7.29.2009

翌翌日沼のほとりにて

やい、この、ナマズ。

何でしょう。暑いので、出来れば手短にお願いします。水面近くは、どうも、合わないというか。

何も、お前は地震が来るのを人間より早く察知できるそうではないか。

月並みですけれども。

そうなら単刀直入に言うが、つい一昨日に起きた大地震をなぜ察知できなかったのか。おかげで、私は家も家財も全て失った。私は、こういう時にそなえてお前を飼っていたというのに。

命拾いしただけでも良かったじゃあないですか。

呑気なことを言いおって。何故、私を裏切って知らせなかったんだ。

はて、裏切るも何も、私はあなたに対して何一つ借りは作ってないつもりでしたが。

私はお前を買ってきて、餌を与えていたではないか。お前からして見れば理不尽な話かも知れないが、お前は所有物であって、私はその所有者、それがこの世のれっきとした事実なのだ。

しかし、私の身がどのように売りさばかれようと、私自身には関係がないと思います。例えば、あなたが会社の株を買ったところで会社はあなたに対して配当は払わなくてはならないかも知れませんが、あなたに対して特別な恩を感じる訳でもありません。もちろん、あなたの選択に私を飢え死にさせることもいとも簡単にできますが。

何故教えてくれなかった?

言えなかったも、言わなかったももはや関係ありません。お酒でも飲みながら明日について語り合おうじゃないですか。

7.26.2009

下を向いて歩こう

ヒナミケイスケです。

街は不景気と言われていますが、正直ピンとこない時もあります。ニュースや新聞をぼーっとでも眺めていれば株価が底値更新しただとか、雇用がウン%減ったとか、事実を裏付ける情報もたくさんあります。それをいうなら身近にも、無数の会社員や派遣社員が職を失ったりしてるし、街を歩けば商業の冷え込みもヒシヒシと伝わってきます。それでもピンとこないというのは、どう説明すればいいのでしょう。

不況と真っ只中にいる一人間として、どう振る舞えばいいのか。国家レベルで元気がないからと言って、下を向いて歩くのも違うと思うし。定額なんとかをもらって手放しに喜んで、よぉし今夜はすき焼きだあ!というノリでもなく。戦々恐々と転職活動するわけでもなく、かと言って会社が守ってくれるさとそこまでナイーブでない。ご飯食べに行こうよ、映画行こうよ、大いに結構。だって、元気は欲しいしそのためのレジャー産業でしょう。

二回り生きて分かったことが一つでもあったとすれば、経済というのは季節と同じで、浮き沈みはつきもの。

みなさまはこの冬をどうお過ごしでしょうか。私は朝、布団から出るのが少しつらくなったくらいです。

7.16.2009

ジョーカーを探せ

サムエル・サンザビエルはサーカスのピエロだ。ステージ名はピエロのサーシャ。

多くのサーカス団がそうであるように、サンザビエルが所属するブルガリア国立ハハキギ大サーカスは一年のほとんどにおいてツアーをしている。最近48才の誕生日を迎えた氏としては、体力には相当自信はあったが、それもいずれ大きな時間の流れには勝てまいと薄々実感しはじめた頃だ。

サンザビエルのように48才までこうストイックにピエロキャリアを積んできた人間もそうは多くなく、氏は同業の間ではちょっとした有名人だった。根にある人の良さもあってか、いまとなって様々なところから、うちのショーを一度でも見に来てくださいと招待されたり、若手ピエロの相談も受けるようになっていった。'そのように'現役のうちにしたわれるようになってたから、サンザビエルは自分の引退後のあり方についてしっかりイメージを持つことができていたし、避けられない最後のステージもなんとか笑顔で幕を閉じることができた。

ただ、どうあがいても引退生活というのはピエロと比べると当然退屈なもので、サンザビエルはいつも、どこかで、うずうずしている。いまのところ、それは誰にも相談できずにいる。

7.13.2009

平手から抱擁へ

私は、ビンタを選択した。

中学生の娘が家出をし、金曜日から日曜日まで二晩も無断外泊した。どこで泊まったか、大体の見当はついている。家出のきっかけとなったのも、娘が「友達と泊まりがけで海の旅行に行きたい」とおかしなことを言い出したのだ。男もいたのだろう。どのような連中か一言説明してくれれば考えなくもないのに(例えば同級生の戸部君あたりだったら見るからに気が弱そうで安心だと思っていたかも知れない)、はなから私が反対すると読んでいたかのように言ってきた。見知らぬ男の存在を知りながらもちろん行かせるわけにはいかない。当然のことだ。誰が主催しているか分からないが、実にけしからない。親の顔がみたいというのはきっとこういうのだ。そんな訳で私は遠慮なしにガツンと言ったわけで、娘はそのまま飛び出た。結局、父親が許しようとそうしまいと、本人は行くつもりでいたに違いない。それなのに何故、どんな考えで彼女はわざわざ私になんか頼みに来たのだろうか。

日曜日の夕方、あっけらかんと玄関で「ただいま~」なんていうものだから、腹がたってこちらから出向いてそのまま平手を放ってしまった。変な表現、私は子供の家出は「初体験」だったが、人によって殴るか抱きしめるのどちらかと言うが、私はその場では迷うことなく、いや残念ながら抱きしめる気持ちは一切おきなかった。

ドミノ倒しのごとく彼女が泣き崩れ、母親が下駄箱の中で待ち構えていたとしか思えない素早さであらわれて娘をかばう。何するのよ!お父さん、何するのよ!二人の声が重なる。お母さんが良いっていうから行ってきたの!そう、あたしが河原さんのご両親と確認して、美香に行かせたのよ!妻が巧みに事後説明を織り込ませながら、私をなだめようとしている。

それでも抱きしめられない。自分がこういう状況にあるのが恥ずかしい、そして今さら説明を聞かせられても、私はとっくに醜い醜い狼男なのだ。どのみちこんなのに抱きしめられる側が、逆に困るのだろうと思った。

7.10.2009

とめてあげませんだったら

早朝の時間帯にかかわらず、流れゆく都営バスはもう満員になってしまっていた。特に混雑していた一つのバス内。吊革につかまる乗客は、先の停留所で待つ人を見かけるたびに心の中で、既にブレーキを踏みはじめた運転手を凝視し、正気にこれ以上詰め込む気なのかと舌打ちを鳴らすのだった。2、3人がバスの前方で扉に入れないでいる。運転手はバックミラーに視線を一度も向けず、平坦なトーンで「詰めてくださーい」と、'乗れるまで動かない'という意思表示をはっきりさせる。奥へ、奥へと人の体がしまわれていく。

「とまります」

「とまります」

「とまります」

「とまります」

「とまります」

駅近辺の停留所の一つ前になると、何人か乗客が一斉にブザーを押し、バス中のすべての「とまります」マークが点灯する。どの乗客も目をつぶらない限り、とまります、という事実の表明から逃れられない。自動アナウンスの女性の声は、ブザーが一回押されようと十回押されようと同じ平坦なトーンで、つぎ、とまります、と機械的に言う。御意、とでも表現した方が、ひょっとしたらその態度を正しく表せるのかもしれない。

私は、立ち位置が前方寄りだったので、とてもじゃないが後方扉から出れそうにない。できる限り丁寧に、運転手に、前方から降りてもいいですか、と尋ねるが平たく断られる。うしろ、と。目すら合わせてくれない。いや、なかなか出れないものですから。

運転手は前を向いたまま、両腕で大きなハンドルを力いっぱい叩きつける。

とまります、じゃなくて、とめてくださいだ、と大声で宙に叫ぶ。

7.01.2009

逆転するバイオリズム

その夜、史朗にとって小さな革命が起きた。

眠れない夜は誰にだってある。そういう時の選択肢は、多分、寝付くまでベッドでねばるか、起きあがって別のことをしながら睡魔を待つ、の2つから選ばなければならない。史朗はいままで、眠れない夜は必ず寝返りうちながらねばる性の男だった。ただ、今夜ばかりはいつもと違った。むし暑くて、外は騒がしくて、おまけに晩御飯を食べすぎて胃の調子がおかしくなっていた。もとより糸屑のような眠気だというのに、それを世の中が一斉にコテンパンに総攻撃するかのようだった。史朗はとうとう諦めて、ベッドから起き上がることにした。

居間のあかりをつけずに、座椅子に腰をかけてテレビをつけた。テンションの低いバラエティー番組がうつる。気がつけば、史朗は深夜テレビというものを一度も見たことがなかった。いつも普通の時間帯でみる女優や芸人、顔ぶれは同じなのに明らかに深夜帯になると誰もが別人だ。手抜きなのか、時間の流れが極端に遅く感じる。ゆらゆら、ゆらら。まさかこんな時間で生放送をしているわけがないのに、テレビの向こうの人たちはまるで史朗の事情をテレビをつける前から悟っていたかのように。頭がぼぉっとしてきた。

「とっとと寝やがれ、バカヤロー」

はっと我にかえると、画面には良くみるタレントがアップで、完全なるカメラ目線で画面の中から話しかけてくる。気のせいかと、しかしかなり驚いた。何かの悪のり企画だろう。

「お前だよ、お前」

しばらくヤジがつづく。五分、それが十分、やがてとっくに番組が終わってるはずなのに四十分も。一切史朗の名前どころか固有名詞をくちにしないので、終始史朗はキツネにつままれたように画面に食いつくしかなかった。

翌朝目が覚めると、史朗はベッドに戻っていた。となりの居間では、なに食わぬ表情でテレビが深く眠るように静まりかえっていた。