10.30.2007

決断をした日

小次郎の祖父の話。

祖母が他界してからずっと、小さな一軒家で一人暮らしをしていた。70ちょっとの祖父が自炊や家事をいつまでこなし続けられるかは、時間の問題だと周囲は知っていた。ただ、思いの他たくましく、14年間も一人で頑張りぬいたのが結果だった。生活は概ねワンパターンで、決してアクティブとは言えないが、同年代が次々とケアホームに入居するなかその気配すら感じさせないのが祖父だけだった。

やがて小次郎が祖父の面倒を見るようになり、2週間に一度はその一軒家に立ち寄るようになった。口数の少ない年寄りだったが、時には迷惑そうに、そんなにしょっちゅう来んでもいいとブツブツ良いながらも二人分の茶を入れるのだった。それくらい気強いくらいが返って小次郎にとって安心だった。立ち寄る目的といっても祖父が無事であることを確認するだけだったので、手持ち無沙汰だけにならないように、いつも二階にある本棚の整理をするだけだった。そして、帰宅するときは毎度のように「また来い」と声をかけてくれるのだった。

ちょっとした事故が全て変えてしまう。
足を踏み外して階段から落ちてしまったのだった。
小次郎は祖父を気の毒に思い、階段の側に手すりを取り付けた。

ただ、その次訪れたとき、祖父は一度も二階に上がっていなかったようだ。本棚が整理されたままだった。

おい、じいちゃん、二階行ってないのか?

祖父は無言。

気を悪くさせたか。手すりを設置するには自分でも少し大げさかと思ったが、すっかりヘソを曲げてしまったのかもしれない。

じいちゃん、悪かったな。ほら、またケガして欲しくないからさ。

祖父は振り向いた。表情が別人のようだった。
何もやっていないのに、間違いなく何かを詫びるような表情だった。
しわの寄った額で、小次郎に他に優しい言葉をせがむようだった。
小次郎が何も言わないので、仕方が無くしゃべりだした。

別に読みたい本がなくてな。
たまには野球でも見ようと思ったんだ。

10.27.2007

気まぐれな女

与作は、一匹狼だ。今年で46才になる。

都内にある数軒の雑居ビルの窓ふきを勤めている。一年間かけて全部の窓をふくのだが、それをこの13年間くらい繰り返しているベテランだ。ビルの屋上に設置されている簡易エレベーターに乗り、外壁を下りながら窓をふく。高いところは特に得意でもないが、どのみち窓ふきというのは窓に向き合ってるわけであって、景色に背を向けているのが自然体なため恐怖はあまり感じたことがない。与作がこの仕事を好きになった理由は、一人で静かな場所でもくもくと働けることだった。そして、そよ風が気持ち良いのだった。一人で働くのが好きなので、あえて大きなオフィスビルの仕事は引き受けていない。

唯一、与作の仕事の相棒と呼べるのは野良ネコのマリアだ。マリアは、いつも与作と一緒にエレベータに乗る。エレベーターはちょうど二人の男が乗れる幅だ。与作がエレベーターの片方で窓をふいてると、マリアは反対側にチョコンと座る。与作が反対側に移動すると、マリアも位置を入れ替わる。二人の息は合っていた。与作とマリアがどのように出合ったかというと、それは2年前のとき。ある六本木の雑居ビルの屋上でエレベーターが下り始めたとたんに、突然ネコが飛び乗ってきたのだった。与作は驚いたが、エレベーターを止めなかった。そのまま、仕事が終わるまでネコはおとなしく座っていた。与作と同じように、背後の景色を見ず、ずーっと窓に向いたままだった。

「おかしなネコ野郎だな。」

メスだった。

与作は弁当の唐揚げの衣をとって、鶏肉の部分をネコに食べさせた。よくよく見ると野良ネコとは思えないくらい美しい毛並みだった。お前は、外国の美女のようだな。この間、テレビの映画で見たような。そうだ、ウエスト・サイド・ストーリーのマリア。お前はマリアと呼んでやろう。何故こんなビルの屋上にいるのかは分からないが、また遊びに来いな。そして、与作がそのビルに訪れるたびにマリアはそこにいた。やがて、近くで与作が勤める別の建物でも現れるようになった。まるで、与作のローテーションを理解していくようだった。

数ヶ月前から与作は気づき始めたが、マリアの腹が大きくなってきてる。
与作は笑った。

「お前、俺が知らないところでやってることはやってるんだな。ワルさもほどほどにな。」

先週は、ちょうどマリアと初めて出合った、六本木の雑居ビルだった。

お腹が元の大きさに戻っていた。エレベーターが下り始めても、いつものように飛び乗ってこなかった。ただただ、マリアは屋上から下っていく与作のエレベータをふちから見送るだけなのだった。

10.26.2007

大声で言わなくて良いこと

最近、家族で出かける際はタクシーにお世話になることが多い。

妻が8ヶ月目である。見るからに重そうだ。適度の歩きは出産に向けて体調を整える効果があるらしいが、かといって依然、無理は禁物だ。てなわけで、タクシーである。心と財布が痛むが、そんなものだと思っている。どの道、遠出はしないのでなんとかなっちゃうものである。そして、こう頻繁に乗っていると、二人目が生まれてくる実態も影響して

「もうそろそろ、クルマのことも考えなきゃね」

と自然と話題が流れる。

隣の車線で流れる車を窓からみながら、あーだこーだ打ち合わせをする。息子はどうやら全てのクルマがお気に入りのようだ。私は赤い車に乗りたい。妻は、燃費がいいやつ。やがてナナハンの大型バイクがババババと大きな音をたてながら通り過ぎる。

「バイクもいいな」

と冗談交えて言って見る。定番の話題である。

「ダメよ、運動神経ないんだから」

「じゃあ、50ccだったら」

「電気自転車で我慢しましょう」

「全然、かっこよくない」

「似合うからいいのよ」

てな調子である。息子もケラケラ笑う。

「とにかくね、バイクは危険なのよ。事故した友達だって、いるのよ。」

そして、それまで無口だった運転手が口を開く。タクシーに乗るときよく顔を見ていなかったが、50前後の紳士だ。やわらかい口調で、お客さんやっぱりバイクは危険ですよ、と静かに言う。とてもやさしい感じで。

「実はね、私の息子もバイクに乗っていて。かなり昔に事故で亡くなったんですけどね」

即答できるわけがない発言である。信号2、3分沈黙が続いた。

「そうなんですか。おいくつだったんですか?」

「27ですね。」

「あなたと同じじゃない。」

そんなところで会話は中断し、目的地に着いてしまった。

運転手さんの心境を不思議に思う。

一瞬とはいえサービス業の立場を破棄しない限り、なかなか言えないことだと思う。

そんで、バイクは別にいいかな、と思うようになったのでした。

10.24.2007

アリがとう

2、3人の幼稚園児が園庭で集まっている。
早い話、アリの巣をいじっている。
そのうち一人の幼稚園児が言う。

「やめようよ、かわいそうだから」

他の幼児はシブシブその一声に従い、解散する。声を上げた幼児だけ残り、ちょっと罪悪感あり気にアリの巣の残骸をながめている。一匹のアリがひょこっと巣から出てくる。小さなフロシキを背負っている。

「助けて下さってありがとうございます。あなたが巣荒らしを止めてくれたおかげで、私は生き埋めにならずにいられました。あなたは私の命の恩人なので、私はこれからあなたの手下になります。一生ついていきますので、よろしくお願いします。」

「でも、アリの巣を壊しちゃだめ、って教えてくれたのはボクのパパだよ。手下ってよくわからないから、パパに言ってよ。」

幼稚園児はアリを肩に乗せて家に帰った。パパが夕方に帰宅すると、アリをパパに言った。

「あなたがこの子にアリの巣を壊してはいけないと教えてくれたおかげで、かくしかじか、なので私はあなたの手下になります。よろしくお願いします。」

「アリさんを手下にもってもなぁ・・・困ったもんだ。俺だって、アリの巣を壊してはいけないことを他の人から教わったんだ。とっくに亡くなったバアさんだがね。」

命を救ってもらいながら、すぐさまあの世に行くわけにもいかないので、アリは仕方が無く残りの人生を過ごすことにした。一生懸命働き、女王アリにも褒められるようなアリになった。数ヵ月後、ようやく息を引き取った。さて、恩返しだ、と思いきやあの世の門番に止められた。

「アリを入れるわけにはいかねぇな。ここは残念ながら人間の魂のところだ。悪いことは言わねぇ、よそに行きな。」

「でも、かくかくしかじか。」

「そうかぁ、そりゃあ立派なもんだ。でもなぁ、困ったもんだ。なにしろお前はアリの魂には変わりないからなぁ・・・。そうだ、人間の神様は何もやってくれなさそうだが、虫の神様だったらなんとかしてくれるかもしれない。紹介状を書いてやるから、そこに行くが良い。」

アリは門番の紹介状を手に、虫の神様に会いに行った。

「かくかくしかじか。」

「お前は実に立派なアリだ。でも、死んだ人間でも生きた人間でもお前が手下になったところで、お互い何もならんだろう。でも、その心構えは評価すべく、お前には褒美をやることにしよう。これからお前に命を十個やろう。十匹のアリとして生まれ変わるがよい。」

10.18.2007

ふと不透明体

窓がない世界だったら、高層ビルはないと思う。
外が見えないから、雨が降っていても分からないだろうから
例えば50階から1階まで降りて、あ、雨だ、とまた50階に
傘を取りに行かなければならなくなって
とても不便だろうから。

そして外を見たい人は自らの足で外に出ると思う。

そんな世界だったら、高速道路や速いクルマもないと思う。
窓ガラスなしであんなに早く動いたら目を開けてられないから、
みんな自転車とか、馬車になるのかな。
飛行機やヘリコプターなんてもってのほか。

高いところから景色を見下ろすことができないと思う。
だから富士山を見に行きたいんだったら、
行かなきゃ見れなくなると思う。

透明のペットボトルがない世界だったら、
コカコーラも、ファンタもメロンソーダも
ラムネのように全部、透明になっていると思う。
同じだからね。

でも、透明のガラスも、透明のプラスチックのない世界だったら
僕のメガネなんて存在しないだろうから
どの道、何も見えないのであろうが。

10.14.2007

責任とか嫉妬とか情とか

「40年も生きるのよ。」

「へぇ、40年も。」

妻の突然の買物に、夫はただ驚いていた。
砂を敷いた水槽に、一匹の陸亀。
陸亀は手足や頭を甲羅に引っ込むことができない。
ゆっくり、歩いている。目線は妻に向けている。

いままでの妻の買物の傾向は、リビングルームを見渡せばすぐ分かる。デザイナー家具、飲みもしない沢山のワイン、写真立て、悪く言えばミーハーな趣味のもの。そんなリビングルームのコーヒーテーブルの上に、突然置かれた、問題の陸亀の水槽。

「これから数えれば、この子って、あたしたちと寿命が大して変わらないのよ。」

「うーん。」

「なんか、そう考えるとほっとけなくて。」

「40年生きるのは、別にこの亀に限ったことじゃないだろ。」

「そうだけど・・・。あ、でも、子供ができたらいい相手だと思わない?」

「犬の方が良くないか。ネコでもいいけどさ。」

「犬やネコが良くて、なんで亀がダメなの?」

犬やネコが良くて、亀がダメな理由はない。

夫は思った。嫉妬なのかもしれない。
もし、仮にこの亀が本当に40年も生きたりしたなら、
自分より長生きするかもしれないことを、想像したくなかった。

「だって、僕らより長生きしたらどうするのさ。」

「だったら、いまのうちに子供を作っておくのよ。」

10.05.2007

陰陽の乱用

「いやぁ、今日の試合は実に残念でしたね。0-3の大敗となりました。」

「はい、自分たちのサッカーをやらせてもらえませんでした。悔しいです。相手が僕らのサッカーをやらせてくれれば、必ず勝てた試合だったと思うのですが。」

「そうですよね。敗因はどう思われますか?」

「いや、自分たちのサッカーをやらせてもらえなかったことに限りますよ。何ですか、あの"ディフェンス"というやつ。僕らのパスをぜ~んぶ邪魔したじゃないですか。しかも、僕らがボールを持ったとたんに目の前に現れたり、二人がかりでボールを奪ったり、タックルしてきたり。あれじゃあ、せっかく練習してきたフォーメーションとか全然使えないし、ゆっくり考えられもしない。本当、相手は何を考えてたんだか。」

「相手のオフェンスもかなりコソクでしたね。せっかくマークしていたストライカーを使ってこちらのディフェンスをおびきよせて、他のフォワードにパスしたり。まったく予想外でした。せっかくの意気込みだったんですけどね。」

「ええ。昨夜のインタビューのときも、僕らは自分たちのサッカーをやることだけを考える、って強くみんなに伝えたはずなんですけどねぇ・・・。いやぁ、今日は相手がそれをやらせてくれなかったんで、ファンにかける言葉が見つからないですよね。全然相手には伝わってなかったみたいで。いやぁ、僕らがあやまるのもなんですが、本当に申し訳ない。」

「いやぁ、全然悪くないですよ。やらせてくれなかったんだから、仕方がないですよね。」

「ええ、まぁ、その通りなんですけどね。いやぁ、悔しい。自分たちのサッカーをやらせてもらえれば、今年は全勝するはずだったんだけど。」