12.30.2007

ぼくの恋愛小説

早朝、男はその若い女を自分の部屋から追い出した。自分から誘って夜を共に過ごしたものの、夜と今朝では気分が全く違う。とにかく、今はどんな理由を作りあげてでも一人になりたい気分だった。悪いんだけど、昼から仕事なんだ。うん、楽しかった。また、電話するよ。気をつけてね。うん。玄関のドアを閉じると、まるで一晩中息を止めていたかのように大げさなため息をつく。当然、予定などない。

男はゆっくり寝室に戻り、カーテンと窓を開ける。他人の汗の匂いが部屋の空気にまだ充満している。床に投げ捨てられた洋服や枕を拾い集めながらタバコをふかす。

見覚えのない一冊の文庫本を手にする。きっと、女の忘れ物だろう。ハンドバッグが倒れたときにでも床に落ちたのか。恋愛小説のようだ。ベッドに腰を掛け、読み始める。

一章目は、主人公の男の紹介で始まる。本の男は会社員で、社内で彼女と出会ってから既に2年間も付き合っている。順調のようで、来月はプロポーズを考えているようだ。実に平凡で、幸せそうな恋愛だ。ストーリーの一章目でここまで話が進んでいるのであれば、何らかの悲劇が突然訪れるに違いない。

ただ、不思議なことに二章、三章、四章、五章と、いくら読み続けても何も起きない。彼女が友達とお茶を飲む場面、お買物をする場面、夜帰ってお風呂に入る場面。もっと奇妙なことに、主人公であろう男が二章以降まったく登場しなくなっている。彼女の日常風景から男関係だけがぽっかり抜けているので、間違いなく面影はあるはずなのだが、彼女は誰に対しても男のことは話さないし、その素振りもない。

男は身震いする。気づけば日が暮れてしまった。窓を開けっぱなしにしていたので部屋がえらく寒い。まだ寝巻き姿だ。男は窓を閉じ、ベッドの側のランプをつけた。寝巻きの上からセーターを着て、本の男の結末を見届けることにした。

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今年のfelling the titanもこれでおしまいです。

読んだりコメントを残してくださった方々、音楽を聴いてくれた方々、本当にありがとうございました。来年も頑張りますのでよろしくお願いします。

それでは、良い年をお迎え下さい。

ヒナミケイスケ

12.28.2007

訳はあるのであろうが

風呂に入っていましたところ。
下を見ると、当然なことだがやつがいた。
時には、申し訳なさそうに。
時には、何か?と挑発的に。
時には、無邪気に鉄棒にぶら下がる子供のように。

お酒でちょっと酔っていたことが影響したと認めざるを得ないが、見れば見るほど、どうもやつの存在が岡本太郎的に歪に感じて仕方がなかった。便宜的に神とでも言おうか、神はなぜ男をこのようなデザインに仕上げたのだろう。所詮、凡人一人の感性に過ぎないが、どの角度から捉えても残りの体のバランスとつりあわないと思う。形、位置、相対的な大きさ、何もかも。しかも、やつの存在により男の行動の大部分まで左右されることとなると、こっちの言い分としてはたまったものではない。例えるなら、地味極まりないワンボックス車を買って、後付で市販の巨大ウィングつけちゃいました、的な勢いと無茶を正直感じた。ただ、ひとつだけ確信しているのは、やつは最後のパーツとして付加されたに違いない、いわゆる非純正品であること。そうだ、携帯ストラップに極めて近い。

役割も微妙に、分かりにくい。
無いなら無いで微妙に、淋しい。

12.24.2007

長い長い夕焼け

クリスマスイブ、の日だ。ヨメの退院が残念ながら全然間に合わず、今年のイブはバラバラで過ごすことに。シキタリはどうでもいいが、クリスマスはどちらかと言えば好きな祭なのでちょびっと残念。ヨメの実家である。これは、どうしようもないがちょびっと悲劇かもしれない。

病院にポツポツ顔出しながら、今日は息子と1日過ごした。丸一日二人ぼっちはかなり久しぶりだ。公園で凧上げとキャッチボール、ファミレスで昼食、ジャスコの遊園地で観覧車とサイクルモノレールと凄く目が回るアレ。高いのはキライ、改めて思う。健康ランドみたいなやつで風呂、ついでに夕飯も当該休憩所にて、せっかくなのでびっくりコロッケ含む(15センチ)。

日が短い、太陽が低い、1日が長い長い夕焼けのよう。加えてどこに遊びにいってもアホのように寒いので人気がほとんどない。心細さが増す。風も強い。

いま隣でやっと寝ついた。これからクローゼットに隠したプレゼントをツリーのフモトに移動する。今年最後の父業か。歯ぎしりがスゴい。母とはなれて、ちょっと我慢の限界か。良い子に何らかのかたちでサンタさんが来ますように。

12.21.2007

ようは一人が苦手だ

てなわけで、妻の地元をはなれ昨日夕方いったん自宅に戻りました。電車を降りたのがたしか18時とか、でした。この時間帯で自分の街を見ることがあまりないので、行き来する人波が新鮮に見えました。寒いと、みんな目線がまっすぐなんですよね。なんか、ステキな何かを感じます。

まっすぐ帰ってガランとした部屋で過ごすのもアレなので、近所にある焼き鳥屋さんで寄り道をしました。全然飲めないのですが、腹ペコで焼き鳥が食べたかったのです。初対面の飲み屋で、しかも酒一杯も頼まないのもカッコつかないので、背伸びしてビールをひとつ注文し、後はしきりに焼き鳥を頼んでいました。この時間帯、ご主人と奥さん、やたらと食う一人客、妙なくらい進まないジョッキ、狭い店内には大きすぎるテレビとそいつにはもったいないくらい地味な夕方のニュース特集を梅茶漬けでしめる。

「お兄ちゃん焼き鳥好きなのかい?」

「お腹が空いちゃって。」

「死ぬほど働いて腹が減ったのか?」

「いや、実はこんなんで、家に帰ってもメシがないんです。」

「そりゃめでたいな。」

ちなみに奥さんがしゃべり担当。言葉遣いは相当悪いが気持ちのいい。ご主人、焼き鳥を出すたびによく分からない掛け声担当。両方元気。奥さん、ご主人のことをオヤジと呼ぶ。

お兄ちゃんと呼ばれたのは何年ぶりだろう。少し照れくさい。老夫婦は(パターン的にここらへんのお店では大概老夫婦であることに気づき始めた)とても気さく。アレヨアレヨと人生の経緯を引き出される。おたくナマリあるね、どこの出身?地元を一度もはなれたことのない人たちに頭が上がるわけがない(笑)ので、新入りですよろしくお願いします的な空気になる。

面倒くさく感じるときも稀にあるが、私はこの街が好き。

12.20.2007

子供が生まれました

ヒナミケイスケです。
報告をさせて下さい。

12月19日に、我が家二人目の赤ちゃんが無事に生まれました。母子ともに元気です。男の子で、名前は太佑(たすけ)といいます。何かめでたくクレバーでステキな一言を、と思いましたが、ただただホッとしているのが実情です。でも、とても嬉しく思います。しかし、くたびれた。この出来事によって自分の寿命が縮んだのか延びたのか、よく分かりません(笑)。でも、それはきっとヨメの台詞なのかもしれません。

今後ともよろしくお願いします。
略式ながら、いつもお世話になってる皆様にご挨拶申し上げます。

12.18.2007

業務連絡:CD

CDができましたので、是非、お聞き下さい。クリスマス間近ということで、今回はクリスマス・キャロルを二つアレンジしてみました。聖なる夜とやらのお供になれば幸いです。若い諸君、悪サはほどほどに留めておきましょう。

連絡先を教えていただければ、無料で一枚お届けしますので、お気軽に問い合わせ下さい。あ、あと今回は曲目をクリックしていただければダウンロード可能ですのでCD不要の方はこちらへどうぞ。



the hinsi etude by cayske hinami
"two christmas carols"

1. o holy night (traditional)
2. o come o come emmanuel (traditional)

12.17.2007

経緯等

小学生のころ、日記を毎日つけていた時期がありました。

3、4年間くらい続きましたが、それが長いのか短いのかも考えないうちに、いつのまにやめていました。書きはじめたきっかけは、誰かから好きなアニメキャラの日記帳をいただいたことと、恐らくとてつもなく時間をもてあましていた小学生であったこと。ささいなきっかけだったと思います。

意地で続けていたようなものだと、今振り返って思います。今何冊の日記帳がどこに眠っているのかはっきり分かりませんが、書いた内容は9割5分同じことなので読み返す必要もありません。

「今日はフツーだった。」
「今日は何もなかった。」

ほぼ毎日こう書かれています。中には何かがあった日も当然あったはずですが、そのことを紙に落とし込むのがひどく面倒くさくて、そこらへんのエンピツで「今日もフツー」と殴り書きでまとめてしまうのでした。なんだか、気持ちの悪い小学生ですね。そんなにフツーで何もない日ばっかりだったのであれば、さっさとやめてしまえば良かったのにと思います。やめた理由は忘れたと冒頭いいましたが、多分、この誠か嘘か分からない「何もなさ」にとうとう嫌気がさしたのだと思います。気づくのに時間が大分かかりましたが。

その昔の日記の内容はさておき、とにかくそんなことが何年か続いて、終わって、何も残らないなと思った矢先に今のこの形になりました。以上です。

12.15.2007

不味いからといい

私はコーヒーが大好きです。毎朝飲みますし、日中も何杯かいただいています。飲み過ぎで気持ち悪くなってしまうこともしばしば。お煙草と同じように生活習慣の一つと化しているわけで、そうと言える人も私一人ではないはずだと思います。

私見としてコーヒーの味というのは、美味しい味と不味い味が同居しているものだと思います。熱々の一口はあれほど美味しく感じるのに、ぬるくなってしまったものを口にすると、こんなにも不味いものを何故飲むんだろう、と悲しくなります。あの香りに騙されているのでしょうね。

私が子供のころ、当時の祖父は自分で豆をひいて、古きよき方法でコーヒーをいれていました。私はそのころからコーヒーの香りが大好きだったことをなぜだか鮮明に覚えています。飲ませてくれと祖父におねだりしたりしましたが、なかなか味見させてくれず、コーヒーにまつわる神秘は深まるばかり、やがてその気持ちは強い憧れと変わっていきました。ボクも大人になったら「ぶらっく」というやつを渋くすすってタバコをふかすのだっ、とかたく自分に誓ったものです。

そういうこともあって、悔しいけれど今でも私は、コーヒーがぬるくなってしまっても違う意味で顔をしぶくして飲み干してしまうのです。あれほど不味いもの。大好きですから。

12.14.2007

末永く別れまで

お気に入りのエンピツとか、ボールペンとかハサミとかジョウギとかホッチキスをペン立てに入れるようにしている。灰色のプラスチックでできた、これ以上地味なペン立てはないし、いつどういう経緯で僕の机にたどり着いたのかも覚えていない。かといっても、割かし古株的な位置づけである。中身は結構パンパンになりがちなので、急ぎで何かを探したり取り出したりするときは不便だ。手軽に、且つタイムリーに筆記用具がある、というペン立ての本来の役割をあまり、果たせさせてやれていない状態だ。申し訳なく思う。

好きなものを側におきたいんだろうけど、好きなものほど離れていく。当たり前のことだけども、気に入ったものこそ頻繁に使うし、うっかりペン立てに戻し忘れてしまう。結果どうなるかというと、インキの出が悪いペンとか、乾いたマーカーペンしか残らず、いつにかペン立てが半端者の墓場になってしまっている。年に一回くらいにはその崩壊状態に嫌気がさし、ええいと総入れ替えを実施する。大の男がええいと声に出してペン立て相手に言うわけではないが、その心意気だ。

少し罪悪感が残る。よくみればインキが残ってるのに出なくなったボールペンとか。なくしちゃったお気に入りのエンピツとか。一度だけ使って乾燥しちゃった修正液とか。後悔先立たずとはこういうことだろうか。使えば使うほど良くなっていくものは世の中限られているという。脳ミソ、革靴、楽器の音色。ほっとくと壊れるけど使えばある程度応えてくれるもの。ボールペン、修正液、夫婦彼氏彼女友人、健康、家他。

12.10.2007

全てを全ての人に

お昼休みによく使うコンビニがありまして、そこの店員さんのことがあまり好きじゃなかったんですよ。なんかね。

無愛想なのは結構なんですけど、気に入らないのはそれじゃなくて、客と一度も目を合わせたところを見たことがないのがどうしても気になっちゃって。つり銭を渡すときも、いらっしゃいませのときも、レジを見てるか微妙に目線をずらしてるか。なんか、これがわざとやってるのか、と思わせるくらいしぐさが不自然で。そのお店では頻繁に声かけ営業もやっていて、今日はおでんが10円引きですとか、ハムカツ発売しましたですとか他の店員さんたちが一生懸命、活気よくやってるんです。ところがコイツだけ明らかにやる気のないちっさな声で「いかがですくわぁ」と明後日な方向を眺めながらボニョボニョ言うわけです。

結果、こいつからは絶対、ハムカツを買ってやるまいとずっと思っていました。

ある日の正午、コンビニではいつものながーい列ができていました。そんで、目の不自由な若い女性がいたんですね。杖持って。何も商品を持たずに列にならんで、ちょうどヤツの列にあたったわけで。ヨーグルトはどこですか、と訪ねたかったらしい。コイツにあたっちゃって気の毒だなぁ、あ~あ、と思いながら私は隣の列から観察していました。

その店員の次の行動は予想通りというか、予想に反したというか。「ふぁーい」と相変わらずヤッホーな表情で、彼女の腕をとりヨーグルトのところまで案内していきました。この棚がこれで、あの棚がこれで。とてもつまらなさそうに、でもひたすら丁寧に。その女性もお気に入りのヨーグルトを何なり手にすることができたようで、なんだか笑みがこぼれていたような気がします。

ちょっとむかつくけど、ちょっと反省したのでした。

12.05.2007

思い出し笑い

都会の夜景を眺めていると、数々の建物のてっぺんにある、無数の赤いチカチカが気になります。ゆうっくり点滅するやつです。あれを長いこと眺めていると、そのリズムに合わせて、頭の中で潜水艦のソナーみたいな音が流れはじめます。ぽわーん・・・ぽわーん・・・って。

詳しくはないのですが、ヘリコプターや飛行機がビルに衝突しないための、灯台みたいなものなのでしょうか。赤い点を線でつなげると、建物の高さと、大体の形も分かるようになっていますよね。きっと、そんなところなのでしょう。私は、避けられるものならばヘリコプターや飛行機には乗らないことにしていますので、その役割の重大さについては関心が低いのかもしれません。でも、夜景を眺めている分、そこに愛があります。

夜景は不思議に動きがないもので。地面ではたくさんの人や車が慌しく動きまわっているのに、遠くから見ると大きな静物画の一部に溶け込んでしまっているように感じます。その風景の頂点で、規則正しく点滅する赤いチカチカだけが、街の混乱を代弁するかのように存在しているように思えます。そのメッセージを、言葉にして表現するならば、きっと、

「いえ、大丈夫ですから。」

自分の想像に過ぎないとはいえ、なんだかコミカルに思えてしまうのです。