8.29.2005

至近距離での出来事

初・北区へ。チンチン電車の国。今住んでいる江東区もずいぶん下の下の下町だと思っていたが、ここも負けず。何しろチンチン電車の国である。レールの幅が広い。がったんごっとんと何ともいえないノロさ、転倒しても多分痛くないんだろうなと妄想する。コテコテなノスタルジーとやらにやられっぱなしだったかもしれない。なんか、夕日にあたって乗客の表情がみんなキラキラしてるように見えたのね。よく分からないんだけど。地下鉄とは一味違う表情があるように見えた。女子中学生のグループがほんと良いカオして楽しく喋ってる。下品さのかけらすらなく。今の中学生が実際腹で何を考えてるか、今更分かるフリはしないけど、まぁ、いいカオだったんですよ。それだけ。大人も子供も背筋がピンとしてた。

帰り、普通の電車に乗り換える。私のせがれは若い女が好きだ。結構混んでたので、何を見てケタケタ笑っているのやら。東南アジアの国から来たっぽいお姉さんと見た。目がくりくりしててなかなかのベッピンであった。その人と笑顔を交換している。あぁぁ、どうもぉ・・・と目が合うと私は頭を下げる。東南アジアさんが下車した後も、子連れの若ママをターゲットに、「あ、#$☆マン!」。バイキンマンといいたかったらしい。娘は、無視。ママ狙い撃ち。我が家が電車を降りる時には図々しくもバイバーイ。最近もう少し人見知りして欲しいと思う(泣)。親の立場がない。お前はクレ○ンしんちゃんか。下町が好きです。メッキが全然なくて、汚くて、所々治安が悪くて、全然知らないじいさんばあさんとかに話し掛けられたり、色々。

ドラムさんと会いました。結果として、断った。断るのは当然ながら気持ち良いものでない。僕はあまりシビアなことは普段言わない、というか言いなれてない。もっと言わなきゃならないのに。ので、出来る限りストレートに答えをだした。

今朝の大手町駅で乗り換え時、最近あまり見かけない、地下鉄喫煙者。粘り強い。まだいたのか。外見はクールビズです姿の40年代デブチン短足男、服装はなかなか今風なのに行動は真逆。「きゃーマナー違反よ!」とでも誰か叫んだら面白かったろうが、男は白い目で見られるもお構いなくツカツカと逆方向の千代田線に乗って去っていった。ちょっとうらやましかったかな(笑)。なかなかの大物ッぷりだった。

8.26.2005

もったいない

気づけば夏が終わりそうだというのに、私の机の上に子供用の花火が空しく置いてある。今週末ちょっとやってみるとしますか。普通にもったいない。

今朝、セミの音が皆無。台風の後の静けさもあることに気づく。昼頃やつ等は復活する。人の声に例えたくなる。「ま~じ~で、ま~じ~で~、だからま~じ~で~」。よく分からないけど納得。地面にセミの死骸が一つ。姿勢正しくひっくり返ってる。大概まだ生きてるケースが多いので、慎重に近づいてみる。恐いもの見たさであろうと思う。少し動くが、そよ風に動かされただけのよう。こんなに軽いんだぁ・・・。これであんなでかい声が出るのかと。虫触れないが、ヤツをリスペクトしてやろう。3日間の命でしたっけ。そりゃあマジになるわな。セミ、リスペクト。人間でよかった。ウミガメさんは人間でなくてよかったなぁと思うのだろうか。セミの根性、とにかくもったいない。

新幹線は静岡へ。駅弁当を眺める。幕の内弁当らしきものを食す。箸が迷う。ご飯がなくなるペースを読むに失敗し、おかず多数出遅れてしまう。途中の熱海で降りたくなる。帰りの新幹線は高校時代の後輩に偶然出会う。会ってないギャップが長すぎて共通の話のネタがないこと気づく。携帯番号を交換するがなんだか連絡するキッカケが一生来ない気もしなくない。もったいない偶然。

ヨメの寝言に付き合って会話をすると普段味わえないようなトークに展開するのだが、これが実は、寝言いってる人に精神的苦痛を与える可能性が高いと言われ、やめようと思う。残念。「いかにトイレをキレイに使うか大会」の続きを聞きたかった。もったいなさ過ぎる。

8.24.2005

なんでも買う

頭では分かっちゃいるんだが心で分かっちゃいないモノといえば、なんたって生命保険である。仕組みは一応、理解しているつもりではある。そして、気付けば何件か加入している。保険殺人有力候補。ひゃっほう。

自分が死んだら、ヨメと子供が経済的な不自由なくやってけるように金がズズーン、ドーンとおりるわけ、なんだけど。ご家族への思いやりなんですと。んで責任なんですと。年収のウン倍なんだと。ヨメと子供の月々の生活費、養育費はこれくらいで間違いないですかと。私立ですかそれとも国立狙いですかと(ちなみに我が家の教育方針は今現在「公園」専攻で、ピンときませんでした)。

本当は分かってるんです。でも正直に言うとフクザツな気持ちもあるわけで。ようは、私が生きていようと、死のうと、金だけは保証されてるわけで、金銭のみの極論で考えれば、私は今日死んでもヨメと子供はオッケーバッチシ、いつでもお行き、てな。考えすぎるとモチベーション(?)下がるわよね。死ぬだけでお金がこのようにドーンと発生することに違和感を感じる。受け取る方も、当たっても(?)ちょっと喜びきれないサマージャンボ、という気持ちなのだろうか。生前にお墓を買うのも似たような感じになるのではないかと思う。

安心をお金で買ってるのね。そう思えば安いもんで。
そこらへんは冗談として流すとして。あはは。は。

ドラマーの募集記事への返信がありました。やっとボチボチ返信がくるようになった。頑張って良い人に入ってもらいたいと思う。保険とはウラハラに、絶えることなく不安を売りつけてくるバンド生活だが、なんとなく買ってよかったと思える。新しい出会いに期待が膨らむ。

8.18.2005

夏までの恋

季節はまだ生暖かかった。その頃は19歳だった男。アルバイト先で、板前を務める先輩に飲みに誘われた。「俺の友達が店長を務める飲み屋につれてってやる」、と。その夜、行く前から二人で飲んでいたもので、男は既に軽く酔っぱらっていた。二人はその店長の店に入ると、男はウェイトレスに目を奪われ、気になってしょうがなかった。彼女は22、23くらいだったか。その夜の残りも、板前とその友人の会話にも入りきれず、隙を盗んではウェイトレスに少し話しかけたり、隙を盗んではウェイトレスを見ていた。その後も、何度か男は一人でその飲み屋に通って、彼女となんとか仲良くなれないかと、ぎこちなくも、それなりに必死のアプローチをかけた。当然普通の飲み屋なので、彼女に話し掛けるにも限界があった。時間が足りないと感じていた。

彼女は男をからかった。店長が「良く来たね」と言ってくれるが、彼女はよこから「あたしに会いに来たんだよね」と笑いながら言う。デートに誘ったりもした。二人っきりで会うことこそあまりなかったが、それはどうでもよかった。それを通じて知り合った彼女の友人とは今でもよく連絡を取り合っている。

告白も何度もしてみたが、最後まで男は相手にその気があるかどうかを知ることは出来なかった。肌に触れることもほとんどなく、一度か二度、手をつないだくらいだったと思う。振り回されたという表現は一方的すぎる。自ら振り回されに行っていたと若干マゾ的な自覚症状もあったが、その時はそれはそれでいいと思っていたような気がする。バカだったが、そんな自分もキライじゃなかったかもしれない。

という少し恥ずかしい思い出がある。
思い出です。

8.15.2005

やっぱ避けられない

遅れましたが、終戦から60年たったそうですね。
昔の話でありながらも現実の世界に引きずり込まれました。

真実はフィクションより奇妙だという。フィクションというのは書いた人の想像の限界に縛られているが、実際起きた出来事は何にも縛られない。起きたことは起きた、そしてそれが想像を絶することはヤブサカでないわけで。被爆者の写真とかを見てると、それを痛感するのです。一つだけの兵器が、これだけ様々な、複雑かつ残虐な殺し方をできるだなんて、全て網羅していた人はいなかったのではないかと勝手ながら思う。爆風で目と内臓が体から飛び出す、なんて想定できたのであろうか。原爆を目論んだ政治家や科学者の青写真はどのようなフィクションを描いていたのだろう。現実と大差なかったのか。

アメリカがいかに短気であった。だとか。せっかくウン十億ドルかけて作った原爆をいずれはどこかに落とさないと開発に投じた投資家に説明がつかなかった。だとか。「落とした側」をひっくるめて悪者として片付けてしまうのも、空の議論なのは分かってる。でも、僕は軍事分析なんかしたこともないから、日本の一般市民に攻撃を仕掛けたことによって、そして一瞬にて日本を諦めさせることによって、どれだけの他の命が救われたかなんて検討もつかない。日本人のかわりに他が死ねばよかったんだ、なんていい切れるわけも無い。裁断を下すこともできない。

アメリカが嫌いかって?全然好きだよ、育ったし。結局は、善・悪じゃなくて、勝者・敗者の話になってしまう。それでも、何かを非難したい、誰かのせいにしたい。「戦争」だとかただの「名詞」でなくて。誰かさんは「戦争」に殺されたんじゃなくて、他の「誰か」に殺された。

その中で、僕は今残されているとてもとてもリアルな形跡を見て、とにかくゾッとする衝撃を受けていることだけが確かだ。見る度にゾッとする。何か間違ってこうなったんだよね?命の尊さを単純に数で表せないのであれば、どうやって?なぜ人は殺しあうの?

とても幼稚な疑問ばかりで申し訳ないんだけど。いざ子供に問われる日がきたらすごく困ることに気付いたので、焦ってみる。人は愚かだねえ、と友人と共に哀れむのと話が少し違う。愚かのままじゃあダメだから、戦争はダメなの!ダメダメダメ!分かった?!めちゃくちゃ痛いねんゾ!!原爆はおろか、ミサイルも手榴弾も地雷もクビチョンパする剣も結果は同じ!!って、半トラウマ覚悟で叩き込まなきゃあならないのか。それとも子供はこの写真を見ただけで分かってくれるのだろうか。

ただのフィクションにならせては成らないのは確かなんだけど。気付けばベトナムすら見てない人が、戦争の真っ最中に子供を授かったしまったわけです。

8.14.2005

下町商店街の稲妻



私の名は「赤い弾丸マスク・レンジャ」。
スーパーヒーローだ。

めさ強い。

東京は江東区に住んでいる。なぜ江東区かというと、スーパーヒーローが住んでいなさそうな、地味な町だからである。住まいが怪人にバレると何かと厄介なのだ。だったら埼玉とかディズニーランドに住んだ方が良いという説もあるが、そこまで郊外に行くと都内から遠すぎるのだ。返って不便なのである。スーパーヒーローは現場に「居て」ナンボの仕事である。移動距離と手段にはいつも神経を使うのだ。分かるか。

私のマシンを紹介しよう。マシンに乗ることによって私は赤い弾丸マスク・レンジャに変身できるのだ。二輪車だ。ギアは一つだけである。足の力の入れ加減のみでスピードが変わる、優れたギア・システムだ。前にカゴのようなものがあるが、今は何も積んでいない。時にはレーダー探知機を、昨日はレンジャ波動ビーム装置を積んでいた。ちなみに前タイヤに便利なライトも装着してる。

そして今日もパトロールに行ってきたぞ。行き先は御茶ノ水だ。往復1時間のパトロール路、15分だけギター屋さんによって帰ってきてやった。すばらしいギターとの出会いもあったが、金が足りない。次回まで待っておれ。そのうち、あのギターを必ず悪の手先から救出してやる。

悪者もバッタバッタ倒してきた。どうやって倒すのかって。マシンで追い越すのだ。追い越してやると悪者のプライドがずたずたになる。少しでも「やられた!」と思わせれば赤い弾丸マスク・レンジャの勝ちだ。大手町を100キロで走りぬいた。土曜日の夕方の紺色の悪者は油断している。ただし、赤い弾丸マスク・レンジャはマナー違反だけは絶対しない。黙って後ろから攻めるのは卑怯なので、あくまでもレンジャ・ベルを鳴らしてから必殺技「レンジャ追い越し」を繰り出す。

急な坂でも、
夕立が降ってきても、
赤い弾丸マスク・レンジャはとまらないし、
立ちこぎも絶対しない。

とう!

8.13.2005

サオとタマとアナ

仕事後、ヨメの実家帰りを機にこっそりとアダルトな夜遊びの赤坂へ。インターネットで調べたら、職場の近くになかなか良い感じのビリヤード場を見つけました。金曜日の夜なのに3台ともガラ空きで、すぐに案内される。流行は10年前に終わったらしい。オシボリがくさい。こうでなくっちゃね。ジンジャーエールを注文する。一時間くらい白い手玉を突っつき、今週蓄積されたモヤモヤが少しすっきりした。本当にひさしぶりに一人、一人、一人。

黙々ビリヤードするのが好きです。趣味というやつでしょうか。根暗?うーん。明るくはない、ですね。上手くはない。玉をポケットに入れることに未だ結構苦労しますが、長年やってるだけあって動作だけは考えなくてもできる。色々考え事をするにもよし、深く深くボケーッとするにもよし。

すばらしく非建設的。汗すらかかない。手玉を突いて、他の玉に当てて、ポケットに沈める。外れたら、また手玉を突いて、他の玉に当てて、ポケットに沈める。入ったら、再び手玉を突いて、他の玉に当てて、ポケットに沈める。玉が全部なくなったら、ボールを全部取り出して繰り返し。なんだか落ち着きます。最近、誰かと一緒にやる、という機会があまりないのが残念ですが。

今朝も久しぶりにこれでもかと睡眠をとり、冷凍チャーハンの昼食を麦茶とともに。ちょっと家事でもして、出かけるとしますか。

8.12.2005

付き合ってくれ

久しぶりに気に入った曲のネタが出来たこともあって、どちらかというと気分がいい方に転んでいます。まる。気分がいいの。コノヤロ。ネタ作りをするとき、頭の中でグルグル回して何日間経過するにつれて飽きてしまうのが通常のパターンですが、そうでない場合、「おっ」と思うわけです。少なくとも自分の中でのイメージがある程度、固まるわけで。

ここからがいつもチャレンジなんです。このネタ、やろうぜ!とバンドがその気になってくれないと、現実的にネタは自分の頭の中でお終いになってしまうわけで。当たり前ですが、メンバーのみんなは、それぞれ音楽の趣味も違うし(最低ラインがあるとしてもね)、例えば私が作った簡単な音源をパッと聴いても、ピンとこないこともよくあるんだと思います。レコーディングの才能自体、無いというのも一応ありますが、まぁ、作品自体を全然気に入ってもらえないとか。どうしても、「来る」ものと「来ない」ものがあるんですよね・・・。それは避けられない事実だとして、出来ることからやるのであれば、言葉で、このネタはこういう所がこうで、ああで、こういう所が好きだから、やりたいのっ、と本当は説明しなきゃあならない。そうしないとニッチもサッチもいかんので。そして、それを怠けてしまうと、メンバーはピンと来ないままイライラ、私はなんで聴いただけで分かってもらえないのかなぁ、とイライラ。ネタが空中分解するわけです。そんな経験があります。案外そこらのコミュニケーションが肝だったりするのだなぁ、と。上手くいくときはそう再確認するし、上手くいかなかったときもそれで後悔したこともある。

そこでグヂグヂ私は色々迷うわけですが、音源を取り直してもっと完成してから聴いてもらおうかな、それとも今のある荒削りな状態のものを聞いてもらおうかな、そもそも気に入ってもらえるかな、なんてくっだらないことも含め。んで、悩んでも仕方が無いとウン十回目なんだか気付き、なんらかの形でみなさんにぶつけて、祈るわけです。

それだけ厳しく聴いてくれるということが、いかにメンバーも真剣に考えてるかをあらわしているものだと、自分に言い聞かせたい時があります。

8.11.2005

怒りませんってば

「ナミさん怒らないわよね」

と言われました。

あまり怒りません。怒ったら相手から何が返ってくるかわからない、のが恐いので怒るのはあまり好きでないです。幼馴染に一度言われたことがあるのは、悪い意味で平和主義である、とのことで、なんとなくそれで合ってる気がします。モメゴトは、家でもバンドでも多々ありますが。でも、「怒り」はないです。

本当のことを言うと、私が「怒る」といってもタカが知られています。あまり迫力がありませんで。人間、時々はそうでもしないと気持ちが伝わらないこともあるのよ、と、そういうのもすごくよく分かるのですが、ここぞという所で、なかなかそういう気になれません。逆に、私は怒られると9割の確率で沈黙します。喧嘩恐怖症というか。昔見ていた自分の両親の喧嘩がトラウマになったとでも説明をつけたいところですが、そんなの見てきた人でしっかり怒ることができる大人も沢山いますしね。わからんのですよ。

嵐が過ぎてから動きだすのです。奥手、というやつでしょうか。
こういう所は変わってみたいなぁ、なんて思います。

感情って人に自分の気持ちを伝えるための大事な役割を果たしてるけど、何かを発散するという意味でも大事なんでしょうね。なんて。嬉しいのは笑って発散したいし、悲しいのは泣いて発散したいし。でも、「怒り」だけは一人で発散できればなぁ、って思ったり。トイレで流せたらなぁ、なんて。

私は、一度だけ、誰かを思いっきり殴ったことがありますが、もうしません。

8.10.2005

そんなオモロいんか

日帰り出張が相次ぐ。もともと外回りの経験は微妙なのだが、なんとなく、つれていってもらってる。妄想に過ぎないのであろうが、外回りをしていると、オフィスにこもっているよりは役にたっているのではないかと思ったりする。でもそれはきっと妄想に過ぎない。終いにはビジネスバッグを提げてルンルンなだけである。駅ビルのカツ丼&蕎麦セットを食ってルンルンなだけである。でもその話はどうでも良いとして。

20:00頃だったか。相鉄線の「さがみ野」(神奈川県か?)から帰るにえらい時間がかかった。途中で「中央林間」で乗り換えて、田園都市線から半蔵門線直通で我が街「住吉」まで、まぁいいや、とにかく長かったのです。取引先とかわした一杯の酒がもろにヒットしてきた。暑い眠い風呂入りたい。ホントはイヤだったが、誘惑に負けて携帯を取り出してテトリスで気を紛らわせた。

テトリスの中毒性は高い。最初のうち、ブロックがゆっくりゆっくり落ちてくるので、じっくり考えて「うーん・・・ここ、いや、ここかな・・・ああ、そこね」と地味に考えていられるのだが、どんどんブロックが加速する。ちょっとくらい早くなったうちは、「なんのこんちくしょ」と思えるのだが、そのうち重大なことに気づく。

勝てるわけがない。

テトリスはきっと笑ってる。速いのなら任せなと。おら。おら。オラオラオラオラオラ。歯を出してウシシシシと。単純なゲームほど残酷だ。一定のスピードを超えると悪意すら感じる。しかも終わりのない、そして手を止められない。実際、ゾクッとしてしまいました。大げさに聞こえるかもしれんけど。スリルだった。当然声に出すことは出来ないが、終始心の中では「シエー!ウオー!」であった。いずれ死ぬことは決まっているのに。ザッツ・ライフってか。

めでたいのやら、とうとうヤッホー国民仲間入りを果たしたのか。

8.09.2005

あそこの部屋の住民は

男はベッドの上で目が覚めた。白い壁の四角い部屋の中心に、飾り気のないスチール製のベッドにマットレスがのってるだけのベッド。天井の中心から裸の電球が一つ、ぶら下がっている。少し肌寒い。

自分が誰だか、歳も、今まで何をしてきたかも記憶がない。ヒゲもキレイに剃られていて、誰かに連れ去られていたとしても、丁寧に取り扱われたのだろうと思える。体調も悪くないようだ。どこも痛くない。紺色のポロシャツにチノパン。こげ茶色の靴下を履いてる。ベッドの右側の床に、ピカピカに磨かれた黒い革靴が置いてある。既に着ている洋服は自分のものと思えるが、靴だけは新しく与えられたようだ。靴下の色と革靴の色が合わない。それどころでないはずなのだが、それ以外に考えることがなかったので仕方がなかった。靴下と革靴の色が合わない。

起き上がると、ベッドの足元の方の壁が見えた。ドアが二つ隣同士に並んでいる。二つのドアの間の幅は数センチしかなく、どう見ても同じ部屋に通じているのではないかと思える。二つのドアには以下の文字:

左のドアには「あなたの使命」。
右のドアには「あなたの勝手」。
その下に、以下の詩がサインペンの殴り書きで付記されている:

【祈り】
変えられないことを受け止める静かさ
変えられることを変える勇気
それらを見極めるための知恵
をかなえたまえ

自分が何者かも分からないのであれば、と思い、服装と合わないピカピカの黒い革靴を履いて男は右のドアを開いた。ドアの外は小さなマンションの一部屋で、窓の外は下北沢だった。気付くとポケットにはカギと少しのお金が入っている財布があった。男はあちらこちらで音楽を奏でたり、働いたり、恋をしたり、とにかく勝手に生きた。生きるのが楽しくてしょうがなかった。

そして、なんとなくいい感じに消えていったそうな。

-------------------
アメリカのアルコール依存者更生会のモットーとして知られている、"Serenity Prayer"というのを意訳・引用しました。残念ながら著者は知られていないようです。あしからず。1920年代の作品といわれています。

8.08.2005

暑くて暖かい手

お酒はあまり飲めない。ほぼ「営業職」と呼んでいい仕事に就いて4年間、未だ1杯以上飲むことが殆どないということによく驚かれる。そのかわりといっても決して口が達者であるわけでもなく、存在感が特別にあるわけでもない、と思う。スグサマ眠くなってしまうし、周囲のテンションを盛り下げるのみならず、本気で寝てしまうと起きれなくなるのであります。

昨日、町の夏祭りがありました。3年間に一度の大事らしい。浮かれて、昼間なのになぜか薬局でふと目に入ったカンチューハイを一個買って、冷蔵庫にしまった。夜、風呂上り、慎重に、慎重に、氷を沢山入れた大きなタンブラーにチューハイを注ぎ、ゆっくり飲む。がぶ飲みはできない。でも美味しかった。エアコンの効いた部屋を出て、モワモワ暑い玄関外で遠くから響くドンドコドドカカとセミをbgmにタバコを呑む。体がどんどん火照って行き、数時間後には再び涼しいリビングの座椅子でダウン、でもなんとなくみんな笑ってた気がする。深夜、酔いが覚めてから色々な楽器やコードとかボタンとかと格闘し音源らしきものを作ろうとするが、カッチリしたものが出来ずにイライラ。機械を信用できないのは、自分が上手いこと機械を操れた経験がないからか。もっともっと長く付き合えば、分かち合える時がくるのか。

一昨日は、音楽を通じて知り合った友人をヨメと子供に紹介した。大分前から紹介したかった人だ。いつもなら人見知りする子供だが、早くなついたようで、自分の遊びのペースに私の友人を巻き込む。こうなると予想はしていたと言わせてもらう。サンポがてら、祭りの準備をしている人を見たり、神社を見たり、コーヒー屋に行ったり。こんなの久しぶりだなぁ、楽しいなぁ、と思う。少しだけ夏を許せる気持ちになる。朝から機嫌が悪かった息子は一変して機嫌が直り、友人が帰った後もご機嫌ムードが続いた。大変助かりました、とヨメからの伝言。またいらして、遊んでやってください(笑)。深夜は新宿にてバンドのミーティング。今後の話を少しする。3人の間の遠慮はまだまだあるんだけれども、前と比べては進歩しているのではないかと思う。色々アイデアを投げ合う。下らないものも、よさそうのも、とにかく口にしてみる。

結果とかそういうのはわからないけど、会ってしゃべるのが一番なんだと再確認。
メールと携帯は毎日会えないから使ってるだけ。

8.04.2005

きっとおめでたい

あと少しでライブしてきます。1ヶ月ぶりかしら。良い歌を歌いたいです。私服とスニーカーもギターも会社に持ってきちゃいました。通勤電車では大迷惑でした。網棚が過小評価されている。ガラガラだ。昨日と今日は、左脳が大活躍し過ぎて、右脳がふてくされて死亡。近いうちに復活してくれることを祈る。おいおい、今復活してくれぇ・・・。今日はもう仕事はいいから。。。お願い・・・あなたしか頼りにならないの・・・クネクネ・・・プリップリッ。プリチー。

久しぶりの5時間以上の禁煙に少し、体が戸惑っているようです。いつものことなんですけどね・・・イジイジ。タバコ吸わないだけでそんなに声変わるんかいなと自分でも疑ってしまうのですが、その誘惑に負けてはならない。禁煙なのに、ポッケにキャスターとライター。ライブ後のお楽しみである。私はM男君なのか。。。うん、どちらかといえばおそらくM男君なのだと思う。M男。エム。おうっふ。「四谷フォーバレー」はネーミングがくどい。言ってまう。もう。くーどーいーの。くどいくどいくどい。辺鄙へんぴへんぴ。でもハコは良いので許してやるこのやろう。今日はお世話になります、どうぞよろしくお願い申し上げますです・・・。

本当に猛暑になりやがった。ダメだといってるのに。
なぁあにが35度だ。
ウンコかっちゅう。

これからマッハで仕事、計算合ってるかどうかはどうでもいいからとにかくマスを埋めてから駅へとダッシュ。べらんめー。ライブだライブ。

8.01.2005

気まぐれな金縛り

昨夜、私は生まれて初めて金縛りというヤツを経験しました。理由は全然わからないし、だから何or何故、っていう解釈も残念ながら・・・ないのですが。就寝してから30分か1時間後くらい、ちょうど浅い眠りに行き着いたところだったのですが、夢の中では現実と同じように、暗い部屋で上向いてベッドで寝てました。見えないけど自分の母親かと思える人物が隣に立っていて、左手の人差し指と中指で、私の心臓あたりを「トン」と一度、軽く叩きました。それだけの感触ははっきり覚えてる。それで目が覚めた。

手足が動かないということに気付いて、あ、来た、と思ったわけですが、目を空けることも出来なかったのは予想外でした。テレビの見すぎであろうが、目だけはつかえると勝手に思っていたのです。あ~あと思いながら、味気なく数十秒だったか数分だったか時は過ぎ、ようやく目も含め体が動くようになりました。左を向くとヨメはグーグー寝ていました。ちなみに私の母親はまだ元気に生きています。しばらく話していませんが。

金縛りは恐いモンかと思いましたが、サラッと時が過ぎました。想像とは違うものです。恐いというよりは、キツネにつままれた感じ、という表現があってるかもしれません。何かの前触れなのであれば、早く正体をあらわして欲しい。そうでなければ忘れる。

ヨメは割と信心深い人で、墓参りなどをマメにやってる方です。私は完全に理解しているわけではありませんが、その習慣と心構えは好きです、ええ。あの世のじいさんばあさんが本当に微笑んでるかどうかは分からないとして、やってる人の心はイイ感じなのではないかと思う。ちなみに私の母親はまだ元気に生きています。しばらく話していませんが。

そういえば、もうじきお盆ですね。