1.31.2006

美しくして

整理しがたい思い出です。

ワシントンDCという、街に行ったことがあります。

街の中心部にある、ターミナル駅の建物はとても立派だったと覚えています。建築様式は割りとクラシックで、石像だとか、大理石のトリムとか、重い木製の扉とか。中央のロビーの天井が高くて、とにかく広くて、ガヤガヤしてる。私はそのロビーから、タクシーのロータリーに通じる扉に向かいましたが、どうやら扉の周辺が混みあっている様子。その扉を通る人たちの足元がどうも重くなってるようにみえました。よくよく見ると、車椅子の小さな人が通路をふさいでいて、通ろうとする人波に向かって、一人一人に声をかけているのです。通る殆どの人は、少しだけ話を聞くと、さささーっと逃げていくように歩き続けるのです。

外見は、醜いなんてものじゃなかったです。性別すら分からなかった。手はあるものの、腕が殆どないに等しい。太った胴体にコブが二つついているような。細すぎる両脚も歪な方向に曲がっていた。髪の毛はもしゃもしゃで、口の端からよだれがたれていて、体臭もきつかった。この人が、通る一人一人に一生懸命、私はキレイなの?と尋ねている。怒ってるようにも聞こえたし、泣いてるようにも聞こえた。何時間やってたんだか、声はガラガラで、言葉が分からなければ動物が吠えてるのと同然だった。

私にも、私はキレイなの?と尋ねてきました。私は足を止めてしまいました。そして、ウソをついてしまいました。ハイ、きれいですよ、って。同情してしまったのか、どういう反応をするか、恐いもの見たさだったのか、まったく考えてなかったからそう出てきてしまったのかは分からないです。どんな衝動だったんでしょう、本当に。「うんにゃ、お前は醜い」というのは確かに自然に出てくる台詞ではないのですが。

その人は、じゃあ私を抱いてと言い、後ろがつっかえているなか、私はあの駅でその醜い人とハグしました。恐る恐る、私はその人を軽く抱きしめました。その人は声を下げて、ボソボソ何かいいながら私の胴をポンポン叩きました。その人も腕をまわしたかったのでしょうが、なにしろ腕がないので胴をポンポンするのが精一杯だったのだと思います。数秒ハグすると、私はその人をはなして、何を言ってやればいいのか分からず、そのままロータリーに歩いていきました。その人はその後どうなってしまったのか、再び叫び始めたのか、わかりません。

1.25.2006

終結させたい

女は寝る支度をしていた。
4.5畳の寝室には古いタタミがしいてある。

今までこの部屋で暮らしてきた人の中で、彼女が何人目になるのかは知らないが、明らかにこのタタミは10年以上つかわれ続けている。部屋を下見しにきた時からそう思っていた。ふすまを閉じてから、女は布団に入って、灯を消す。目をつぶる。そして、眠りにつくのを待つ。

寝よう、寝よう、と考えてしまう夜に限って眠れない。どれだけ経ったのか分からないが、10分くらいか、目をつぶっていることが、つぶっている状態を保つのがどんどんつらくなってきて、とうとうあきらめて目を開いてしまう。ところが、目を開くと、部屋の中に灯を感じる。彼女は起き上がって、ふすまの方に目を向ける。

ふすまが少しだけ、2センチほど開いていて、電気をつけっぱなしにしていた居間の灯が寝室に迷い込んでいた。彼女は立ち上がって、ふすまをピシャっと閉じて、ふとんに戻った。

あたし、ふすめ閉じてなかったっけ。

まだ眠りにつけない。目を開けずに、今度は30分耐えたか。1時間経ったか。時間の感覚はすっかりなくなっていた。そして、目をまた開くと、再びふすまの隙間から灯が覗き込んでいた。静かに、静かに、遠慮がちに。覗き込んでいた。彼女を居間へ誘い出すかのように。

寝てた?

眠れないの。

じゃあ、こっちへキナヨ。

でもね。あ・・・。

ふすまをしっかり閉じたはずなのに、二度同じことが起きるなると女はさすがに驚いた。恐かったので、居間に入ってまでして灯を消す勇気はなかった。そっと起き上がり、ふすまをピシャっと閉じる。もう目をつぶれない。暗い部屋の中、掛け布団にくるまって、起き上がった状態でふすまをじっと見つめていた。いつ、まだ開くのか。

まばたきした瞬間に、ふすまが開いていた。

「分からないのよ」

怒鳴ったとたんに、ふすまはピシャっと、勝手に閉じた。

1.20.2006

広い広い、隠喩

ディズニーランドのことを思う。

ゴールデンウィークに居る人、普通の平日に居る人
秋に行く人、夏に行く人。

開園前から並ぶ人、適当な時間に到着する人
開園したら無我夢中に走る人、歩く人。

綿密な順路を決めている人、そうでない人
だけど結局目移りして横道へそれる人、計画を貫く人。

景色を楽しむ人、目的地ありきな人
せっかくだし奮発してやたら高値なポップコーンでも買う人、水筒のウーロン茶な人。

何時間待ってでも目玉のアトラクションだけ乗れれば満足な人、
古びたメリーゴーラウンドやコーヒーカップやスモールワールドでいい人。

ミッキーとじゃれるのが楽しい人、いざアプローチされると緊張してしまう人
舞上がる人、かろうじて笑顔がこぼれ出る人、悲しくなる人。

暗くなるまで頑張り続けるのが当たり前な人、
「もうそろそろ帰ろうか」と、自然に出てくる人。



帰宅時に駐車場や舞浜駅に向かう途中、
ふと振り向く人、振り向かない人。

土産屋に寄る人。

1.15.2006

とんがり帽子のロンド

マラカス少年は幸せな家なき子。
持ち物は大事なマラカスと、緑のとんがり帽子だけ。
両手でマラカスを振りながら、長い長い、スキップの旅。

シャン、シャシャカシャカ。
シャン、シャシャカシャカ。

出会う人々はみんな、マラカスのリズムを聞くと、つられて踊りだす。ぶるんぶるん手足を振り回しながら、一生懸命踊る。ところが、マラカス少年がいなくなると、人々は何事もなかったかのように我に戻ってしまい、踊っていたことすら忘れてしまう。いたずら好きなマラカス少年。わずかな記憶を失う人々。彼等がキョトンとしている間、マラカス少年は既に、次の街に向かってスキップしている。

次はコショウの国が見えてきた。コショウの国のひとは少し不思議。みんな、コショウのシェイカーを身に着けている。マラカス少年は街の中心にたどり着くと早速マラカスを振り始める。シャン、シャシャカシャカ。コショウの国の人たちは一斉に踊りだした。ところが、みんな手元にあるコショウのシェイカーを振るので、コショウの雲が街中を包む。

コショウが目に入って涙が出る。鼻にも入ってくしゃみが出る。マラカス少年もたまらなくなって、ついついリズムが乱れてしまう。シャン、シャ、ハクション。手が滑って、マラカスを落としてしまった。踊り狂うコショウの国の人たちが大事なマラカスをふんずけて壊してしまった。

やっとの思いで、緑のとんがり帽子の少年は街から逃げ出してきた。

口笛を吹きながら、歩いて楽器の国に戻っていったとさ。

1.11.2006

ナントカと煙とやら

私は高いところが苦手で、なおかつ重度の方向オンチだ。

仕事の接待で、渋谷にある大きなホテルのてっぺんにある、少しおしゃれなレストランに行ってきた。ホント、ガラでもない。料理は大変美味しかった。ただ、レストランさんに対して実に失礼かもしれないが、非っ常に肩がこってしまった。じわりじわりと、綿密に計算されたタイミングで出されてくる料理、多くの食器、背後霊のようにまとわりつくソムリエとやら(いい人だったが、なんとなく、ね)。

食事が終わると、ほろ酔いのおエライ様たちの会話はフワフワーっと様々な方向に飛び散り、私は席を立つ。一番下っ端なので、お勘定係なのである。バーカウンターで支払いを済ませ、一服した。

バーカウンターの窓越しに見える、40階からの見晴らしは確かにすばらしかった。キラキラキラリーンである。246号が赤と白のライトの川のよう。ただ、私は高いところが苦手で、なおかつ重度の方向オンチだ。窓に近づくことはもってのほか、どうも居心地が悪かった。ここから家は見えるかなーとも思ったが、バーテンに

「東はどっちなんかね」

と尋ねる勢いはなかった。

なんか、そういった、なんつーんでしょう、コテコテな質問が許されるような雰囲気ではなかった。いや、尋ねていたとしたら、バーテンさんのクールな空気をぶち壊すのもなんだか申し訳なかった気がしなかったでもない。「ちょっとわかんないんで調べてきます」、なんて言われたら、可愛そうだなぁ、なんて。格好つかねぇんだろうなぁ、なんて。

ということで「渋谷から江東区まで見えるか」は、謎に包まれたまま、夜は終了したのでした。

1.09.2006

ライフライン

妻が入院してしまったため、しばらくの間、男は息子と二人っきりの生活だった。まともに子育てに参加したこともない男にとっては、あまりにも突然な出来事で、今でも振り返っては無謀な試みだったと思っている。

なにから手をつければいいのか分からなかった。息子が保育園に行っている間だけは仕事に集中していれば時こそは自然に過ぎたが、問題はその他の全ての時間だった。仕事を早めに切り上げては「今日もすみません」と同僚と上司に頭を下げ、そそくさと保育園に向かう。最初の一ヶ月くらいは会社の人達も快く見送ってくれたが、さすがに数ヶ月となると皆の表情が曇ってくる。後ろめたい気持ちを隠しきれない者も。いつになれば、いつも通りに働いてくれるのだ。いつになれば。自分でも知りたかった。

今日も見慣れぬ父親が来たと気付いた息子は大声で泣く、蹴る。お呼びではないそうだ。「大変ですね」と、若い保育園の先生はいささか笑顔で言う。「えぇ、はぁ」としか返す言葉が見つからない。

息子の手をギュッと握って力ずくで家に連れて帰る。息子は、男が歩く方向とは反対方向へ力いっぱい引っ張る。保育園に戻る方向でもなく、ただ、男とは反対の方向へ。あやしたり言葉でぼやかせば良かったものの、男は息子の手をより強く握り締めて、肩が抜けてしまうのではないかと思うくらい引っ張った。幸い、かろうじて手を上げることはなかった。ただ、買い物に行くにしても、公園に行くにしても、どこに行くにも引っ張らなければならない日々が続いた。

ある日、休日を機に息子に久しぶりにオモチャでも買ってやろうと、デパートに行った。ここでも、引っ張って、泣きじゃくる。オモチャ売場の店員や周りの親子の視線をグサグサ感じた。

「恥ずかしい」と思った瞬間だった。

「あ・・・」

手汗に滑って、息子の手を放してしまった。

息子はぬいぐるみの方向へと走っていった。

1.06.2006

一瞬のおまじない

地下鉄線を乗り換えするために、車輌を降りた。4番車輌に乗っていたと思う。
降りたばかりの電車を見送っていた。

ホームには、6両電車のちょうど真ん中辺りに駅員が立ち、前方のドアを確認、人差し指をさして腕をピンと伸ばす。ピンと伸ばしたままの腕をブランコのように、反対方向に向けて、後方を確認。再び、前方に向いて、最後にゴーサインを出す。ドアがプシューっと閉じ、数秒経つとようやく電車が動き始める。昔のテレビゲームの安っぽい効果音のように、電車が加速するにつれて「ぎゅいーん」という音がぐるぐる低音から高音へ。4番車輌、5番車輌と、駅員の前を過ぎて行く。

最後の、6番車輌では車掌さん(でいいのかな?)が窓から肩まで乗り出している。駅員と車掌の目が合い、お互い右手を上げて敬礼する。駅員は白い線すれすれの位置で立っているので、そのまま、二人とも目を合わせたまま敬礼のポジションさえ崩さなければ、6番車輌が駅員の前を通り過ぎる瞬間に二人はハイタッチをしていたはず。

動くな・・・動くなよぅー・・・なぜか、無性に二人のハイタッチを見たくて仕方が無かった。スパーン!という音がホームで響くのを聞きたかった。これさえ見られれば、今年の正月は良かった、きっと今年はいい年になる、と少女趣味じゃあるまいがそんなおまじない的な妄想もあった。

駅員は敬礼のポーズを崩しはしなかったが、ハイタッチをする前に黄色い線まで下がってしまった。

1.05.2006

事後報告

義理の父は、自ら立ち上げた鉄プレス工場を経営している。職人肌。爪はエンジンオイルで黒くなっている。頭の回転がえらく早く、新潟独特の辛口(らしい)な口調。仕事においての共通の話題はおろか、私は彼のことを良く知らない。初めて会った頃はおっかなさ故にかしこまっていたが、四年間に渡って少しずつ親しくなってきた気がする。一年に片手で数えられるくらいしか会っていないわけだが。それなりに。

ヨメから聞いた話です。

以前ヨメが実家に帰っていたとき、親子で私の音楽活動の話題になったそう。ヨメとして、夫がまっとうな音楽活動を目指して夜な夜な作業をしているのを見ていて、心配するのは、まぁ「ヨメ業」に従する者としてしかるべき姿であろうという考えもあるので、そこで責めるつもりはない。別に私がこういった活動を続けるのを反対しているのではなくて、どうなんのかね、程度の気持ちだったと思われる。ただ、実に意外だったのが、義理の父の一言だった。

「ケイスケから音楽を取り上げるンじゃないゾ。」
「曲とか作ることとかよぅ、お前は逆立ちしたってできねぇんだからよ。」

と。音楽を取り上げたら、他に何もできなくなるぞ、と言う。私は義理の父に一言も音楽の話を直接したことがなかったのにも関わらず、彼は確信を持ってそう言う。

私がどんな気持ちでどのような音楽をやってるだとか
私が誰にどういわれて影響されるか否かだとか
何が犠牲になる可能性があるのかだとか
今の仕事と音楽で本命がどうのこうのとか
義理の父が果たしてどんな意味で(ギャグで?)そんなことを言ってるのか

とかとか全て、さておいて。

不思議で、多分うれしかった。