1.25.2008

落しもの

夜八時頃の話。

一人暮らしの郵便太郎は自宅にいた。もやし炒めと昨日のご飯と味噌汁、と、いわば質素な夕飯を済ませてから、数少ない食器を洗っていた。この動作はもう何百回、何千回も繰り返されている。茶碗に米がこびりつかないようにまず水につけ、次に味噌汁のお椀、箸、そして茶碗の順。最後に油のついた炒めものの皿を洗うのだった。

コツン、コツン、と誰かがドアを叩く音がする。こんな時間に、何の用事だろう。太郎は手を拭き、ふきんを手に持ったまま玄関に向かう。どなたですか?落としものを届けにきました。

落としもの?

ドアを開くと、白いセーターを着た若い女性がみかんを持っていた。赤色のプラスチック網に、中くらいの大きさのみかんが五つ、六つほど。笑顔がやさしかった。

これ、あなたのみかんですか?

いえ、いや、アーウー。

きっと、あなたのみかんだったと思っていましたが、違いますか。悲しい顔になった。

何の根拠を持ってみかんの持ち主を確信したかは別にして、郵便太郎はその女性の悲しそうな表情が気にかかった。

いやあ、確かにみかんを昨日なくしましたがこれではないですね。私のみかんは、もっと小ぶりなみかんでしたから。でも、立ち寄ってくれてありがとう。

女性は笑顔を取り戻した。

そうですか。残念でした。でも、あたしこのみかんどうしましょうね。もしよろしければ、一つ召し上がって下さい。

太郎はみかんを受け取った。
どうもありがとう。

翌朝ゴミを出しに行った太郎は、そこにあるほとんどのゴミ袋から透けて見えるみかんの皮を見て腰を抜かしたんだとか。

1.21.2008

幸福の黄色い線

目の不自由な人のための黄色い線。路上の少年は下を向いて、その線をたどって歩いていた。その黄色い線は、駅の出口から始まっていて、終わりが見えないほど長く続く線だった。少年は歩道を歩き、交差点を渡り、道を幾度曲がりやがて駅からすっかり離れた住宅街にたどり着いた。そして、黄色い線の終点に何があったかというと、何のへんてつもない一軒の家だった。

少年はインターホンを鳴らした。返事がかえってこない。しばらくすると、玄関のドアが開く。出てきたのは、若い女性だった。水色のブラウスとベージュのスカートを身に付けていた。とても美しく、ものやさしく優しい空気が漂うようだった。

この線をたどってきたのね。中へいらっしゃい。少年は言われるとおりにした。家のなかも、何も変わった様子はない。和室の居間に案内された。飲み物、持ってくるわね。お茶にしようかしら、それともオレンジジュース?カルピスもたしかあったわ。お父さんが昨日、買ってきたの。

少年はカルピスをもらった。

お姉さん、目が見えないの?

女性は笑った。そういう訳じゃないのよ。あたしはあなたと同じように、目も見えるし、音も聞こえる。見ての通り自分の脚で歩けるし。坊やは、黄色い線がなんでこのお家につながってるか知りたいんでしょう?

少年はうなずいた。

確かに、あの黄色い線はお父さんがあたしのために作ったものよ。なんて説明してあげればいいのかしら。あの線がないと、あたしは帰り道を良く忘れてしまうの。だから、お父さんはあたしが下を向いて線をたどってあるけば家にたどり着けるように、あの線を作ったのよ。

少年は、再びうなずいた。

1.12.2008

素朴なおまじない

街のちいさな小料理屋での光景。四人用の座敷。テーブル上は、突然中断された飲み会の料理がそのまま放置されている。ほとんど口のついてない生ビールがある。ジョッキの底から、一本の細い泡の柱がたつ。冷奴、漬物、途中までつつかれた焼き魚の残骸。きっと、気を許し会った者同士の会だったに違いない。

そのほんの30分前、そこに座っていた一人の男の携帯電話が鳴った。高校生の娘が母親とケンカをして家出したのだとか。男たちは数年ぶりの新年会の最中だった。

バカタレが。

ジロちゃん、とりあえず探しにいってやりなよ、新年会はまたいつでも出来るんだしな。娘の家出なんて、こんな時期は今しかないんだから。

そうそう、お開きお開き。

他の男たちも快くジロを送り出した。

彼らが勘定を済ませて店をでてから大分時間が経っているのに、店の主人も奥さんもそのテーブルを片付けようとしない。午後八時半。こんな時間帯でも今夜は他に客がくる気配もないので、焦って片付ける必要がないといえばそのとおりだ。ただ、主人が心のどこかで、男たちが何年後か再びこの店で新年会をひらくことを願っていることを、なんとなくその笑み語ってるような気がしてしかたがない。

1.11.2008

心ここにあらず

朝寝坊だ。

急げば間に合ってしまう。中途半端で最もタチの悪い寝坊の仕方をしてしまった。栗原は短くため息をつき、覚悟を決めて布団を出る。冷たい水で顔をバシャバシャ洗い、冬の空気で乾燥しきった、硬いタオルでふく。次は歯をガシガシ磨き、鼻かんだティッシュをくずかごがあろう方角に投げる。見事に的をはずし、グシャグシャになったティッシュは無惨に床へ。

自宅を出て百メートルも歩いていないうち、多分、寝室の豆電球をつけっぱなしにしてきた不安におそわれる。しばらく、歩道をパックマンのように右往左往する。あきらめてまっすぐ駅に向かうことにする。歩きながら、ポケットの中に財布、カギ、定期券があることを手で確認する。

電車にはギリギリ間に合う。車両に飛び込んだタイミングと合わせるようにドアが閉じる。ドアが完全に閉じるまでのほんの僅かの一瞬、走馬灯のように他の忘れ物たちが頭をよぎる。水道代の振込用紙、ネクタイ、同僚に貸す約束をしていたビデオ、時計。挙げ句の果てに背広にクリーニング屋のタグをつけたまま到着してしまっている。一旦、席に着く。作業をはじめようとするが、左手で何か、かたく握りしめていることに気づく。

グシャグシャに潰れたアンパンを崩してほおばる。
とてもおいしい。

1.04.2008

ウルトラマンのストイシズム

息子と後楽園に行きました。今日は「あけましてウルトラマン」の日だったのです。毎年開催されるお正月恒例のイベントなんだとか。

地域とウルトラマンの運営会社が手を組んで、本当の日本のお正月を子供たちに教えようという趣旨でやっているそうです。端的に言うと、ウルトラマンをダシに親子を呼び集めて、どさくさ紛れにコマ遊び、カルタ、ハネツキなどといった伝統的プレイをさせるのです。本物のウルトラマンが子供に交えてカルタしてたり、セブンがコタツでまったりしてたり会場は実にシュールな空気に包まれていましたが、これがなんとも言えない良い味をかもし出していました。

ヒーローものですから、定例のヒーローショーとかグッズ販売もありました。開場と同時に親子どもはぶわーっとまずそちらに群がってしまうわけですが、その反面最初のほうはコマ回しのおじいちゃん、書き初めのおばあちゃんは気の毒なくらいポツリと寂しそうにしていました。ただ、徐々に会場がいっぱいになっていくにつれて、長い列に並びたくない親子、待ちくたびれた子供たちがおじいちゃんおばあちゃんのところにも立ち寄るようになって行きました。なかなか、そこらへんも盛り上がってたようです。僕もコマの回し方を習いました。息子も終始ドーパミンがブシューしてたみたいです。なかなか的を得たイベントだと、感心してしまいました。

なんだかんだいって、結果色んなグッズを買わされる羽目に。でもヒーローショーの司会のお姉さんが激マブだったため許すこととする。お姉さん、超マブいよね?と一応息子と確認をとろうとしましたがヤツは口をポッカリ開いてステージを埋め尽くすウルトラヒーローと怪獣に圧倒されていました。いや、私もいちウルトラファンなのですが。

息子ももう五歳。新しく生まれた弟の存在も少しずつ、肌で感じ始めてるみたいです。周囲は自然に新入りに注目しがちですから、きっと目の届かないところでいわゆる「長男坊」独特のストレスも感じているはずです。どの程度ガス抜きして、どの辺辛抱してもらうか、そんなバランスにつき考える今日この頃です。