4.30.2005

強引なくぎり

気づけば、とっくに、休日に突入していました・・・。

なにかと忙しい真っ只中での連休は、ありがたいのやら迷惑なのやら。リズムが著しく狂ってしまう。もちろん、楽しみでないわけではない、ではない、ではない。カミサンの絶大な圧力で、びっしりと旅行が予定されている。ヤツも相当ストレス溜まっていたのであろう。でも、これでは全然休めないのではないかとかるーーーく疑問なのだよ(苦笑)。いや、冗談冗談。行きます。行きましょう。楽しんでしまいましょう。良いパパをやってやろうじゃないの。でも基本はカメさんなの。分かってやって。もしもし・・・もしもし・・・カメさん・・・ツーーーー・・・。

とにかくとにかく。風邪を治さぬばならない。気がゆるんだ瞬間、これだ。あまりにも見事すぎるタイミング。そして声がちゃんと出るようになったら曲を完成させなければならない。できたらCDに音源を落とし込んで、エンジニアごっこしなければ。そして歌わぬば。そしてバンドの練習もしなければ。更にオーディションを突破しなければ。なければ。なければ。なければ。おっと仕事もクビにならないように、ついでに頑張らなければ。

これだから、春と夏は、大っキライだ。
個人的にいうと、勝算がまったくない季節。
早く寒くなってくれぇ・・・。


<しばらく。風呂掃除、歯磨き等>


それではですね。GW連休とともにfelling the titanを数日間ほったらかすことになります。
ところどころ書くかもしれませんが、基本的に来週末復活となります。

皆様良いGWを。休める人はゆっくり休んで、休めない人はあまりムリをせず、頑張ってください。
急用の方は warabimochi@ezweb.ne.jp までどうぞ。

4.26.2005

恐れるべきものは「欲」でない

「株価」って上がったり、下がったりしますね。一つの見方に過ぎないのですが、株式市場で売買される銘柄の株価の変化というのは、二つの人間的感情だけを用いて解析できると言われています。株価上昇を期待して、「買い」衝動を起こす「欲」、と、株価下落を恐れ、「売り」衝動を起こす「恐怖」。

「欲」により行動している投資家がより多いほど、需要が高まる分株価が上がり、逆に「恐怖」により行動している投資家がより多い場合、売り圧力に伴い株価は下がります。さて。「欲」と「恐怖」、どっちが強いのでしょう。

実は、「恐怖」なんです。
ふふふ。

たとえば、あなたがQ社の株を一つ、100円で買ったとしましょう。ところが、株価が50円に暴落してしてしまい、あなたは50円分、すなわち初期投資の50%の損を抱えていることになってしまいました。株価、明日上がるといいなぁ・・・と待つ。待つ。待つ。奇跡的にも、翌日株価が100円に戻りました。ラッキー♪と思うあなたは100円で株価を売り、元本を取り戻して、ケイスケが前から言ってるように、二度と火遊びはしないと誓います。

50円の損失を、50円の株価上昇分で取り戻した。
50%の損失を、100%の株価上昇で取り戻した。
あれ?

一度半分になってしまった株価は、倍にならないと元を取り戻せないんです。前向きであることがどれだけ難しいか、というお話・・・でした。

4.25.2005

華やかな墓場を

土曜日、渋谷にて、母側のいとこの結婚披露宴に行ってきました&受付担当。春だ花見だ恋だ結婚だそれでは渋谷のトレンデーレストランでそ~れ披露宴だ・・・!

という

流れで

なんとういか

季節感むんむん・タイムリーな出来事を表現するのはどうも苦手なのですが、私自身、周囲の結婚ラッシュ(知り合いだけで、今年4-5組か・・・?)に圧倒される今日この頃。ピーマンを食べさせられる幼稚園児の気持ちであっても書かざるを得ないかと。「結婚とは何か」の問題に3日間も頭を傾げていた挙句、表面化したのは肩こり・・・のみ。

結婚って未だ謎だよ。「楽しい!」というやつも、「人生的墓場」というやつも、両方とも一つの側面に過ぎない。私は責任を持ってどちらかの側面だけを強調することは出来ない。事実というのは、相手がいて、片方が死ぬまでお互いの面倒を見てやって、片方が行ったとしたら最初に涙を流すのがもう片方。途中で子供を作るやつもいるし、途中で諦めてしまうのも本人達の自由。そのくらいしか分からん。親族同士のお付き合い、というのは私にとって複雑すぎて処理しきれてないのが現状。というわけで今日はこれで解散。てか、おい。

いや、とてもいい披露宴だったんです。アットホームな雰囲気で、おいしい料理、存在すら知らなかったハトコとの初対面&相当バカな会話炸裂、新婦(=いとこ)が読み上げた両親への手紙、笑ったりグッときたり。さすがに私もそれくらいは素直に楽しかった。司会者だけはちょっとやりすぎかなと思ったが(笑)。

2001年11月22日に入籍。ケイスケ夫婦は、披露宴をしなかったんです。時間がなかった、金がなかった、等の理由があったかと思いますが、よくよく考えてみると、当時、私として「なぜやるのか分からない」というのがあったのも確かです。現代っ子なんだか、家族のためにやってやれよ、見たいな発想もなかった。私の母親の猛烈な反対活動を背景に、私が結婚後も3年間以上会話をすることがない状態であった。まぁ状況が状況で、披露宴は却下されたわけです。でもまぁ、今はそれなりに幸せにやってるわけで。もちろん、デコボコも多々々々ありますが。

昨夜、念のためというわけでないがカミサン披露宴をやりたかったかと尋ねた。予想通りというか、「気にしてない」という答えだった。

4.20.2005

大男を抱きしめた

思い出話をします。海外で過ごした大学時代、路上ライブという形で音楽活動をしていました。路上活動への案内人、そして当時の相棒だった人の話です。身長190くらいの大男。くすんだ色のボロボロの服、茶色の肌、肩まで伸びたスパゲッティのような髪の毛。何をして鍛えたのか最後まで分からなかった、一目見て体脂肪率一桁だとわかる、見事すぎる逆三角形な体系。なによりも、その大男の笑顔がズビズバ放つ、何の根拠もない、半ば強引なポジティブ・エネルギーがなによりも印象的だった。金も行き先も電話も時間もない人だった。住まい?あったかどうか分からない。

「おまえって歌えるんじゃん!ワ~オ!ケーイ(私)、ザッツ・グレイト!」

なぜか自分のことのように喜んでくれて、大声で笑う。お薬にはまってたわけでもない。私は今思い返せば、人として、彼に恋をしていました。

毎週土曜日早朝、郊外の百姓が都内に集まって開催するバザーが僕らのステージだった。地元のじいさんばあさんも、恐いドラッグディーラー兄ちゃん系も、大学生も、家族連れも睡魔と戦いながらもバザーをにぎわせていた。僕らはその隅っこで、当時のダサいトップ40を、昔のロックを、フォークを、ブルースを、プリンスの「キッス」を、冬にはクリスマス・ソングを、全てアコギ2本と声2本で演じた。パフォーマーの魔力。彼は小学生の女の子の顔をまっすぐ見つめてドアーズという超昔のバンドの歌をなんのためらいなく、世界最大のアリーナにいるかのように歌った。少女は心を奪われ、踊った。ゾクっときた一瞬だった。誰の曲だなんて関係なかった。

私の帰国間近。最後の路上ライブを終え、ギターケースに放り込まれた合計7ドルを持って、真昼間、ガラ空きのバーで乾杯する。彼の表情が出会って以来初めて曇る。

「俺って27歳っていってたじゃん。実は37なんだ。」
「今まで嘘ついててごめん。」
「ケイ、俺は今、恐いんだ。」
「ガン。」

どうせ手持ち荷物が多すぎたこともあって、私は彼に自分のギターをプレゼントすることにした。彼のギターは1曲弾いただけでチューニングが狂ってしまうほどオンボロだった。

バーの入り口で、ぎゅっと抱きしめられた。抱き返さないのが物理的に不可能だった。大男に、純粋に、抱きしめられた。その感触は未だ忘れられない。

帰国以来、彼と連絡を取ることには未だ成功していない。誰か、アメリカ合衆国メリーランド州ボルチモア市に住む、金も行き先も電話も時間もないデビッド・パターソン君、現在40歳以上、知りませんか。

4.19.2005

ユダの弁明

昨夜、おかしなテンションの妖精が久しく舞い降りてきて、耳元でささやいていたわけです。ヤツのせいで、あー後悔するんだろうな・・・、と確信していたのにも関わらずついつい、↓のような文がタラタラ書かれてしまい、気付けば「投稿」ボタンが押されてしまったのであります。ヤツははっきりと言いました。

「たまにゃぁ、さらけ出してしまいなさい」

んでまぁ、少し恥ずかしかったけどスッキリしたわけです。最近、自分のブログを読み返して思うんです。たまーにですね、尊大ぶってるんです。自分のことなので100%客観的になれるわけがないんだけど、どうしてもね。自分なりに音楽活動への思い入れが凄く凄く激しいわけだから(そうでもなければこんなダラダラとブログを書けるわけがないんですよ)、自分を必要以上に大きく見せかけようとする傾向が最近色濃くなってる。でも実は割とちっちゃい方の人間でして。こういう中、ようはアレなんです。たまには己をじーっと見つめて思いっきり笑ってやりたいだけ。ブログを通じて、一応バカだよ~、とついでに皆様にもお伝えしようかと。自覚症状有り。既に気付いている人が大半を占めるかとは思いますが。

自分のやってることを、敢えてバカの観点から見ると、案外自分のやってることの核が鮮明に見えたりすると思うんです。何が大事なのかって。単純な目で物事を捉えられるようになる、というか。笑うことは大事なんだと思います。現状の自分は地味に頑張ってる音楽家志望者兼夫兼パパです。そして笑う人なんです。

カッコつけたってたいして変わらないって、頭ではわかっちょるんです。
わかっちょるんだがやっちまうのが人なの。

4.18.2005

過去の悪事の告白、総集編(おまけ)

これで、思い残すことなく前に進めるはず・・・。ごめんなさい・・・。

その①
私の風呂場の十八番は「北風小僧の寒太郎」です。この5年間ほど。ひゅるるんるんるんな所を3回くらい繰り返して歌います。歌詞は2番くらいまで大丈夫。

その②
カラオケ大会という悪事に手を出した過去があります。フミヤを熱唱して、米10キロと醤油をあてました。お金がありませんでした。

その③
幼い頃から音楽以外の趣味は折り紙でした。一つの紙で3羽つなげる「巴鶴」、自作品あります。仕事中、たまにこっそり折ってます。見せびらかす相手が会社にいないので、ポッケや引出しに放り込まれ、忘れられます。

その④
一昨年正月の特番、小学生の「30人31脚」を見て号泣してしまいました。

その⑤
キャッチボールが大好きですが、相手グローブにボールがまともに届くのは10球中1回あれば上出来です。息子にちゃんと教えられるか不安です。巨人が負ければ誰でもいいと思ってます。

その⑥
女性に告白されたことなんかありません。おっかけっぱなしです。私の左耳軟骨にピアス穴二つ空けていますが、当時は「これでモテるかな」期待度30%くらいありました。今はあきらめています。

その⑦
もてるどころか、小学時代、ほぼ毎日のように、放課後はクラスの意地悪な女子に追い出されるように校門を掛けぬけて、逃げて帰宅していました。リベンジを果たせないまま転校。

その⑧
一つの下着で5日間暮らせる(前・後、裏・表、ノーパン)ことを過去に実証。ノーパンでジーパンをはいた日が一番気持ちよかったです。その後1週間くらいノーパンで暮らしました。単に下着いらないと実証したことになります。

その⑨
子供が見ている「おかあさんといっしょ」の歌のおねえさんにドキッとしたことが数回あります。

悟らなくても良い

ピカソの死に際の言葉、「俺に乾杯」。らしいです。一つの頂点だったんでしょうね。それに加えてとんでもないエゴ、というのもありそうですが。でも、かっこよくてステキな言葉ですよね。到底ピカソなんぞ次元が違うことは重々理解しているので、突然ナルシスト炸裂することはないです。ご心配なく。まぁ聞いてやってください。

「今はまだ一生懸命弾いてるだけ」、と某モノクロビジョンというバンドの名ベーシスト、A氏はふと言う。私は彼女等・彼等のステージを2度しか見たことがないけれども、客席からは、力強いステージにしか見えなかった。「これなんですよ」感が伝わってきて、迷いを感じなかったのです。でも、どのバンドもそうかもしれませんが、こればかりは実際弾いたり歌ったり叩いたりする本人等しか分からないことなのかもしれません。

僕も「今はまだ一生懸命弾いてるだけ」、感じます。そして、いつか「俺に乾杯」に近づけるかどうか分からないけど、目指してることは確かなのかなと。ただ、別に今、「俺に乾杯」じゃないからって、「俺ってうんこ」と思ってるわけじゃない。どちらかという言えば下手の分類に帰属するとは思うけど。「うんこ」と「下手」の違い。下手には下手なりに「希望」というオマケでもれなく付いてくるのです。うんこは抵抗できず、栄養の部分だけ「時代」という名の大腸に吸い取られ、「過去」という名のぼちゃん式トイレに「ひゅゅゅ~~・・・ん。ポテ。」と空しく消え去って行くだけの運命なのです。気が遠くなってきた・・・。そして少しばっちい・・・。ごめんよ・・・。

その過程が好きなんです(うんこの過程じゃないですよ)。「俺って一生懸命」っていうとなんだかまたエゴいニュアンスになってしまいますが、何かに向かって歩いてる感覚というか。モーションがあるとういか、一つ一つの「ライブ」の瞬間のイク(きゃ)瞬間じゃなくて、日々の「活動」全体からの微妙な達成感みたいな。年一度のスキヤキではなくて、慢性的に味覚と嗅覚の間をさまようかすかなミントの香。もちろん両方味わうことに越したことはないのだけど。

ということで私も、覚えていれば、死に際にピカソの真似を実行してみようかと思う。なんだか今日はおかしなテンションでお届けしました。

4.17.2005

あ・・・楽しかったんだ

第6弾ライブ、新宿区の老舗、four valleyにて。以前一度やらせていただいたが、今回はずうずうしくも金曜日のイベントに出演させてもらった。平日のライブ初体験。仕事から直行してみた。家に帰って着替えてたりしたら、必要以上に緊張してしまいそうな気もしたので。ワイシャツとスラックスでステージに立つという経験は、ある意味貴重だったのではないか。

と自分を説得中。

おい、すっごく不自然だったよ・・・。

が、インパクトは多分あった。

かな?

そのせいか分からないが、良く来てくださるお客に、「今日歌い方変えてました?」と尋ねられ、「え?」。主観と客観、不思議なものだと思う。全体の演奏は前と同様、「雰囲気」的にはある程度意図してたものに近かったが、再度ボタミスが足を引っ張る。個別のミスこそどうでもいいが、基礎練習の意欲が向上、スタジオワークの大事さを痛感。スランプ打破宣言。

ライブ後、2回目の共演となったモノクロビジョンと居酒屋にて打ち上げ。仲良くさせていただいている。これだけ酒の場を楽しんだのは本当に久しぶり。モノクロビジョンは、本当にステキなメンバーの集まり。辛口なコメントがかわされようと、確実に「愛」が充満している。そこに、なぜギター氏と私が自然にその場に歓迎されるというのは、彼女等・彼等の器のでかさの他何でもない。器。器。器・・・って何でしょうね。まぁ、どうでもいいじゃないですか。とにかく私はこのバンドが大好きなんです。救われているんです。

最近。しんどくて幸せ。ただのマゾじゃないといいな。

4.13.2005

かすかな生命反応

住吉-(半蔵門線)→大手町-(千代田線)→赤坂。
30分くらい。

私の通勤コースです。大体想像はつくかと思いますが、朝は混んでいます。そのような今朝、大手町の千代田線ホームで見た風景です。すし詰めの代々木上原行が到着し、ドアが開くと同時に乗客が出てくる。こぼれ出てくる。ドア全開の時点で、あふれ出てきている。複雑に絡み合うバッグや傘や腕や新聞や熱気。やむを得ずその波に身を任せている人たちの表情がまぁ不機嫌だこと。見るたびに、自分は大手町下車でなくてよかったなぁと思ってみる。私はちょうどその波にのまれない具合に、外のドア脇に背中を向けて乗車できるまで待つ。



その波の中で見かけた60歳前後くらいの、茶色のスーツの、おじさん。中小企業の取締役くらいか、部長か。顔の肌があまりにもクシャクシャで、目は黒目の部分しか見えない。表情は不機嫌でもなんでもなく、分からなかった。ジャガイモに表情がないように。ほんの一瞬の出来事だった。おじさんの前にいた可哀相なサラリーマンが吹っ飛ぶ。周りには多分ズッコケたくらいにしか見えなかっただろうが、私は確かに見た。まばたきしていれば確実にミスっていたと思う。しゅっ、とおじさんの手が驚くべき速さでサラリーマンを突き飛ばしたのでした。おじさんは表情を何一つ変えずにまたしゅっ、と手を引っ込めてあっというまに波にのまれていきました。

4.11.2005

猫の多い街

第5弾ライブは、渋谷~代官山間にポツリと潜む渋谷TaU KITCHENにて。リハーサル17:00開始、18:30開演、somatoneは気づけば初のトップバッターを勤める。予想外にも仲の良いバンドの方々や個々メンバーの友人が大勢来てくれて、うれしい次第。感動を味わうのも束の間、リハーサルと本番の間にそそくさお茶をし、楽屋で待機。実際「楽屋で溜まる」ということ自体初体験。新しい経験ばかり、いちいち興奮してしまう自分。「somatoneさん出番です」とインターフォンからスタッフの合図が来たところで、さりげなく提案。

「円陣みたいなの・・・やってみる?」

一同は珍しく意見が一致、ガラでもないということで、やめておく。確かにガラでもない。「じゃあ、行こっか」といつも通り適当にゾロゾロとステージに向かう。演奏の出来としては、全体的にはフツーだったが、痛いボタミスに苦しむ場面が数箇所。雰囲気はある程度出せた気はするが、若干程度、悔しい、後味が残るステージ。僕らにしては大勢の客が居た故、もある。今回は、新曲を出すに少しあせったか。その後は以前から仲良くしてもらってるモノクロビジョンのメンバーと1階のバーエリアでだべり、少し元気を取り戻す。二日ぶりの煙草を吸いまくり、どっと疲れが表面化。

今回印象に残ったお客、ドラム師の幼馴染(?)のIさん。ドラム師同様のダンディズム漂う、貫禄あり。ジーパンにカジュアル用のブレーザーなんとも言えない。ステージ後、ドラム師と二人であーだこーだ、なかなかズバズバ言っている様子。2重なダンディズムがぐわんぐわん展開する中、素のドラム師はいつものまんま。Iさんとの会話から気付かされたのは、ドラム師も人間だ(当たり前だ)。今後も遠慮をなくすよう頑張りたいと思う。Iさんに「がんばってね」と応援の言葉をいただく。

私の大学時代の先輩のWさん。最近、東京で働いていることが判明し、再開したのだが、早速ライブまでも足を運んでくれた。あの頃の自分と今の自分が変わったんだか、変わってないんだか、多分あまり変わってないんだろうけどなんだか照れくさいなぁ、と思わされる。

4.08.2005

新しく昔な話

昨夜、前世でお世話になっていたお客さんと食事に行ってきました。私より二周り上の世代の方だけど、いつも親しく接してくれている方です。多少程度見損なわれたり、説教でもされる覚悟でバンドの話もしたのですが、快く聞いてくれるその方の器のでかさをヒシヒシと感じました。くどいようですが、私はいつか悪い人に騙される運命であります。

話は音楽の話題に展開して行く。というより、少し酔っていたので半ば強引に音楽の話に持ち込んだ気が今しなくもない。彼も昔はバンドマンだったそうで。当時のシーン、かつてライブハウスが今より活発だった(と思われる)時の話を色々聞く。

「渋谷の屋根裏ってまだあるの?」
「あのときは泣きのギターがあったんだよ」
「鳥肌が立ったんだよね」

「今と比べて何が違かったんでしょうかね」

クリーム、キング・クリムゾン、レッド・ツェッペリンなどを思い浮かべてみる。彼に聞いてみたところ、「ネクラ」という言葉でまとめてくれた。

4.07.2005

危険な妄想

音楽活動ってのは、あれなんですよ。
金にならないじゃないですか。

・・・(・。・) [by 読んでる貴方]

そもそも金を期待してやってられるわけがない。仕事であれば、働いて、度合いは様々だろうけどそれに見合う「金」という報酬があるわけであって、そこに関してはなにも議論の余地がないわけで。というより、人類共通の何らか「価値あるもの」をもらってるわけだから議論する気が起きないだけ。「量」さえ増やせば黙ってしまう人も少なくはない。金の人気は絶大だ。

でも、音楽活動だと、その報酬が100%主観的だと思ったりして。演奏していて「快楽」を得るんだか、「達成感」を感じるんだか、とかとかとか。私も色々そういうのがある。極めてフワフワしてる何かをモチベーションにして人が実際行動してるわけで。考えすぎると奇跡的だ。僕もただその一人であって。ロマンという言葉がこの世に存在しなければ、ただのアホである。その言葉が実在する現実の世界でもアホからさほど遠くないわけで。「そんなにアホとよばれたいんか」・・・まぁ。それで、バンドとなるとどれだけそのフワフワしたモチベーションというヤツが合致していることがどれだけ大事か、なんて。

てなわけで、色々最近考えてるわけです。

4.05.2005

寄せ集めの音たち

昨日深夜、自宅にて編曲・レコーディング。はしょり書きで失礼。

久しぶりにクローゼットからバイオリンを取り出す。小学時代からの付き合い、当時は半トラウマだった稽古、何年ぶりかのご対面。1902年生まれのばあさんでありながら、とにかく丈夫なのがこの子の特徴である。通常バイオリンというモノのメンテナンスは大変・・・と言われており、湿度の管理やクリーニングが重要・・・らしい。が、私のバイオリンは何年単位で放置していても、なぜだかチューニングすら狂わない、頼りがいのある相棒。後悔でもしないうちに修理屋に点検してもらおうとは思うのだが。でも昨日はいつもどおり、「あ、どうも」と短い挨拶を交わし、仕事にとりかかった。私の手と指先は形を忘れかけていて、技術こそはボロボロだけど、懐かしい感触にしばらくひたって見てから、音源に落とし込む。マイクスタンドがないため、そーっと机の端おいて、バイオリンを机の高さに合わせてうんこ座りで演奏する。無様。やっぱり今度マイクスタンドを買おうと思う。

机にゲンコツするとキックドラムの音に似てる。というか、偶然リバーブをエグ目に設定していたらキックとフロアタムを足して2で割ったようなおもしろい打音が出てきたので、キックの心で入れてみる。何度も録りなおしをしていたら右手が痛い。先日深爪した親指から流血。偉すぎ(笑)。

今朝依頼人に仮メロを納品。リアクション次第、次の編曲に取り掛かる心の準備。

4.04.2005

刃が削る極上スイーツ

久しぶりに家族そろってテレビを見る。「極上スイーツ50連発」とやらで、あらゆるケーキ屋さんの自慢の一品を次から次へと紹介する、そのまんまの番組である。メディア不信と自負する自分だとしても、こういった、余計なヒネクレのない番組は好きだ。「これはおいしそうなケーキです」以外のメッセージがまったくないから、情報がこねくり回されたり、変な思想を植えつけられる恐れがないのである。あるとすれば、「ケーキを食べたくなぁる」と思わされる程度である。いや、まて。ケーキ産業へのテコ入れか・・・。まぁ、とにかく問題ないわけです。なにしろ私はケーキが好きだから。

妻と子供が画面を見ながらよだれをたらしてる間、風呂に入る。戻ってくると、番組はチョコレートの話題に移っていた。そこで、とても印象深い音を聞きました。包丁で硬いチョコレートを削る音を聞いたことありますか。「ザクッ」と「ゴリッ」の中間くらいで、不思議にもキャベツの千切りを連想させるものでした。実にスカッとするようなステキな音だったので、ブログに・・・と思いましたが、言葉でその音を表現するのはなかなか難しいです。是非皆様、ライブを見に行って実感してください・・・。いや、待てよ・・・。

4.03.2005

家出

最後に、少年がランドセルにおさめたものは母親の真珠のネックレスだった。いつも喪服のときにつけていたものだ。母が夕飯の買い物に出かけるタイミングをはかって、ドレッサーからこっそり取り出したのだった。そのネックレスからは、母のにおいがした。少年にとってそのにおいは、彼女がいつも使っている口紅やファンデーション、香水のにおいがまざった一つの、名前のあるにおいだった。取り出した一瞬、少年の小さな両手は大粒の真珠でいっぱいだった。その宝物をランドセルの大きな口に流し込み、カチッと封じ込んだ。

玄関を出ると、少年は小学校とは反対方向に歩き始めた。左右対称の並木通りはきれいに整備されていて、木々は一本一本、丁寧に真上をさしていた。少年の前に開かれたその中心の道は西日の最後の一息で橙色に照らされ、ただただまっすぐ続く。

4.01.2005

律儀さからなるメランコリー

昨夜、赤坂にて軽く、somatoneの口の悪い京都出身守護神様(言いにくい)と食事。砕けた話を楽しむ、そして良い一日を終える。酒飲まない割にケタケタ笑ってる二人は若干浮いてました。

帰宅すると、ちょっと素敵メールが届いていた。タイトルを読むと、「ヒナミ様」。おぉ、仰々し・・・誰やろ、と思いながら慎重にメッセージを開く。メールを開くに慎重もクソもないか。H氏。今日から、私の前に勤めていた会社に入社するのだ。昨年の2月だったか3月か、私は彼を面接していて、彼の内定を推薦していた。そうだった、もう桜と就職の時期でしたね。すっかり季節感を失いつつありました。初日前夜というやつだ。しかも、半年くらい連絡を取り合っていなかったのに、しっかり覚えててくれてる律儀さにはビビッた。逆にこっちが見習うべきだったりして。それに加えて、自ら会社から身を引いた者として、立場的には複雑な部分もあるけど、それにもかまわず連絡をくれたのがとにかく嬉しかったのでした。

丁寧に書かれた文を勝手に抜粋(H君、イヤだったらかまわず適当に書き込んでくれ)「・・・大変お世話になりました。ヒナミさんがいなければ、自分のキャリアはまた異なった方向に向かってしまったかもしれないと思っております。」正直、これ以上嬉しくて、照れくさい言葉はないから皆様に自慢してやろうかと。ただの社交辞令だったとしても(多分この子の性格を把握しているのであればそうでないと思う)、関係なく嬉しい。どうだ、オイラだってマジメだったんだぞ。ふっふふーん♪である。実に実に単純な性格であると痛感。いつか悪い人にだまされそうです。

H氏にも失礼のないように、自分の道を貫かなければ。