2.29.2008

未知なる可能性

寝つきが悪く、ウダウダしていても仕方がないので起きることにした。外はまだ暗い。ひとまず湯を沸かし、インスタントコーヒーの元をスプーン一杯分マグカップに加える。冷え切った台所の空気に、いい香りが広がる。人の体は身勝手なもので、マグカップに口をつけようとする瞬間に大きなあくびをし、突然まぶたが重くなる。あれほどベッドでじっとしていたというのに、今頃寝ようとする。ムチを入れるつもりでコーヒーをすばやく飲む。

気づけば始発の上り電車に乗っていた。夜遊びのしすぎで帰りの始発電車に乗ったことは記憶にあるが、出勤時の始発は初めてかもしれない。車両の中にはポツリ、ポツリ、ポツリと乗客が3人いる。一人はスーツの男。一人は若い女性。一人は高校生くらいの男。

席に座ると、となりに昨日の夕方のスポーツ新聞が丁寧にたたんでおいてある。スポーツ新聞の記事にはあまり興味がないが、せっかくなのでのびのびと新聞読んでみることにする。バッと豪快に開いてみると、下着姿の女性の写真が1ページの大きさで飛び出てくる。バッとスポーツ新聞をとじて、おとなしく4つ折りにし、一面の野球記事に目を通す。しばらく目が泳ぐ。新聞の端から乗客の様子をもう一度見る。スーツ男は本を読んでいる。若い女性はヘッドホンをしている。高校生と一瞬目が合うが、そっちが目をそらして窓の外を見るフリをする。ポツリ、ポツリ、ポツリ。

よく考えると、この車両の中で、この若者が一番浮いているように思える。手ぶらだし、様相から目的地が分からない。早朝のアルバイトか、それとも気まぐれの旅か。

若いころを少し思いだす。

2.28.2008

ヒトシの友達

ヒトシの母親の悩みは、ヒトシに友達がいないことだった。
正確にいうと、友達がいるかどうか分からなかった。
今年ヒトシは小学三年生になる。

毎日学校からまっすぐ帰ってくるし、学校での出来事を尋ねても、フツウ、とそっけなく答えるだけだった。一時期はイジメかと心配したが、家にいるときの言動は何もおかしい所はなく、学校に行くこと自体は苦に感じていなかったようだった。成績はいたって普通。最悪の場合、よその子にちょっかいを出してる可能性についても考えてみたが、他の母親からのヒトシの評判も決して悪くなかったのだ。ズバ抜けて褒めるところはなくても、皆聞かれれば口をそろえて言う。

「いい子よね。」

ある晩、食事中にヒトシが言ってきた。

明日、友達、家に連れてきてもいい?
どんな子が来るのか、気になって夜眠れなかった。

翌日、ヒトシと玄関に立っていたのはどうみても二十歳前後の大学生だった。ヒトシくんのお母さん、こんにちは。平沢といいます。キツネにつままれた気持ちのまま、母親はかろうじて言葉を口から押し出した。ひらさわさん、はぁ、どうぞ。平沢さんはおじぎをし、二人は二階にある居間に向かった。

母親は台所で、お菓子とグラスを取り出した。ジュースより、コーヒーの方がいいのかしら。ジュースとアイスコーヒーとお菓子を盆に乗せ、二階に上がっていった。二人はテレビの前でテレビゲームをやっている。う、ヒトシなかなかやるな。スポーツゲームをやっているようだったが、ほぼ互角の戦いぶりだった。

ジュースとコーヒーここに置いとくわよ。
あ、ガムシロ忘れたわ。

お母さん、ブラックで結構なのでお構いなく。

2.19.2008

耳なし阿修羅

野村という男は、実はの事を言うと二重人格の持ち主だ。背広にボールペンをしまうとき、右側の内ポケットか左側の内ポケットにしまうかの違いで、人格が切り替わってしまう。右側の場合は、横断歩道の赤信号をまもる。左側の場合は、必ずといってもいいほど信号無視をしてしまう人格になってしまう。やっかいなことに野村という男は二重人格であると同時に両手利きでもあり、いつボールペンを右側にしまうか左側にしまうかは完全に不定期である。一日おきに変わったり、右側にしまいっぱなしの状態が半年以上続くときもあったりする。

そんな野村はある日、左側にボールペンをさして道を歩いていた。とある横断歩道で、案の定、赤信号をまったく気にせず道を渡ろうとした。いつもは車の通りも少ない横断歩道なので何事もないが、その日は運が悪かったとしか言いようがなく、大型トレーラーにひかれそうになった。トレーラーの運転手はギリギリのタイミングでハンドルをめいっぱり切り、野村との衝突を避けたが、そのまま近所のパン屋さんに正面から突っ込んでしまった。運転手はむち打ちの程度の怪我で済んだが、不幸なことにパン屋の店番をしていたおばさんがその事故で亡くなってしまった。

そんな事故が、昔あった。

野村は残念ながら自分の二重人格に気づくこともなく、今日も平和に暮らしている。あの日の出来事はあくまでも彼にとっては「怖かった日」、または「命拾いした日」としてしか記憶に残っていない。彼が事故の大きな原因であったことは否めないが、彼に悪意があってこういう事態になったわけでもない。

神のほかで知りうる三人目の私にしてみれば、これほどの心残りはない。

ゴルフに限らないが

プロゴルファーの息子の聖司は相当ヤンチャで、おまけに飽きっぽい性格なもので両親をよく困らせていた。せがれをプロゴルファーに育てようと夢見る父親は、幼稚園でもじっとしてられないままの息子では、ゴルフスクールや打ちっぱなしにつれていくことも出来ず、真剣に悩んでいた。このままでは、家業が無事に継承されるか危ういのだ。

おい、聖司。ゴルフを教えてやるぞ。

なんで?

そりゃ、ゴルフは楽しいからだ。

なんで?

ボールをだな、遠くにひっぱたくと気持ちが良いんだ。
そして小さなカップにコトンと落とすのがたまらないぞ。

へー。じゃあ、パパはゴルフやっていいよ。

ゴルフは嫌いか?

分からない。

パパは好きか?

好きだよ。

じゃあ、パパ見たいになれるぞ、ゴルフやれば。

ゴルフやんないとパパ見たいになれないの?

そうだな。ゴルフやんないと、一応、パパ見たいにはなれないな。

パパすごいの?

凄いとも。だって、パパよくテレビに出てるだろ。日曜日のテレビ。みんな、パチパチするでしょ。パパが思いっきし遠くにボールをひっぱたいたり、カップにコトンと入れたりすると。

何でパチパチするの?

みんな、パパが入れると喜ぶんだ。みんな、パパ見たいに上手にカップにコトンと入れたいから。

じゃあ、みんなに上手にカップにコトンの入れ方教えてあげれば?

みんなに教えるのは大変だからな。パチパチする人は、パパをテレビで見て勉強したり、真似したりして上手になるんだ。聖司には特別に教えてあげるけどね。

上手なのは偉いの?

偉いとも。パパ見たいにたくさん勝つと、賞金をもらえるのさ。お金。

知ってる。パパは「プロ」なんでしょ?

そうそう。ゴルフがお仕事だから、お金をもらえるのさ。

ツトム君のパパは会社屋さんでお仕事してるよ。

きっと、ツトム君のパパも、ゴルフ上手になりたいと思ってるよ。

ツトム君のパパにゴルフ教えてあげれば?ツトム君のパパ、お仕事やめてずーっとゴルフやりたいって言ってたよ、ツトム君が。

いや、ツトム君のパパに教えてもなぁ。
大人だからなぁ。

大人はゴルフ習っちゃダメなの?

いや、楽しければいいんだけどな。大人だって。
でも、パパは聖司に教えてあげたいんだな。
パパが編み出した内緒のスイングを教えてあげるよ。

内緒のスイングって凄いの?

凄いとも。絶対に負けないぞ。

内緒のスイングってずるくないの?

2.13.2008

小判じゃ小判

そんなわけで、そんな小さな私の小さなよろこびの一つは、寝る前に録画貯めしておいた「まんが日本昔ばなし」を見ることです。昨年一時期の再放送が発表されたとき、この大作をオンボロVHSのデッキで録るのは、兎に角イカンもしかしたらモテんと感じ、その勢いでHDDレコーダーという代物に手を出す決心をしたのです。いつの間にやら新しいメカの操作にめっぽう弱くなった自分にとってはそこそこ勇気を要する決断でした。

それでも、布団にくるまって昔ばなしを見ながらうたた寝するのは至福の時です。ボウヤ~の頃と比べて微妙に雑念が交じってしまうのも悩ましいところですが。意地悪じいさんやスケベじいさん、欲張りじいさんやケチじいさん、うーん実にけしからんが気持ちが分からんでもないな、と。当時のじいさんはずいぶんアクティブだったもんだと。走ったり転んだり地獄や極楽を行き来したり子育てしたり、そりゃもうやり放題で。なんとなく、いや多分当時も語り手がお年寄りだったはずだから、どうしても物語もじいさん婆さん中心に構成されてたのかなあ、とか。小判ってどんくらいもらってうれしいものだったのかなあ、とか。

そういえば、誰かから聞いた話ですが、日本人はどの人種よりもカネに弱いという学説があるそうです。一億円のラインで、たいていの人は魂を売ってしまうんだとか。

2.11.2008

雪女は何故

雪女の話が好きです。ユキちゃんの優柔不断が生み出す数々の失態、というか。本来なら少し怖いはずの妖怪なのに、B級ドラマ的な歯がゆさを感じさせてくれるのです。

山小屋で眠る若者と父親。何のチュウチョも無しに父親を抹殺するくせに、若者だけ逃してしまう。お前はまだ若くて美しい人生を持っているから助けてあげましょう。初っぱなからポリシーもヘチマもないのだ。しかも、その後も人間に成り済まして若者の嫁さんになってしまう。あぁ、もう、とハンカチを噛んでしまいたい。やめておけばいいのに子供まで作ってしまう。作ってしまったものだから、旦那が長年の約束を破って雪女の話を子供がいるところで話してしまっても、旦那のことを殺せない。子供をよろしくお願いしますと言い残してノコノコ彼のまえなら消えてしまう。も少しワガママでも良い。

その後、立ち直れたのだろうか。

2.07.2008

田辺よイチゴの方が良い

田辺は自分の前世を知っていた。14世紀のフランス画家の生まれ変わりなのだ。その画家の名はバプティステ・サンフランボワーズグジュグジュで、その時代でかなりの力を持つパトロンの下で絵を描いていたそうだ。15歳という若年で才能が見込まれ、亡くなった67歳まで幸せに暮らしたのだった。と、言うのがとある夜、とある街角の占い師が田辺に言い渡した結果だった。数年前の出来事だが、田辺はその夜のことをよく覚えている。

田辺自身、特段優れた絵心はないと自分で判断している。強いていうならば、子供のころぬりえに凝った時期が少しあったくらいだ。文字がきれい、と会社の人に褒められることが稀にある。自分が15歳のころは画家どころか、エロ本とゲームに明け暮れるごくごく平凡な少年だったのだ。なので、たとえ占い師の言うとおりだったとしても、とてもじゃないがサンフランボワーズグジュグジュが人生を影響しているとは思えないのだった。

ただそうとは言いつつも、いったいどんな理由で14世紀のフランス画家が21世紀の日本のサラリーマンに生まれ変わるのか、そんな疑問が田辺の頭の隅っこでいつもあった。人が本当に生まれ変わるのであれば、それなりの理屈があって次世が決まるのではないかと考えてしまうのだった。田辺は図書館でルネサンス時代の画家についての本も全て読み荒らした。サンフランボワーズグジュグジュについて得られる情報はほとんどなかった。糖尿持ちであったことと、現在彼の作品はアートマーケットでもブラックマーケットでも出回っていないこと。そもそも、あまり有名でなかったこと。田辺も占い師に教えてもらえなかったら知らなかったのだから仕方がない。

そんなことを考えながらチョコバナナクレープをむさぼり食う田辺であった。

2.02.2008

スースーするやつ

この頃、理容店に通っている。髪の毛を短くしはじめてから、そのかわり割と頻繁に散髪しなければいけなくなったのだ。理容店というのは、よくわからないけど技術がしっかりしてるようだし、顔も剃ってくれるしおまけに安い。

に、加えてうちの近所の理容店ではえらくべっぴんな二人姉妹が営んでいる。壁の貼り紙が十分に事態を物語っている。「映画や食事など、女性技術者をデートに誘わないで下さい」とのこと。調子に乗るなと思う人もいるかと思うが、方やそういう問題がある程度リアルでない限りそんな性格が悪いと勘違いされるような貼り紙をわざわざ貼るわけがないのである。実際とてもステキなのだ。ということで(どういうことだ)私含めそのお店に通う男たちは、今日も細心のマナーを守りながら一生懸命紳士ぶるのである。

「今日も寒いですね」

下町の街角にて、実にばかげた光景である。

それはさておき、散髪後のアレはなんなんだろう。「とりあえずトニックつけますね」。考えたこともないのもあるが、私はヘアトニックの成分も用途も全然わからない。紳士ぶるので必死なわけだから「じゃあお願いします」と毎回即答するものの。良い匂いがしてスースーするやつ。どうかハゲませんように、のおまじないなのかあれは。