9.29.2007

業務連絡:ライブとCD

10月8日(月・祝)の夜、西荻窪のturningでライブをすることになりました。今までやったことのない曲に挑戦してみようと思います。きっと、楽しい。ちょっと、悲しい。涼しくなってるといいですね。ご都合よろしければ、是非遊びに来てくださいー。

10月8日(月・祝)
nishiogi turning
http://www.turning-promotion.co.jp/tng/index.html

あと、開場で次のCDを持っていくようにします。是非、もらっていってください。郵送をご希望の方はメールでお名前と住所を送っていただければ、無料で一枚お届けします。



the hinsi etude by cayske hinami
"me and the minions of the cheshire cat"

1. night watch clock

9.26.2007

幸せを揚げたならば

コロッケが好きになった。
いや、ずーっと好きだったことに最近気づいたのだ。
コロッケが嫌いと思ったことはない。
いままで無関心だったことが悔やまれる。

きっかけは、近所の肉屋さんのコロッケだ。90円のコロッケをその場で揚げてくれるのだ。「待ち」用のパイプ椅子に腰掛けて、揚げあがるのを待つのだ。おばちゃんは、そいつをクッキング・ペーパーのパウチに包んでくれるのだ。そいつを家族と散歩しながらハフハフしながら食べるのである。サクサクホクホクしていて実に美味いのだ。ほのかに甘い香りがする。これで、オマケにコロッケが体に良いなんて話があったら、私は果たして週何枚コロッケを食べることだろう。オヤツにも、おかずにも。塩で食べたり、ソースで食べたり、そのままで食べたり。

コロッケという言葉の響きも、何とも愛らしくて大変よろしい。悪意のかけらすら感じさせない、ステキな響きだと思う。ふざけてるのか、「コロッケ」。あの小さな「ツ」はなんだ。「ッケ」なんて語尾はおそらく一生流行はしない。そんなゴーイング・マイ・ウェイな、コロッケ。仮に宇宙語で、「コロッケ」なんて言葉が存在するとしたら、それはきっとハッピーな意味を持つ言葉だと思う。「コロッケ」という響きには、やましい意味はふさわしくないと思う。幸せとか、笑いとか、クレヨンとか。スキップとか。逆に、愛とかは仰々しすぎて多分、違う。

そんな感じである。

9.24.2007

ただのお肉であること

男はひどく落ち込んでいた。
生きる望みを完全に失っていた。
人は、望みを失ってしばらく経つと、途方に暮れてしまう。
途方に暮れてしまうと、ロクでもないことを考えたりする。
たとえば、

私はもう、ただのお肉だ。
誰の役にもたてない。

男が心のなかでそうささやいたとたんに、目の前に「怪しい男」が現れた。人のことをはなっから「怪しい」と識別することは良くないことだが、黒のシルクハットとマントと杖を身に着けた男のことを「怪しい」のほか説明する言葉がなかったのであった。そして、その怪しい男はいった。

あなたは生きる望みを失っていて、
誰の役にもたてないと思っていますね?

男はそうだ、と答えた。私は、もうただのお肉だ。誰のやくにもたてない。いっそのこと死んでしまおうと思う。私は生きていようと、お墓の中にいようと何も変わらないのだから。私は本気だ。あなたのような、黒のシルクハットとマントと杖を身に着けた怪しい人物にでもこう自然に打ち明けられるくらい、気持ちの整理がついているのだ。

重症のようですね。どれ、私の提案を聞いてください。
実はあなたは、まだ誰かの役にたてます。

それは、もしかして献血とか臓器提供とか骨髄バンクとかではなかろうな。予め言っておくが、私は自分の命に対して執着がない分、他人の命にも関心はない。いや、むしろ他人の命を延ばすような行為は返って他人に迷惑だと思ってるくらいなのだからな。

いいえ、献血でも臓器提供でも骨髄バンクでもございません。あなたは、ただのお肉ではないのです。ものの考えようですが、立派な食肉でもあるのです。どれ、私があなたを人食い部族の住む島までつれていって差し上げましょう。あなたは大歓迎されることでしょう。そして、お墓に入らずに、その人食い部族の宴の主役となり、一夜のスーパースターとなるのです。人のはかない快楽に直接貢献することでしょう。いかがでしょうか?

それは、大胆な提案だな。
痛いのか?

怪しい男の態度は一変した。うるさく舌打ちをする。
だんな、「痛い」とか考えてるようじゃまだまだ本気じゃないな。
ハンパ者は死ぬまで生きてな。

風のように現れ、風のように「怪しい男」は姿を消した。

9.20.2007

残念ながらセリーヌは不滅

例えば、こんな男性。

夜遅い時間、駅からの帰り道にある公園に立ち寄る。なぜ立ち寄るかというと、子供用の鉄棒を見て自分が「逆上がり」をできるか確認したくなるのだ。小学生の頃、苦戦したのは覚えているが結局、当時成功に至ったかははっきり覚えていない。ひとまず鉄棒をグッと握ってみて、思いっきり蹴り上げてみる。ところが、見事に腕が自分の体重に耐えられず、上半身も鉄棒から離れてしまい、回ることができない。逆上がりを失敗したときの姿はなかなか惨めなものだ。なにせ、大の男が子供用の鉄棒をつかんだまま、バンザイしながらしりもちをついている状態なのだ。それから2ヶ月ほどかけて週あたり数回のペースで公園に寄り道をして逆上がりの練習をし、ようやく成功するようになる。

こんな男性、その後少しの間はやってやったぞと達成感に浸るが、自慢するにも自慢する相手が思いつかない。まぁいい、これは自分だけが知っていることにしようと、そんな結末になるわけで。こんな男性、真夜中に思い出し笑いをする。ププっと。

そして、例えばこんな女性。

セリーヌ・ディオンが大好きで、夜な夜なお風呂の中ではタイタニックのテーマのサビだけを繰り返し歌っている。ところが、こんなの誰に聞かせればいいんだろうとふと思う。まぁいいわ、私が私のために歌うんだからいいの、それでいいの。誰が何を言おうとセリーヌは最高よ。こんな女性、真夜中に思い出し笑をする。クスクスっと。

そしてこんな男性と、こんな女性が仮にある日出合ったとして、二人が愛し合うようになり、同じベッドで寝るようになった場合。お互い隠し事をしているわけでもないんだが、たまたま「逆上がり」も「セリーヌ・ディオン」が話題に一度もならないという、いわば偶然だ。付け加えるならば、偶然であろうとなかろうと、お互い知っていようといまいと、こんな些細なことが二人の関係に影響を及ぼすわけがない。ただ、今でもときどき男性の方か女性の方が、寝てるときに、ププッ、もしくは、クスクスッと、声を出して笑うこともある。その笑い声で起こされた相手にしてみれば少し頭をかしげる体験であるに違いない。

9.15.2007

好きで嫌いで

円次郎と角ノ助、二人はそれは仲の悪い双子の兄弟だった。かけっこにしても、お絵かきにしても、何にでも殴り合いの喧嘩に発展するのだった。健康的な競争心だったらまだしも、何を始めても五分足らずで血が流れるものだから、両親は困り果てていた。そこで、父親は家族で海水浴に行くことを思いついたのだった。海水浴だったら、二人ともおとなしく、波で遊ぶほか何も無いだろうと考えたのだった。

パラソルを設置すると、まず行動したのが円次郎だった。波には見向きもせず、砂の山を作り始めたのだった。角ノ助も負けまいと、円次郎の近くでせっせと作業を開始した。父親と母親は目を合わせた。また、はじまった。

「おい角ノ助、真似するなよ」

「円次郎こそ、真似するなよ」

そう怒鳴り合いながら、二人の側にはやがて、それぞれ、大きな砂山と、その砂山を作るために掘った大きな「穴」ができた。山は互角の大きさだった。円次郎が再び先手を切った。角ノ助は自ら掘った穴の中で掘り続け、自分の山の方に砂を放り投げていた。円次郎は角ノ助の穴に飛び込み、角ノ助と肩を並べて砂を堀りはじめ、しかし掘った砂は自分の山の方角へ投げた。角ノ助の山が大きくなるのを遅らせる手段であった。ところが、角ノ助は気にしていないようだった。母親は珍しく二人が喧嘩をせずに同じことをしていることに驚いたが、原因はすぐ分かった。角ノ助は「山作り」で競っているのではなく、「穴掘り」で競っていたのだった。

母親はこっそり父親にそれを明かした。

あなた、どうする。

ほうっておいて、どうなるか見てみようか。

9.12.2007

スナック「かのん」より

中途半端な時期に夏休みを申請してしまったものだから、旅館はガラガラだった。色あせたじゅうたん、タバコのにおい、卓球台にUFOキャッチャー。今年はゆっくりしたいというのが妻のリクエストで、大掛かりな計画は一切たてず、この旅館で2泊するだけの予定だった。そういう意味では、このぐずつく天気、ガラガラの旅館、この、飲み込まれそうな夜の静寂、ゆっくり過ごすには非常に都合がよかった。この調子だと今年も、温泉幽霊に出会ってしまうのかなと思ったりもしたが、結果からすると幽霊すら遠のくオフピーク中のオフピークだったようだ。2泊とも、息子と大浴場を独り占め。2泊とも、食べすぎ。2泊とも、すっかり湯疲れ。

2泊とも、妻と息子が寝静まったあとは、ロビーでタバコと読書。最近文庫本がたまる一方だったため、少しは進めることができてよかった。見えないところで、係員が僕のかけていたソファの上の照明をポチっとつけてくれた。天井に設置されたエアコンの音と、外のスズムシの音しかしない中、一冊読みきった。いや、途中から妙な音はあった。遠くで誰かがワイングラスで乾杯をしている音のような。エアコンの風が天井のシャンデリアを揺らしていた。本を読み終えたころは浴衣が見事にはだけていた。

朝食後は、一人でスナックでコーヒーをいただく。
ビリー・ジョエルのベストアルバムがかかってる。
この場所の雰囲気によく合う。
若い頃の声には独特な艶がかかってて甘い。
オヤジになってからは少しトゲがある。

「お父さんは太陽になった」おいてあった。
ガン闘病47日間の記録。
数ページ読むが、悲しくなってすかさず閉じてしまった。
ガン以外の話が自分とかぶり過ぎていて、怖くなった。

よしもとばななという作者の本を読む。
妻に「サンクチュアリってなに」と聞かれて回答に困る。

ケーブルカーで上り、雨と霧、真っ白の世界。
雨の音、以上。感動した。

9.11.2007

子供と数字は残酷

富田の魂は、エンマ大王に会うための列に並んでいた。もう、2、3日待っただろうか。もうすぐ、自分の番だ。時の流れは、もう気にならない。列の先頭はどうやらチンピラさんの魂で、富田は前から2つ目。富田のうしろはシジミの魂だ。

チンピラの魂がエンマの間に呼び込まれた。その魂は相当びびっていたためか、たまたまエンマの間へ入るとき、扉を半ドアにしていったため富田はそのチンピラの裁きの様子を覗くことができた。エンマ大王は本をぺらぺらめくりながらゴニョゴニョしゃべっているが、何を言っているかは聞き取れなかった。

と、しばらく経つとエンマは大きな声でどなった。

「極楽にいけぃ!次!」

今度は富田がエンマの間に入った。前の魂と同様、エンマは大きな本をぺらぺらめくり始めた。ゴニョゴニョ数を数え始めたのだ。

「1,345、1,346、1,347・・・こりゃあ、針の山だな、こりゃあ。」

富田は納得いくはずがない。

「エンマさまお言葉ですが前のチンピラが極楽行きで私が針の山というのはどういうことでしょうか?私はそれなりに、一生懸命生きましたし、人も傷つけたことがありません。子供だって育てましたし、家族も私が極楽に行けるよう信じているというのに、なぜあんなろくでなしが極楽行きなのでしょうか?」

「ん?チンピラ?ああ、貴様の前も魂か。あれは、極楽行きで間違いないぞ。なにしろ、アリンコの数がな、少ないんだ。」

「アリンコの数・・・ですか?」

「男の子の場合、0歳から5歳の間に踏み殺したアリンコの数が指標なのだ。お前は1,348匹。あのチンピラは239匹。明白だ。」

「0歳から5歳の間に踏み殺したアリンコの数だけでさばきが決まるというのですか?」

「ざっくり言えばだな。まぁ、そういうことだ。」

「ならば、私の6歳以降の行い全てが無意味だったというのですか?」

「6歳以降の行いも、結局アリンコ指数の延長線なのだよ。」

「しかし、エンマさま」

「本質的なものだからな。」

「本質的なもの?」

「仮に、貴様の日々の行いが6歳以降で大きくパターンが変わったとしても、カンニングのようなものだからな、もうあきらめろ。」

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今日から木曜日まで、留守にしています。
メールの返信など遅れてしまいますが、ご了承下さい。
m(_ _)m

9.09.2007

この手汗の理由

僕の名前は信二郎。

自分でいうのもおかしいことだが、僕はこれといった特徴がない人間だと思う。今は会社に勤めている。結婚はまだしていない。友達十に対して敵は一、それなりに、そして生活もそこそこだ。不安や悩みは、人並みといったところか。ようは、きっと、あなたとも多かれ少なかれ喜びや悲しみを共感できる人間だと、僕はそう思っている。

強いて僕にあって、他人にないものといえば、僕が今恋をしていることが挙げられると思う。恋そのものが類のないものとは言わないが、僕の恋が特別なのだ。誰もがそう思うであろうが。だから、「強いて」挙げればの話になってしまうわけだ。僕は赤面しながらもそう信じている。

僕が一方的に恋をしている女性がいる。その人の名前はアカネさんとしよう。アカネさんと僕は、特別な関係ではない。赤の他人でもない。会話だってできる、いや、ましてや告白だっていつかはするつもりだ。その時はそれなりに一生懸命頑張ってやろうと思う。ただ、今はそこまで至っていないだけだ。ときどきもどかしく思う。僕はそのように案じながらも、前向きに生きているつもりだ。

アカネさんが何も聞かないで10万円貸してくれないかと頼んできた。結果からいえば、僕は何も問わず10万円を彼女に貸した。僕は金持ちではないが、10万円を人に貸したところで生活に支障はない。彼女は悪い人ではないから、僕が力になれるならこの金が返ってくるかどうかは、実はあまり気にしていない。そんな計算をしてしまったことに、いささかイヤなしたたかさに自己嫌悪している。僕は、そう思いながらもワリとあっさりと「あぁ、いつでもいいから」といいながらアカネさんに茶封筒を渡している。

友達十に対して敵は一、僕は人に騙されたことはないと思う。アカネさんも悪い人ではないから、僕は、きっと何も悪いことは起こらないと信じている。

9.04.2007

ブラジャーに助けられ

郊外デパートの警備員の浅田さんは当時36才。年明けくらいだったか、以前務めていた会社を退社したばかりだった。退社というのは都合よい表現だけであって、実際は会社のリストラ計画で目をつけられ、自己都合の退社に追い込まれたのが事実だ。会社がリストラをしなかったならば浅田さんはきっと、何事もなく仕事を続けていただろう。働き盛りの年齢なのだ。

ただ、浅田さん自身はとても前向きなのが取り柄で、人事の懸命な説得を受け入れ、自分からその会社での生活が向いてないと判断した上で退社をしたつもりだった。会社に対して後ろめたい気持ちはないし、さすがにいまや同僚と連絡を取り合うことはないけれども年末になれば年賀状くらいは出そうと考えていた。

次の仕事のあてがないところ、「つなぎ」として夜間の警備員をやることにした。給料はまずまずで、日中の時間が自由になるのが大きかった。強いて問題点を挙げるならば、浅田さんは暗闇と幽霊がとても苦手なことだ。五階建てのデパートを一通り見回るコースだが、当初は怖くて仕方がなかった。夜のデパートはエアコンがついていないのも原因だったかもしれないが、警備員の控え室に帰ってくるころはいつも冷や汗でびっしょりだった。

あまりにも怖いので、何日かすると浅田さんは懐中電灯を使用するのを止め、移動するたびにフロアの照明を目一杯につけていくことにした。明るくなったものの、人気と音がまったくないため、その空間は新に別の不気味さを放った。それでも、懐中電灯の明かりだけを頼りにするよりはましだった。

マネキンとは目を合わせてはいけない。何度もそう自分に言い聞かせた。自分とはいえ、見るなといわれて見てしまうのがアレで、浅田さんは婦人服売り場のマネキンと何度か目が合ってしまった。その後どうってことないが、見てるときはとてつもなく怖かった。この自分の怖いもの見たさを回避するため、浅田さんはいつも洋服を見るようにした。興味はあまりなかったが多少強引にでも、あぁ、なるほどこれが今年の秋の流行なんだな、ほほう、このブラジャーの持ち上げっぷりは見事だなぁ、と独り言をいいながら見回るのだった。

やがて浅田さんは警備員の仕事にすっかり慣れることができた。いまだフロアの照明はつけっぱなしだが、それは今は恐怖を逃れるためではなく、マネキンのファッションを見るためにしているのだそう。