5.29.2006

若者よ南へ

先日、私の姉からメールが届いた。
コロンビアに行ってきます、とのこと。南米の。

旅行かと思いきや、働きにいくらしい。なんで?って。そこさ仕事があって面白そうだからと。ちなみに、私の姉はというと、この話が出てくるまではアメリカで音楽の先生をやっていた。コロンビアでも、現地にあるインターナショナル・スクールというやつで、音楽や英語を教えるらしい。

振り返ってみても、四人兄弟のなかでも、一番音楽熱心だったのは姉貴だったのかもしれない。練習魔だった。数時間にもわたって同じフレーズを反復する執念、家の他の部屋にいるのに、まったく曲が進まないことに苛立ちを感じてキレる、小生意気な弟。

滞在先の住所は一応メールに付記してあったが、手紙とか小包が無事に届く保証はないらしい。当面はインターネット頼りになるらしい。ただ、手紙がロクに届かない国で、インターネットが正常に接続できるかも極めて疑わしいと思う。おまけに、コロンビアはあまり治安のよろしくないところだと聞く。

こんな私の姉貴はキチガイに間違いないが、たくましいと思う。
身近に音楽で食いつないでるヤツがいることを、忘れがちである。

5.19.2006

食べ残し

隣の爺さん、年齢の割には元気そうだった。元気そうだったから、突然亡くなったというニュースには誰もが驚いた。都会で働く一人娘が呼び戻され、あわただしく葬儀は行われた。

故人は秀夫さん72才。定年退職してから、かつての会社生活をちょうど忘れかけていた頃だった。妻をその5年前になくし、その後はたくましくも一人暮らしをしていた。それ以上、彼の生活ぶりについて語れる者はおらず、ただひっそりと最期を迎えたということしか分からなかった。

娘はその後、数日間かけて父親の私物を整理した。近所の人たちもそれなりに娘に気を使い、仕事もあるのに大変だねぇ、と声をかけたり、家の掃除の手伝いをしてやった。そんなある日、父親のスケジュール帳がひょんと出てきた。あまり多く書かれてないようだが、用事があるときは丁寧に記されていた。娘はパラパラとページをめくってみた。

5月1日 18:00 ○○寿司 電話 3923-3857
5月9日 18:00 龍門(中) 電話 3924-7671
5月19日 18:00 ホテル・ドゥ・タナカ 電話 6658-8437

時間と金が有り余っていたのか、スケジュールをさかのぼっても高級レストランの名前ばかり。一人暮らしもまんざら悪いことばかりではなかったんだな、と娘はふと思う。それなりに楽しんでいたのであれば。誰かと一緒にいってたのか、それとも一人だったのか。横から見ていた近所のオバサンが言う。

「あら、ヨシコちゃん、5月19日って今日よ?」

「あ、本当。どうしよう、お店に電話しようかしら」

「荷造りもあとちょっとだけだし、せっかくだからお父さんの代わりに行ってみれば?」

いったい何をもって「せっかく」というのかは理解できなかったが、娘はオバサンの言うとおりにすることにした。父親が誰かと待ち合わせをしていたのかも分からなかったけど、結局四人かけのテーブルで一人、フルコース食べちゃったよ、と翌日オバサンと話した。

その夕方、娘は新幹線に乗って東京に帰っていったそうな。

5.18.2006

でも楽しかったよ

「すみません」

外でタバコを吸っていたときに、満面の笑顔で体格の良い女が話し掛けてきた。若い。外は雨が降っていて、ムシムシしてる。彼女はグレーのスーツを着ている
。なぜかピンクのスニーカーだった。

「はい?」

「お忙しいところすみません。ちょっと見ていただきたいものがあるんですが!」

「なんでしょう」

ライター貸してくれ、とでも言うのかと思っていた。

女はハンドバッグから、太巻きのような形をした鉄の筒を取り出した。縦長にパックリ二つに割れるようになっていた。女は自らそれを割ってみせて、私の方に差し出した。よくよく見ると筒の半分は計算機になっていて、もう片方にはペンケースだった。

「雑貨屋のものなんですが、これ、いくらだと思いますか?」

「うーん。いくらだろう。」

「普通、1,500円するんですよ、これ。」

「あー。」

反応をする間も与えずに、女は喋りつづけた。高すぎますよね、1,500円じゃ。それで、このシステム手帳とコレ(なにか他に取り出して)と合わせて1,500円でいかがですか、という話なんですが。という。

「文房具は間に合ってるから、今日はいいや。」

「そうですか!分かりました、失礼しました!」

「大変そうだね、こういう営業」

「そうなんです!」

5.12.2006

ビューティ・ナビされて

散髪の話です。

昼休み中に行けるよう、職場近辺で探していました。インターネットで。男が入りやすい所は、なかなか無いものです。初めての所に入るにも案外勇気が必要です。そこで、一件よさげなお店(地味・・・だったんですね)がありまして。そこでです。インターネットでよくありがちな。

「ビューティ・ナビで見ました!と言えば初回は1,500円引き!」

ああ、ビューティ・ナビねぇ・・・。ふぅむ。ビューティ・ナビかぁ。
1,500円の代償は安くなく。
もう少し気の利いた合言葉にしてほしかった。
暗証番号でもよかった。
ボディーランゲージ的な合図でもよかった。
ウィンクとかさ。中指とかさ。

結局、腹を決めて行ったわけですが(真っ先に大声で言ってやりました)、男性の美容師さんに担当してもらいました。なかなかの男前なのです。スラっと細くて、よく整った顔のパーツに、栗色のロンゲ。一人で全部やってもらったのですが、シャンプーがとても印象的でした。男の人にシャンプーしてもらったのが、もしかして初めてだったのかもしれないのですが・・・なんだか気持ちいいのです。スラっと細いとはいえ、手は間違いなく男のものです。ふぅむ。

余談ですが、子供を抱っこしてると、いつのまにか寝てる時がよくあります。ヨメに言わせてみれば、男にも独特の包容力はあるようです。大きい胸、大きい手、大きい腕など。

5.09.2006

アルカリ延命

モノを大事にする、ってなんなんでしょうね。

我が家ではいつも、息子のオモチャが散乱しています。オモチャたちの大半は、どこかしら壊れていたり、部品がなくなっていたりします。機関車トーマスの顔が外れていたり、ブルドーザーのゴムのキャタピラの部品がなかったり。ときには、身元がまったく分からないプラスチックの破片も。一見、無様な姿になってしまったオモチャたちですが、「遊び潰した」という風にとらえれば、オモチャもハッピーなのでは、と思ったりします。

気付けば価値観が良からぬ方向に傾いちゃったんだな、なんて時々思います。一度壊れてしまったオモチャをみると、無意識に「遊び終わった」という風に考えちゃってたような気がするんです。まだまだ真っ当なオモチャであることを見失ってて。子供は子供で、オモチャの状態を問わず、僕の理解できないパターンに沿って楽しんでる。今日は壊れた線路をつなげてようとして、次の日はくまのプーさんのクルクル回るへんなヤツ。だから、時々僕が忘れかけてた、ボロボロのオモチャを持ち歩いては、僕を驚かせています。あ、こんなのもあったんだなぁ、って。どこから引っ張り出してきたのやら。勝手に微笑ましく思っているのも親バカの内ですが。至って普通のことなんでしょうけど。

オモチャを投げると、叱るんですけどね。
理不尽かもしれませんが。なぜか。
投げちゃいけないな、って感じるんです。

つい最近、電池で動くブルドーザーが大流行したんです。一生懸命遊んでて。思ったより電池の消耗が早くて、何日か経ったら動かなくなってしまったんです。こういう時に限って父親に頼ってくるわけですが、「電池なくなっちゃったよ?ねぇ」と。電池のオモチャは初めてではないのですが、電池の交換をするまで崩壊せずに生き残ったのは初めてかもしれません。

プラスのドライバーを探してるときに、ふと思ったことでした。

5.02.2006

自動車地獄

歩行者天国という言葉が好きだ。その意味も、その言葉の響きも。できることならば、「ホコテン」とムヤミに略称を使いたくないほど好きだ。

私の住むマンションの近くにも、夕方は歩行者天国になる商店街がある。正式名は一応、「買物天国」という。買物天国と、いささか大げさなネーミングだが、質素な商店街であることには変わりない。くたびれたパン屋さん、くたびれた魚屋さん、おでんのネタ屋さん、そば屋、八百屋、薬局と、どれもがなんとなくくたびれていて、「買物天国」という立派な名称に相応する気合は一切感じられない。普通に考えれば、「住吉商店街」とでも名づけておけば正直っちゃあ正直だ。が、こういう風に無駄な背伸びをする下町カルチャーが、理屈の領域を超えて僕はとても好きだ。なんだか前向きな気がする。ジジババの街でもユーモアが健在だということだと勝手に整理している。ちなみに、隣町の商店街は「砂町銀座商店街」である。

少し話しがずれたが、歩行者天国。天国というほど騒ぐものでない。
歩行者も自転車の人も少しだけ、楽チン。
大した経済効果があるとも到底思えない。
これはきっと、理屈じゃないと思う。
僕が後付の理屈を作ってもあまり意味ない。

暖かい日の夕焼けを浴びながら、ここを歩くのは実に気分がいい。こういった微々たる効果のために、くたびれた商店街が未だ集団的に取り組めるのは、よく分からないけど、なかなかステキなことだと思ったりする。