6.30.2008

大概手遅れである

夏の日の昼下がり。

あそこにある、古い住宅団地の3階の角部屋に入ってもらいたい。この部屋に住んでいるのは40代の夫婦と、その息子15歳。夫は会社員、妻はパート、息子は学生といった、ごく平凡な家庭。ドアを開くと、部屋に閉じ込められていた朝の日光がこもった熱気が、そばつゆの甘い香りが、少々のほこりが、その平凡さを象徴する様々な精霊が出迎えてくれる。この時間は、まだ留守のようだ。

玄関から伸びる長い廊下の向こうにリビングルーム。玄関から右手の扉二つのうち手前は寝室、奥は息子の部屋。左手は手洗いと風呂場。寝室を通り過ぎて、息子の部屋に入っていただきたい。ほんのり汗のにおいが混ざる。

息子のベッドの下をのぞいていただきたい。暗くて分かりにくいが、腕を一杯に伸ばせば届くところに2、3の雑誌が丁寧に積まれている。一番上は、少年マガジン。その下は、週刊プレーボーイが2冊。雑誌の隣には、賞味期限切れのセブンスター半パックと、100円ライター。

勉強机の引き出しが空いたまま、大分あさられている。机の上に詰まれた、はたまた週刊プレーボーイの山。お気づきだろうか。母親のガサ入れというものだ。机の中に隠しておいたものは見つかってしまったが、少年にとって幸いなことに、ベッドの下に埋蔵された財産は発見されずに済んだ。

恐らく、夕飯の買い物に出かけた母親が先に帰ってくることだろう。

6.22.2008

遠ざかる青春

私はいつもベランダでタバコを吸うようにしている。
私の妻に言わせてみれば、ベランダでタバコを吸うようにさせている。
微妙な認識のズレはあるが、それについてはまたの機会に話そうか。

今夜、外は久しぶりにざぁざぁ降りだ。マンションの横を通るアスファルトの道も真っ黒に染まり、綺麗に街路灯の白い灯りを反射している。車は一台も走っていない。湿気で重くなった空気を顔で感じる。こんな夜は、いつも不味く感じていた軽めのタバコが美味しくなる。細かい水しぶきがおろしたてのパジャマに侵入しそうだ。一歩下がり、背中で居間の大窓に寄りかかることにする。

二本目のタバコに火をつけた。少し離れたところで、アスファルトの道を通る自転車が見える。男は女性を後ろの荷台に横向きに座らせ、同時に片手で大きな傘をさしている。大変な体勢かと思うが、滑るように大雨の中をスイスイ進んでいく。映画とか漫画でしか見たことがないかもしれない。とても、男前に思えた。その自転車をいつまでも目で追っていた。野次馬根性ではない。目の当たりの風景で、それしか動いていなかったからだった。

男と女と傘と自転車が豆粒くらいに収まるくらいの大きさになったところで、自転車は止まった。目を細めてみると、男と女は話をしているようだ。男は自転車を支えながら立っていた。男はまだ傘をさしているが、よくみると自分の頭の上だけにかかっているようだった。

6.18.2008

旅の記録

先週の水曜日から日曜日、カナダのトロント市に行ってきました。カナダはロシア連邦に次ぎ、世界で2番目に大きい面積の国土を持つ国です。トロント市は観光名所で有名な、ナイアガラの滝の近くにある大都市です。ナイアガラの滝は、流れる水量の規模では北米で最も規模の大きい滝なのだそうです。ただ、残念ながら今回はナイアガラの滝を拝むことは出来ませんでした。

ナイアガラに訪れることなく、いったい何をしてほっつき歩いていたのかというと。今回の旅の目的は、ok city okの一員として、トロントで開催されるインディーズフェスティバル「NXNE」に出演することでした。多くの人には聞き馴染みのないフェスティバルかと思いますが、この手のものではカナダ最大で、いったいどのくらい大規模なのかというと、トロントにある40以上のクラブを三日間占領し、500組のアーティストがライブをするそうです。ちなみに、私はok city okではギターとバイオリンとバックボーカルを担当しています。ok city okはライブ二本と、ラジオインタビューを二件こなしました。

道端で声をかけてくる陽気なお兄さん。「ウサギチャーーン!!ウサギチャーーン!!イエー」はい、なんでしょう。「ウサギチャーーン!!」人差し指と小指を立てて「ロックンロール」のサインをしたかったみたいです。おそらく、どこかの日本人が悪戯で「ウサギチャン=ロックンロール」と教えたのでしょう。もちろん、私も心を込めて精一杯のウサギチャンを彼に贈りました。イエー。

地元では悪評のプロモーターのおじさん。性格は最悪だがバンドの目利きはかなり腕が鳴る、らしい。ズカズカ楽屋に入ってきて、僕らの隣に座りました。お前らがok cityか、今夜は俺の選んだバンドのショーケースだ。挨拶かと思いきや、超疲れた、お前らタバコ吸うか?何かのお薬で完全にイカれてる。だいたい、視線がヤッホーな方向だ。勇気あるボーカルのお兄さんが、日本に行ったことはありますか?と訪ねると、知らねえけどベトナム人とチャイニーズの友達は沢山いるぜ、とのこと。

楽屋、というより、だだっ広い地下室。メインホールの数倍の広さ。メインホールと同じようにステージとバーとビリヤード台が完備されている。もう何年間も使っていない様子で、ボロボロだ。地下でライブやった方がいいかもね、と冗談を飛ばすが、誰かがささやく、ここでは昔、連日連夜ドラッグパーティーが開催されていたことで有名なんだとか。どおりで地下室の入り口が秘密の扉っぽくなってるわけだ。トイレがトレインスポッティング。



肝心のライブでは、2曲目でバイオリンの弦がパッツン切れるというハプニングがありました。焦りましたが、残りの3弦でなんとかアドリブを試みました。準備していたフレーズは基本的に使い物にならず、人生そんなものです。とても良い体験になりました。ライブの反響は様々でした。「結構イケてるじゃん」という声もあれば、「このジャパニーズキッズはグルーヴをわかっちゃいねえ」や「13時間のフライトの無駄」という声も。演奏側からしてみれば、良いところもあれば、もちろん反省するべき点も。

この三日間、時差ボケと興奮と時間の足りなさで、体は少しこたえたようです。年がら年中、世界中のフェスティバルを転々とするようなミュージシャンがどれだけたくましいことか。考えさせられました。

6.09.2008

期待や胸の高鳴りなり

ギリシャ神話で、シシュポスという人間の男の物語がある。一応物語と位置づけてはいるが、ストーリー自体はいまひとつ内容に欠ける。早い話、シシュポスという男はある日運悪くも神を怒らせてしまい、その結末として地獄行きになる。わざわざ「神話」として残る理由が分からないくらい、登場人物もあらすじもいかんせん紙芝居レベルである。

特徴的なのは地獄でのシシュポスの取り扱いだ。相当、神の怒りにふれたせいか、彼だけとてもスペシャルな刑罰を受けることになった。彼は大岩を丘の頂上まで転がさなければならない。ただ、頂上からあと一歩というところで岩は丘のふもとまで転り戻ってしまう。シシュポスは一日も休まず、これを永遠に繰り返さなければならない。そんな地獄。どうかな、こんな地獄。

一見大変だとは思うが、いや、永遠に岩を転がし続けることは間違いなくしんどいはずなんだが、悪いことばかりじゃないんかなぁ、と。見方を変えれば永遠にやりがいを失わずに打ち込めるような気がするのだ。シシュポスにはいずれ、岩転がしという職を心から愛せる日が訪れるのではないかと。どれだけ、結果なき過程というものが喜びを引き出すものなのか。

頂上に近づく度、待ちに待ったお正月が近づくような。
頂上に近づく度、ステキなあの子に告白できるような。
頂上に近づく度、あの岩と並んで丘からの景色を眺められるような。

そんな希望や妄想にも関わらず、容赦なく転げ落ちる岩と転げ落ちるシシュポス。気づけば大晦日の後、カレンダーが1月2日。あの子には告白できず、名前を忘れられフリダシに。ただ、その痛みや悔しさにグズグズ思案しているヒマすらない。なにせ、やり残した仕事が常に山積みなのである。

とっくに死んでいるが死んでしまいたい、と思うだろうか。
明日も生きていこう、と思えるだろうか。

それとも、どうでもいいから水を飲ませろ、と思うか。

6.05.2008

イタチごっこ

加藤みつおは十七歳で家出をしていて、それきり消息不明となっている。

家出直後、みつおの親は警察に捜査願いをだしたり、探偵事務所に相談したり、街にビラを貼ったり、ありとあらやる手段でみつおを探した。ただ、行方不明になってから20年も経つと、さすがに心が折れたか打つ手がなくなったかのいずれかが原因で、今やみつおの名前が現れるのは町内会の掲示板の隅っこのみだ。

そんなみつおが20年前に自分の机に残した置き手紙の内容は以下の通り:

お父さん、お母さん

僕は別に死にに行くわけではない。むしろ、僕は少なくともあなたたちよりは長生きすることになるでしょう。

これで、満足してもらえると嬉しい。どうか探さないで下さい。

いままでありがとう。