11.30.2008

業務連絡:ライブ

今年最後のライブがとても良い形で決まって、うれしく思います。冒険心のある方、ライブハウスやクラブが苦手な方、是非いらっしゃって下さい。はじめての長丁場に挑戦します。


black box broadcast
studio museum笹塚店 Gスタジオ
http://www.studio-museum.com/sasazuka/index.html
12月14日(日)
18:00開場、18:30開始
お一人様1,000円
事前予約なし、出入り自由
軽食/ドリンク付き、持ち込みも歓迎


謎の多いアート団体「black box」。彼らの目的やいかに。
詳しくは画像をクリック。

11.25.2008

悲しきアダルトビデオ

少々、下のお話をお許しください。
早速事実確認から入りたいと思う。

18才以上の日本男児でエッチなビデオを見たことがない人口。
私は3人と推定している。確度はかなり高いのではないかと思う。

その3人を除く、巨大マーケットと直面するエッチビデオの制作会社は、言葉足らずだが大変なはずだと思う。常に流行を追いかけ、常に新しい刺激を創出していかないと生き残れないのだ。そんな涙ぐましい努力だが、必死なあまり事々がときどき歪んだ方向に流れてしまうこともあろうかと思う。そこで、私の中学時代のトラウマを一つ紹介したいと思う。

男であれば、心ときめく思春期を思い出してもらいたい。見たことのないビデオを入手したときの緊張感。サンキュー、とすずしい顔で友人から受け取るが、ドキドキ極まりない、言わば人と人の間の信頼関係が試される瞬間である。そのお宝を持ち帰り、その後見るタイミングを図るのである。時には数日間そのタイミングが訪れないこともしばしある。

肝心のビデオの内容は衝撃的だった。

女性がマネキンを演じる設定。完全なるマグロである。BGMが流れる間もなく男優はせっせと一方的にああいうこととかそういうことを施すが、女性は表情一つ変えない。

エッチなビデオを見ていることをすっかり忘れ、正座をしたまま結末まで見た。すこしばかり吐き気がしたのを覚えてる。私はその後、そのビデオの持ち主から二度とビデオを借りることはなかったのは言うまでもない。

11.19.2008

起きるものと成す事

与作は苦労していた。人の苦労はそれぞれだが、
もしかして、あなたや私より辛い思いをしていたかもしれない。

会社をクビになってから一年間経とうとしていて、全然まともな仕事に就けていない。このご時世ではよくある話だが、よくある話だからといって楽なことに変わるわけでもない。元から少ない貯金の半分は離婚した妻に持っていかれ、養育費も滞納していた。もう時期、この安アパートからも追い出されるだろう。苦労は金銭や生活面の話に留まらない。一人息子を気にかけてくれていた父親が突然の脳梗塞で倒れ、病院で寝たきりになった。唯一、精神的な支えだった父親と口がきけなくなったダメージは大きかった。

実は、別れた妻のことも愛していた。結婚していながらも、その気持を素直に伝えることも出来なかった。他にも様々な形で交通事故にあったり、人から裏切られたり、自然災害の真っ只中にいたり、病に襲われたり、ハチに刺されたり。挙げはじめればキリがない。

私に、あまりにも多くの不幸が起きる。
私は、悪いことをした覚えがないのに。

一見身勝手で幼稚な考えかも知れないが、彼を知る者も皆、気の毒に思っていた。与作は際立ってすばらしい人間ではないが、これほどの不幸に値する罪を犯した者か、と聞かれれば、そろって頭を横に振るだろう。

このままでは間違いなく死んでしまう。そう思いながらふらふら歩いていたら、いつの間にか見慣れない道に迷い込んでしまった。その道の先は、行き止まりだった。小さな地蔵が立てられていた。不思議なところに地蔵をおくものだ。これも何かの縁かと想い、わらをつかむ想いの与作はその日から毎日、その地蔵を探し出しては手を合わせた。

残念ながら、与作の苦労に何一つ変化は訪れなかった。更に半年後はホームレスとなっており、父親も亡くなっていた。妻や子供との連絡は完全に途切れた。そして、とうとう道端で本当に、息を引き取ろうとしていた。

最後に目を閉じようとした瞬間、地蔵の顔が現れた。

「あなたはとても苦労なされました。」

「なぜ、こんなに苦労しなくてはならなかったのでしょう。」

「あなたは死ぬまで耐えました。すばらしい人間です。」

「ありがたいお言葉ですが、すばらしい人間だったとしても、死んでしまっては意味がないのでは?」

「おっしゃるとおり、見返りは特にありません。」

「私が耐えることに選択肢はあったのでしょうか?」

「私だって、好きであそこでじーっと立ってるわけじゃないですから。」

11.18.2008

バナナのあしは遅い

半年前(?)に読み始めた単行本を、先日ようやく読み終えた。
友人に勧められた本。

もともと活字は得意じゃないが、この小説は特段時間がかかった。中断しては他の本に浮気したり、しばらくめっきり本を読まなくなったり。でも、常にその本は持ち歩いていたし、枕元にもおいていた。携帯電話以上、僅差でメガネ以下の関係だった。内容は濃く、ストーリーや表現もとてもステキだった。ある意味、濃すぎてちょっとずつしかソシャクできなかったのだと思う。よしもとばななの『NP』という、お話。そうそう、とびっきりダークなチョコレート、みたいな。登場人物の名前とか途中で忘れたりして、大変だったけど。

本でも音楽でも映画でもそうなんだけど、最近思うのが、「キライ」が薄れてきたこと。あまり「キライ」なものがない。「スキ」なものは引き続き愛しちゃってるのだが、よく言えば他にも色々受け付けられるようになったのだと思う。悪くいえば、メリハリが。年齢どうこうで物事を捉えるのはキライ、だけど、そんなのも多少絡んできてるのかもしれない。

僕の中で最後に残るのは、ビートルズになるような気がする。未だ、やつらの音楽は心のどこかで気にくわない存在でいる。エンガチョ的な。何故だか。

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変な夢。「富士になすび」さながら有名な、「人前で真っ裸」の巻。

身近の若者に打ち明けてみるが、ナミさん(と呼ばれている)それ欲求不満、と指摘される。知らなかったので、ちょっとムスっとしてみる。ナミさん、それ可愛くないとばっさり切られる。

私の場合、続きが一応あった。

途中でズボンを発見して、ズボンだけ穿くことになる。

ただ、真っ裸の状態とズボンのみの状態を比べると、恥ずかしさは大差なかった、ということだけ報告しておこうと思う。

11.17.2008

めでたい初体験

高校生だったころ、こっそりバーに忍び込んだことがある。経緯が、ちょっとばかりある。ちなみに、私は未だお酒があまり飲めない。

私は夏休みか何かで、そのころ大学に通っていた姉の住む街に遊びに行っていた。かなりの田舎で、夜行バスから見える景色は見渡す限りのトウモロコシ畑と牛たちと広い広い空だった。バスが街に到着したのは夜中前で、腹が相当減っていた。多分、とても長いバスの旅だったと思う。10何時間、とか。

街といっても大学があくまでも中心で、店らしい店は少なかった。ずぼらな姉に「なんか食べてくれば」と送り出され、私はそのバーに踏み入れた。バーであることは外からは分からなかった。後から聞いた話だと、実際のところその街の学生にとってその「バー」は「バー」でありながら、「食堂」でもあり「図書館」でもあり「たまり場」でも「ナンパ場所」でもあったそうで。

食べ物にありつければどこでも良かった。

高校生が目立つといけないので、二人用の小さなテーブル席についた。料理が席に運ばれてから間もなく、ヤツが近づいて来た。私の人生史上最初で最後の純正逆ナンパ。同性愛者の方だった。ヒゲをはやしていて、様相は一昔のヒッピー風だった。

「ここに座っていいかい?」

「いいですけど。」

「ここでなにやってんの?」

「メシ食べてるの」

「一人で?」

「腹減ってるんだけど・・・」

「後で遊ぼうよ」

腹をすかした不機嫌そうな若干一日風呂に入ってない系の高校生と何をして遊びたいと言うのだ。

「何して遊びたいんだ」

「そりゃ、口では言えないことをしてやりたいのさ」

ニヤリと笑った。

一瞬にてその意図の全貌が分かり、ゾゾゾと来た私は(別に同性愛者どうこうではなく、やつの目つきが完全にイカれていたことにも気づいた)。事態を回避するために、何故だか私は高校生の浅い知識なりの「イヤな女」を必死に演じることにした。

「いま忙しいの。邪魔しないでくれる?」

「そうだ、僕と公園に行こうよ。」

「だから、なにしによ。」

「上モノ持ってるんだ。君に分けてあげるよ。」

やれやれ。

てか、ひぇー。

結局私はつれない女を最後まで貫ぬいて、彼の誘いを回避しつつも飯を完食することに成功した。ちなみに、私は未だガンジャも吸ったことがない。上記も含め、自慢話なんだか痛い話なんだかよく分からない。

11.06.2008

スロットマシン

手を握ってくれない?

最近、やたらめったらヴィヴィッドな夢を見る。昨日の夢に登場したのは高校時代の知り合い。知り合い、というより、クラスメートといった方が正しい。会話もほとんどしたことがないし、数年間同じ広い学校にいただけで、記憶に残っているのは顔と名前、以上。好きでもキライでもない、ただの静止したイメージ。

そいつが僕の目の前に横たわっている。
僕を見上げて、そっと言う。

手を握ってくれない?

あまりにも無防備だ。身体は夢の中とは言え正直なもので、いっそのこと襲ってしまおうかという恥ずかしい考えも頭をよぎる。ただ、あまりにも具体的に手を握ってほしいという切実とも思える願いだけが伝わってくるものだから、やむなくその場でしゃがみこみ、右手を差し出す。

手を握ったときの肌の感触、熱、握力が嘘のようにリアルだった。その時点で、あ、夢だ、という自覚はあったがそいつの手の感触だけは紛れもなく本物だった。

結局、いいところで終わってしまうのが夢で。

長時間にわたって身体は緊張していたようで、胃が少し痛い。いったいどこの筋肉で力んでいたんだか。

そんな分けの分からないことが起きるものだから、夢っつうのはただの日常生活の副産物とは思えない。