギが中心だが、ベースとドラムが入ればどうなるだろうということで、ひさしぶりにケイスケのワンパターンうんこドラム&えせベース炸裂である。まぁあまりこのアレンジには期待していなかったのさ。ふっ。といさぎよくあきらめ、半笑いしながらスタジオを後にする。やはりアコギの曲だ、アコギ。ややこしいことぁしない。

と何かふっきれたんだか、ベースと録音機材をかつぎながらも住吉までの足元は軽い。
オニィサンマサジイカガのお姉さんも、キャッチのお兄さんも笑顔。

3.28.2005

サイクロンの逆襲

真の宿敵という存在は、ある意味、身近なものでないと宿敵と呼べない。そもそも定期的に争うからこそ宿敵と言えるわけであって、互いへの憎しみを膨らませながらもライバルとして徐々に認め合っていく列記とした関係である。私にとって、そいつは我が家のクローゼットに潜むナショナルのサイクロン式掃除機MC-F300XGである。こいつぁキライだ。今のところ認め合いの関係にはいたっていない。ちなみに、この件私にとってちっとも笑い話でない。

何が悪いかというと、まずヤツの音である。子供の頃から掃除機の音が許せない、というか、恐い。あの「ぎょえ~~~~」の出だし音は良く聞くと普通の音でない。数え切れない雑音の集合体であって、それぞれ音程やリズムの領域を超えていて、脳みそに直撃する無数の針の他ならない。「強」設定のヤツに人の顔があったとしたら、目をこれでもか、とおっぴろげて「あ゙~~~~~~~~!!」と、発狂する表情を思い浮かべる。無機質で、不安で、誰も止めない限り永遠に叫び続ける。なにを吸い込ませても、「あ゙~~~!!」は衰えずに続く。人の顔で想像してみてください。私にとって、ホラーモノに等しく、調子が悪いときに妻が掃除機を走らせてると風呂場かトイレに避難することが多い。

あとは、あのゴムのパイプでつながっている複雑な構造。意思を持ってるかのように使いにくい。私はかつて、テレビのCMで見るように掃除機をエレガントに使いこなした人を見たことがない。ガタガタゴトゴト、と様々なプラスチックが複雑にぶつかり合う音も苛立ちを誘う。あぁ、ダメだ・・・。想像してしまった。とにかく、家電の中でも、精神病院行きなのはコイツだけなのである。

ちなみに、他の家電たちを同様に擬人化して見ても、それなりに温和なイメージしか思い浮かばないのは私だけだろうか。たとえば、冷蔵庫・・・ブゥーーーンと、おとなしく、静かに食物を傷みから守る。洗濯機・・・ゴットンゴットン、よいしょ、よいしょとリズム良く洗う。コタツなんてこれ以上やさしい家電はなかろう。

3.25.2005

地下にもぐると

昨夜、高校時代の友人Sと六本木にて焼き鳥&釜飯屋。彼は外資系投資銀行でバリバリ働いちゃってる人。かつて私も同じ職業だったが、昨年の暮れにピリオドを打ち、現在の会社に転職した。Sの話し振りから、明らかに当時の自分の熱意をはるかに上回るものを感じて、やっぱり自分にとって転職は正しい選択だったと確信する。当然SもSで悩みは決して少なくないが。

2時間弱話し込んだ。会話の内容はお互い漠然としていて、仕事、私生活、セックス、家族、音楽、共通の友人・知り合いの近況の探りあい、という調子でテーマは自由に行き来し、終始宙返り状態で楽しかった。久しぶりにまったく気を使わない話をしたような気がする。

大江戸線経由で帰宅。六本木駅で大江戸線に乗るには約50メートル地下に潜る。次から次へとエスカレーターを乗り換えて、なんだか行ってはいけない所に向かっているのではないかという不安さえ感じる。そして、ようやくホームにたどり着く。ここに来る度に思う。いつも、不気味に、静かだ。22時の六本木はもう少し元気があってもいいと思うのだが、電車のシャフトからごぉごぉと空気の音がはっきり聞こえてくる。わざわざ「六本木ヒルズ前です」とうたってる駅看板の脚注も拍子抜けだ。

車内も同じ静けさに包まれている。清澄白川駅まで20分。空いてたのでシルバーシートに腰を掛ける。目の置き場に困るが、向かい側の窓に落ち着く。とそのとき、かすかな目線を感じる。向かい側のシルバーシートに座っている、20代後半くらいの女性。ショートカットの茶色の髪の毛、長い黒革のブーツ、小さく赤い唇、鋭い目。キレイだった。彼女もキョロキョロしてる。左手の薬指にはコーディネートから少し浮いてるように見える大きな金の指輪。彼女と20分の間、沈黙版ダルマさんが転んだごっこをして楽しむ。降りるときには少し名残惜しかった。「なによ、あの変なスーツ」と思われていたのだろうか。でも、初球はあきらかにそっちだったのだからな。

3.24.2005

ぷぷぷぷろ意識ぃ

「集客」についてギター氏と話し合う。ライブをいくつかやって来た中、今後はどうにか、少しずつでもお客さんを増やして行きたいと思う。当然のことながら、今までどおり自分達がより良いと思える音楽を作りつづけ、より完成度の高いステージを目指して、目の前にいる観客に100%をぶつけることがあっての話。その部分は僕らの基礎だと思う。じゃあ今まで縁の無かった人に対して、僕らのいるライブハウスに踏み入れるきっかけをいかにつくれるか・プラスアルファ何をするか、という話だと思う。少しだけ、他のバンドマンにとってはありきたりな話かな(笑)。

昨夜のアイデアは路上・・・やっちゃう?近所迷惑だということには目をつむるとして、確かに不特定多数への一番ダイレクトなルートである。場所選びに気をつければ、パクられはしないと思う。路上なんて、何年ぶりだろうか・・・。とりあえずアイデアだけでもメンバーにぶつけてみることに。ちょっとやって見たいと思う。あとは無料CD配布、地道なネットワーキング、他他他。でも僕にとって一番パンチの効いた提案は今のところ路上。

何か。僕らにしか出来ないことを探したいと思う。

3.23.2005

ボヘミアンのごとく

我とは? 詩人である。
職は? 物書きである。
どのように生きている? ただ、生きている。

私は幸せな貧困の中、愛の詩や唄を
王族のように浪費する。
希望や夢や空の城に囲まれて
私の心は大富豪だ。

-- rudolfo, la boheme(意訳)

これを読んで少し幸せを感じました。

すれ違い

2005年3月23日、日本経済新聞、朝刊1面より:
「ニート85万人に、10年で18万人増」

このうち、将来の就職を希望しているのは約43万人、就職を希望していないのが約42万人だった。・・・政府は、社会への参加意欲が乏しい若年層の増加は「少子高齢化の進む人口減少社会で経済の活力を一段と失わせかねない」としてニートの就職支援に本腰を入れる・・・教育、福祉、雇用などの専門家が連携し、ニートから個別に相談を受ける体制を充実させることなどを盛り込んでいる。

2005年3月23日、ケイスケの勝手な意訳、本日第一号:
「育てられた通りに生きてるだけなのに、と訴える若者85万人に」

このうち、働いてもいいんだけど父親と同じ目にあうのは絶対やだけどどこ行けばまったく分からんというのが約43万人、「はぁ?なんで今更せかすの?」という答え約42万人、いいかげん俺たちをモノ扱いするのはやめろと腹を立ててるのは約85万人。・・・道端の若者は、社会への参加を敬遠するに関して「今はどの仕事もおもしろくなさそう。子供のころから父と母には好きなものを探し出して頑張りなさいと言われてきました。それがまだ見つかってないだけのこと。イヤな仕事を中途半端にやるよりは、本当にやりたいことを探すために時間を費やした方が得でしょ?就職してる・してないという結果論がムカつく」と重い腰を動かそうとしない・・・区役所がどこにあるのか分からない、「ピンとこない」ということから、専門家に会う気なんぞサラサラないらしい。

3.22.2005

形見と出会う

月曜日、中央区は八丁堀に出かける。東京駅から1、2キロ離れた古いマンションの一室。父親がバブル期に買ったもので、そこに住んだことはない。結局20年間、時には人に貸したり、時には父親自身が一時帰国の際に使ったり、とにかく中途半端な位置づけにあった。父親は最近また賃貸に出すことを決心したらしく、海外からの遠隔操作で私と叔父に荷物の整理を依頼していたのである。

「いらないものは捨てていいから」。古い布団や食器など、殆どゴミの処理だと思い込んでいたのでナメてかかったのだが、次から次へと「捨てられない」物が出てくるにつれて、このマンションが我が家の蔵として機能していたことに気づく。一番古いものでは大正時代の写真のアルバム。戦闘機の写真。赤子から年寄りまでカメラを不思議そうに見つめる家族写真。魂吸い取られるんじゃねーか状態である。実家はもうないので、何年も人が出入りすることにより、我が家の歴史がこの今にも倒れそうなマンションに一つずつ、ゆっくりと溜まっていったようだ。

私が午前9時過ぎにマンションについた頃、叔父と叔母はすでにせっせと頑張っていた。大きなゴミ袋を除くと、切り込みの人形をひとつ発見。子供の頃の思い出がぶわーっとよみがえる。母側のばあさんが作ったものである。記憶が正しければばあさんは1988年に糖尿病で亡くなったのだが、当時3人兄弟の末っ子だった私をかわいがってくれた記憶が鮮明に残っている。幽霊をなんとなく信じてる私は、今でも守護霊がついてくれているのであれば多分あのばあさんだと思いこんでいる。

叔父も特に悪意があったわけではなく、他にも沢山人形があったため、右手を失っているこの一つだけを捨てることにしたらしい。髪の毛もはがれそうだ。とりあえずゴミ袋から救出し、私の部屋で飾ることにした。なんか、目あっちゃったし。日本人形は恐い、というイメージもあったが、私にとってこの人形の顔は、ばあさんとのつながり故かフツーに親しめる表情に見えた。

3.20.2005

縁は縁は縁

ベースさん、残留することに。本日ライブをやり、その後のミーティングで決定。醜い争いを表までに出してしまい、反省してみる。ごめんなさい。説明責任があろうにコラ、ということで説明。ライブレポは近日バンドのホームページにて。

ベースさんが脱退宣言した後、4メンバー内、あらゆる組み合わせで電話が飛び回った。カオスの回覧板。それで明らかになったのは、多分どちらかというとベースさんもやめたくないとういこと。それを受けた私は、その瞬間では心がシュンと閉じて、子供になった。なにを今さら。ヤメルという言葉の重みを思い知れ、とみるみると醜くくなっている自分もいた。そのままライブ直前リハ突入。思ったより物事は円滑に進み、ライブもなんなりと。おかげでオーディションは一応通過、ライブハウス担当人のお褒めの言葉もいただく。個人的には細かいミスは多々あったものの、今までのライブでは一番消耗できたと思う。歌い終わった後、床にへたり込んでしまいました。おそらく見てた観客からして、その有様非常にダサかったのですが。腰が痛いです(ベースさんは「歳ね」とバッサリ切ってくれました)。

その後のミーティングでは、とりあえずライブの反省会を行い、その間ベースさんは居心地悪そうに座ってる。ムリもない。反省会を済ました後、本題に。どうしよーか、と話は始まる。メンバーがそれぞれ腹を割って自分の意見をフルメンバーの場で言ったのは初めてに近いかもしれない。よく分からないけど。まぁ、敢て話を少し省略しますが、お互い新たな気持ちで頑張っていこうではないかと。せっかく本気な喧嘩をしておいて、今後良い方向に何かが変わるかもしれないのに終わらせるのはいかがなものかと。このバンドが好きでいてくれる人が居てくれることに越したことはない・・・等々。もちろん、バンドとして色々決着をつけなきゃならない課題は山ほどあるけど、再び4人そろって前向きになれたかと勝手に思ってる。民主主義を実現するってことはハッキリ言って難しいけど、私的にこのバンドにとって大事なことだと思ってる。一つ、ベースさんのうれしかった言葉、このバンドとこのバンドの曲が好きなんです、と。うぬぼれすぎるのもアレだけど。

なので、数日間のご迷惑、リスナー・読者の皆様申し訳ありませんでした。
次のライブに向けて、新たな気持ちで挑みます。

3.17.2005

大馬鹿理論

唐突にも株式市場の話をしてみようではないか。「大馬鹿理論」、聞いたことありますか。なかなかおもしろいんです。

空想の上場企業A社があったとしましょう。A社は腐ったみかんを売っています。はっきり言って、イケてません。利益は愚か、売上もありません。でもなぜか上場してます。ところがです。A社はある日、インターネットでこのような発表をしました:

「風の噂で、腐ったみかんはタンザニアで売れることを知った。早速明日からタンザニアにて事務所を設け、営業活動する。年間500億円の売上を見込む。原価もタダだから利益も500億円。すごいすごいすごい。」

とのこと。さてどうでしょう。賢いあなたは知っている。タンザニア人は古代から大の腐ったみかん嫌いであることを。売れるはずが無いし、A社の発言は明らかにハッタリである。一方で、あなたの隣に座っている同僚のコバカ君。あなたと同じパソコン画面でこの記事を見ていたが、哀れにも、まじめにタンザニア万歳状態である。

「俺、A社株買って見ようかなぁ・・・なぁ、どう思う?」

ちょっと意地悪なあなたは彼に本当のことを教えない。なにしろ古代タンザニアの歴史を教えることとなればダーリンとのおデートに遅刻してしまうため、いいじゃん、と片付けてそそくさ出かけてしまう。彼が見ていないところで鼻で笑ってみるあなた。コバカ君は結局、エイヤで全財産を費やし、A社株を200億円分購入してしまう(コバカ君はボンボンだ)。ところが数分後、彼と同じ考えの人が次々とA社株の買い注文を入れ、1時間後には株価が倍になっているではないか。まさにバカの祭りである。コバカ君はびっくりして、どこまでもドジな彼はパソコンの操作を誤ってしまい、その瞬間に持分を全て売ってしまう。そして彼の当初200億円の投資が400億円の現ナマに化けてしまう。

翌日、あなたはコバカ君に、あの株は結局買ったのかい、といい人っぽく尋ねてみる。

「いやあ、オオバカ君、昨日は凄かったんだよ・・・」

3.16.2005

結露水

早速バンド再編成に向けて、ギター氏、ドラム師と相談し、ひとまずベーシストを募集することに。時間かかるんです、これが。元ベース嬢と出合うまで3ヶ月かかったし、ドラム師は4ヶ月かかった。おそらくそれでもまぁまぁ早い方だったと思います。今のところは長期戦を見込んで行動するべきかと思ってます。余談ですが、私がピンで行動していたころも色んな人と出会いましたが、厄介なケースを除いて結構楽しかった。今回はライブのスケジュールのプレッシャーもあるので楽しいことばかりではないけど、新たな出会いをすることには前と同様、少しワクワクしています。そうです。馬鹿なんです。

決め手は結局出会い次第であって、僕らが具体的にできるのは、出来る限り幅広く網を広げる以外あまりない。あとはホームページを少しキレイにしたり、参考になりそうな音源を少しアップロードしてみたり。インターネットのバンドコミュニティーに募集記事を投稿するのと、ギター氏・ドラム師・僕の3人の個人ネットワークの二つの方法に頼ると思う。イチカバチで楽器屋・スタジオでビラも一応貼っておこうかな。

見つかるまでは、少しお金の負担が重いが人を雇うか、思い切って一時期3ピースにチャレンジするかどうか検討中。

3.15.2005

沸騰したけどただの水

バンド活動をするにあたって、「別れ」というものは必ずある。私は経験が長いわけでもないですが、今はその言葉にすごく納得しています。イヤだけど、今後こういう状況に慣れないといけない。

ベースさんが次回ライブをもって、脱退することになりました。「音楽性の違い」と便利な台詞でも使って忘れたいところですが、本当のことを言うとそれほど完結なものでなく、醜い場面もあり、自分としても至らぬこと多々あり、心残りな部分も正直あります。でも、その中でも前向きになれそうな要素も実はあって、これを機に大きくなれれば、と思っています。ひとまずは新しいメンバー探しに励んで、良い出会いをしたいと思います。ちなみに、今決まってるライブは当然のこと、このバンドに並びこのブログは変わらず継続するので皆様ご覚悟を(けけけ)。このプロジェクトを死なせるわけにはいかんのですよ。音楽馬鹿は健在であります。

残る者片方の観点だけなので、反対側の意見も十分に反映していないかもしれないけど、話を整理しておきます。結局は曲作りのプロセスで意見が分かれました。今までの曲に新しい変化を加えたい僕の反対側に、元の曲のままにして、アンサンブルとしての演奏を固めたいベースさん。僕自身(とおそらくギター氏、ドラム師)はどんどん新しい変化を加えてよりそれぞれのイメージに曲を近づけていくことにモチベーションを見出してると思います。悪く言えば、飽きっぽいのかもしれないけど、よく言えば「もっと良く出来る」といつも思い込んでいる。多分両方なのだと勝手に思ってます。当然演奏を固めることも大事だと思ってるけど、どうしても自分の中で「内容」と天秤にかけると優先順位が低い。納得が行く内容あっての演奏、というのが最終的に僕の主張になると思う。

ベースさんにしてみれば、そもそも演奏がだらしなければ、よい内容だったとしても輝くはずがない。別にどっちが正しいって話じゃありません。結局はヒヨコとタマゴ、どっちが先だったか的な話。現に僕らの練習には地道にメトロノームを用いた練習もあれば、フリーセッションもやってます。でも、それにも関わらず、これが別れの大きな要素であったと思います。でも決してこれは僕らのバンド内で新しい話でも何でもありませんでした。

単純にその新しい曲の要素を気に入ってもらえなかった、というのもあるかもしれないです。それなら、繰り返すようですが残念ながら「音楽性の違い」で片付いてしまうのですが。ベースさんにしてみれば一生懸命「元の曲がいい」と主張しながら「やっぱりこっちに変えよう」というコンセンサスとなれば、自分の意見が支持されず、腹立つ気持ちもなんとなくの程度だけどわかる気がします。でも、腹が立つほどくっきり趣味が分かれたのか・・・。

整理整理といいながらあまり整理されていませんが、ベースさんは辞めることになったわけです。僕にとって心残りなのは意見の相違そのものではなくて、最終的に感情論になってしまって、あまりよくない別れ方になったこと。自分ももう少し、今文字で書いてることをしっかり声で伝えられればなぁ、と思うばかりです。最後の電話ではハニワになってしまい何も言えず、あー、俺なさけねぇとも思いました。偽善者ぶってないで、怒ってるのかって?うーん。ちょっとくらい。でも悲しいのがもっと大きいです。でも、今はとりあえず前に進まなきゃ。

3.14.2005

沸点が一番おもしろい

読み返すと、最近文章が乱暴。これはよくない。もう少し丁寧に書くように頑張りますです。

ライブスケジュールが活発だ。というのは、割と近日の4月10日に飛び込みで決まっただけのことだが、その5日後にもイベントの予定も既に決まってる。月に2回ライブをやるのが初体験である。単純な考え方だが、今はある程度がむしゃらに人前で演るのが成長につながると思ってる。私をはじめ、今の連中は実に煮詰まりやすく、議論の悪循環に陥いりやすい。そういう意味では、ライブという区切りがとても大事だと思う。ようは、モメゴトをするヒマがないくらい忙しくしたい、ということである。

とは言いつつ、最低限バンド内のモメゴトはそう簡単に避けられない。つい先日の練習でも、既存の曲に新しいフレーズを入れる・入れないで結構真剣なやりあいがあった。殺し合いと書いた方が正確か。まぁ、あまり美しい光景ではなかったわけだ。ただ、誰かが悪かったわけでもないし、むしろそれぞれ思ってることを熱く思っていて発言するのはいいことなんだけど。こういうのは、いずれはお互い神経ぶっとくなっていくのが理想なんだろうな。

一方で、肝っ玉小さいこと言いますが、私は子供のころから争いが極めて苦手で、そういう場では黙り込んでしまう癖があります。過ぎない台風はない、ということで、部屋の温度が下がるのをじっと待つ、というか。今後はそういった自分を変えていきたいと思いますが。共犯なので偉そうに言えないけど、本気でやりあってる時って、一瞬お互い良かれと思って発言してることを忘れてしまうこともある。

共同生命体に向けて一歩近づいたと思っていよう。
演奏は実際よくなってる。良いライブになる。
みんな、ムリせずにこらえて下さい。

あっしも皆さんをうまいこと引っ張れるような人になれるよう、頑張ります。

3.12.2005

亀だと気づく

韓国は金浦(キンポ)国際空港につくと、早速タクシーを探す。タクシーの列の先頭にいるおじさんが手招きし、「ニホンゴワカリマス」という。さぁ外国だ外国モードで気が高ぶっていたためか、少し拍子抜けだがおじさんのタクシーにのる。世間話を色々したが、15歳まで両親と浅草の近くで暮らしていたらしい。見た目は50-60歳くらいなので、半世紀近く前の日本。もう少し詳しい話を聞きたかったが、うまくかわされ天気や私の仕事の話になってしまう。ホテル前で降りるとき、

「おつりはいくら?」
「あ、韓国チップするんだ。」
「はい。」
「ああ、そう。じゃあはい。」

後ほど現地の同僚から、韓国ではチップの習慣はないときき、少し悲しくなる。初対面の人は基本的に疑わない主義だが、そのときちょっと心を狭くしてみる。それから帰国する日までは仕事漬け。致命傷だが仕事内容はあまり覚えてない(笑)。

帰りは仁川(インチョン)国際空港から。飛行機のメンテナンスで出発が遅れるアナウンスが流れたので、搭乗ゲートの近くにあったスナックバーで日本語で書かれた「おでんうどん」を注文してみる。結構高級そうな韓国料理をごちそうになった同僚には失礼かもしれないが、この「おでんうどん」が実はこのたびで一番美味しかった。別に日本のうどんに似てもいなかったんです。あたらしい味として、美味しかったんです。

機内で見たドキュメンタリーが印象的だった。アンデス山のふもとにある海は栄養豊富で、魚の人口(漁口?)がそこだけで数十億、地球でもっとも生命体が密集しているとのこと。そこだけで人間の人口を上回っている。よくよく考えてみればおかしくもない話だけど、印象に残りました。

やっぱり海外は旅行でも仕事でも苦手のよう。台湾にいたときも今回韓国にいたときもなぜか落ち着かない。共通点がないかと考えてみたが、一つ。どっちでも車酔いした。景色かね。

3.09.2005

贅沢な時間

昨日は平日深夜の練習。2時間早く代々木に到着してしまい、ひとまずコーヒー屋でカフェオレと野菜サンド、軽く食事を済ます。ここに前入ったのはsomatone結成前、ギター氏と当時のベースさんと。あの時かわいい女の店員がいたが、残念ながら今日はいなかった。半年以上前だもんな。暇つぶしのはずだったが食べるに10分もかからず、気付けば再び道に出てしまう。

スタジオへの道をまた歩き始める、駅に向かうスーツの波の逆流にあう。ようやくスタジオのロビーにたどり着き、掲示板のビラを物色したり、ギター雑誌をパラパラすること小1時間。ギター氏、ベース嬢、ドラム師、のなぜかいつも同じ順番で到着。練習は新曲のアレンジ中心、進歩あり。クリック練習必要なので引き続き土曜日に繰り越し。いい一日。無駄のない2時間練習。

明日から海外出張となってしまいました。現在会議資料整理中。ゆえに尊敬する前会社先輩と晩飯ぶっちしてしまい残念。リスケがうまくいくと願う。韓国に3日間行ってまいります。インターネットつながればそこからご報告します。なかったらはたまた小休止、お許し下さいませです。絶対、何か、忘れてるっぽい・・・

3.08.2005

座って聴く

somatoneというバンドを結成してちょうど半年くらいになります。結成当初は、音楽のジャンルだとか、どういうスタイルを追求するかは敢えてメンバー同士、きっちりとした話し合いはしませんでした。あまり激しいのはやらない等、最低限のキーワードはなんとなく抑えておいた気はしますが。でも、ひとまずは皆さん自由に演奏してもらって、できるだけ自然な形で4人のコアサウンドを引き出したかった、という気持ちがあってのことだったと思います。

今振り返って、出来た曲を聴いてみると、自分達のスタイルが少しずつ形になってきた気がします。順番があべこべかもしれませんが、これをもって自分が潜在的にどのような音楽をやりたかったのか、というのが見えてきたのかもしれません。今日は少しその話をします。もちろん、メンバーそれぞれ違う想いでやってるのは間違いないので、私だけの話かもしれませんが。ちなみに、メンバーの中で一番付き合いの長いギター氏とはこういったことで週一回は必ず喧嘩します。

僕らの曲は、遅くて静かなものが多いです。僕もどちらかというと小心者なので、それがよく肌に合う気がします。僕自身の気持ちとして、音量にしろ音符にしろスターバックスにしろ、様々な過剰供給にあるものに対して少々ウンザリする中、呼吸と隙間を大事にしようとしています。なんというか、ギター氏の言葉を借りますが「自己防衛」。悲しくいても楽しくいても怒っていても、そのそれぞれ感情と向き合える静かな時間を過ごしたいという気持ちです。のんびりはしていません。遅いだけなんです。

ではリスナーに何を期待しているのでしょか・・・今は特にありません(笑)。聴いていただいて何かよいと感じれば、それはそれで僕にとって凄く嬉しいことです。もちろん、共感してくれる人が百万人いて、僕が一生音楽をやっていけるような需要を作り出してくれることに超したことはありませんが(笑)。おっと、危うく宣伝になってしまう・・・。

と、ずいぶん調子に乗って偉そうに語ってしまいましたが、まだまだ駆け出しのバンドであります。まだまだまだだってば。本当本当。

3.07.2005

エントロピーの法則

高校時代からうっすら覚えてる宇宙の法則の話。
物理学に詳しい方、理解がずれていたらすみません。

一つの場所に物をおさめることにはエネルギーがかかります。そのエネルギーがなくなると、いずれその物は散らばってしまうという法則です。

たとえば、部屋。掃除機を掛けることや、本棚を整理すること、洋服をたたんだりすることにはそのやる気、体力、毎週こなしていく精神力等様々なエネルギーを要します。方や、洋服などクシャクシャポイしてしまえばさほどエネルギーはかかりません。本の順番も何もこだわらずに適当に山積みした方が楽です。いくら片付けても部屋には常に散らかるエネルギーが働いていて、毎回それをリセットするために私は掃除・整理するのです。再び一つの場所に色んな物をまとめようとするのです。あきらめてしまえば、いずれ部屋は満遍なく散らかり、足の踏み場のない平衡にいたるのです。部屋のものたちは本当は散らかりたいのです。私はどちらかというとエントロピーに対して連敗中となります。

私の机のものたちも放し飼いで、携帯電話も、財布も、ヘッドフォンもとっくに野生に帰っています。愛情をもって引き止めるしかなさそうです。彼等にも愛される日を待ちながら。

業務連絡:
今後ヤフーにて、当ブログと同じ内容で記事を載せていくことにしました。macユーザーで一部正常に利用できないとのことでしたので。macでない方も、レイアウト的にお好みの方でごらんいただければと思います。

http://blogs.yahoo.co.jp/keisukehinami

3.04.2005

26時間半で見た台湾

父親が一週間くらい台湾にいるということで、恥ずかしながら中国語・台湾語能力共にゼロの我が家もそれに合わせて親戚まわりをしてきた。私は実際台湾で暮らしたことがなく、そのせいだか昔から父側の親戚との縁は極めて薄かったのだが、今回のとんぼ返りの発案者は実はうちのカミサンだった。子供を見せるどころかカミサン自身も台湾のおばあちゃんに挨拶したことがなく、どうやら気がかりだったらしい。多分自分だけで、わざわざ台湾に行こうなんて思いもしなかっただろう。

空港につくと、父親と叔父が迎えに来てくれていた。限りなくはじめましてに近いこんにちはをかわした。一晩だけの滞在なので、叔父の自宅で泊まることになると思いきや、ホテルを予約していたことにびっくり。ひとまず荷物を部屋におき、ばあちゃんのいる老人ホームに向かう。

個室に入ったとたんに「よく来たね、まぁ座りなさい、お茶でも飲む?(といってたと思われる)」といった感じで、セカセカ動き始める。いや、普通にセカセカしてるのである。老人である分割り引いてはいない。いや、あなたが座りなさいよ・・・とツッこんでやりたかったくらいだ。でも、喜んでくれたようでよかった。台湾の老人は元気だ(キッパリ)。こっちが気を使っていては確実に負けてしまう。

その後、老人ホームをウロウロ見回った。歌声が聞こえてきた。クラシック曲の大合唱だ。この目で見ていなければ、間違いなく老人とは思わなかっただろう。上手かった。

残りの旅は、とにかく人に会うたびに何か食わされたということと、夜は死ぬように寝たことしか覚えていない。

本当にこの人々と血がつながっているのか疑ってしまう。

3.02.2005

ある種の幽体離脱体験

「ここで君は良いキャリアを持てる。今後も頑張ってくれ。」

とのこと。この会社で初めてのボーナスをもらう際の、上司のありがたい言葉。期待値も特に考えていなかったので、普通にボーナスというものをもらえてうれしかった。外資系企業の良いところでも多少面倒なところでもあるが、上司と部下のマンツーマンのコミュニケーションが徹底してる。今まではどこが良かったのか、どのような成果を挙げたか、今後身に着けるべきスキルはなにか、数年後は何を目指すのか、家族は元気か・・・30分だけのはずの会話が、気が遠くなるほど長く感じるのです。いや、実はとても良い人で、そこまで部下のことを親身に思ってくれる上司がいるだけ相当ラッキーだと思う。でも、口は動いてるのだが、どんどん思考が会話から離れていく感じでした。

「いや、僕は、あの・・・ミュージシャン志望でして・・・どなたとお話されてます?」

自分が選んだ道であります。後付の理由にしか聞こえないかもしれないけど。一応色々あって、この道で頑張ろうかと。当面は力ずくでも自分が進みたい方向に進まんとどうにもならんようですが。

明日・明後日、家族をつれて台湾の親戚に会って来ます。
5-6年ぶりなので、ドキドキしています。経緯・詳細は後日。
ブログは木曜日の夜に復活します。
みなさん、おやすみなさい。

<小休止>