8.25.2009

山田太郎の場合

「下界の山田太郎よ、さてはおまえ馬鹿だな?」

山田太郎は、愛と美の神ことアフロディーテに付き合ってもらいたいと申し入れたのだった。

「人間は唯一愛することが許されている、特別な生き物だ。愛することは子孫を残す手段だけでなく、愛する者の自己実現につながるものとしている。だから、私は考えた。子供が作れる男女の間の愛の他にも、同じ性の者同士の愛、場合によっては金、モノ、あまり好みではないが動物への愛も一応認めてきた。しかし何故、よりによって愛の神である私にモーションをかけるのだ。お前たちの言葉で言えば、まじでありえない。」

そばにいたいだけです、と山田太郎は訴える。
好きで好きになったわけじゃないです。

「力関係があまりにも歪んでいると思わないか。言うまでもないが、私は神なのだから怒るとめちゃめちゃ怖い。怖いどころか、何かのはずみでデコピンしただけでもおまえの存在もろとも消してしまうこととなるだろう。」

まぁ、いいんじゃないでしょうか・・・、と山田太郎は淡々という。
怒ってる時は、おとなしく話を聞いてあげます。

「よく考えろ。私なんかとつきあっても、ちっとも楽しくないのだ。なにせ神なのだから忙しくておデートも、おセックスも、結婚も子づくりもろくにできないのだ。それを言うなら携帯も持っていないのでおやすみなさいのメールも微妙だ。」

恋に恋い焦がれてるのと、勘違いしないでください。

「山田太郎よ、お前が馬鹿なのか、むしろ神々しいのか分からなくなった。一週間考える時間をいただくこととしよう。」

8.22.2009

どこまでも広がる床

「質素」という言葉が、これほど似合う人間がかつてあっただろうかと思わせる、金子安彦はそんな男だった。31才、会社員。ワイシャツは白のみ、5枚プラス予備1枚、二年に一度の買換え。朝食は決まってごはん一膳に納豆におみよつけ。夜も基本は自炊、会社行事は人の歓迎会と送別会だけは律儀に参加。恒例の花見はきまって見送り。友人関係、まちまち。女性関係、まちまちまち。

物やカネに執着しないこと、地位は与えられるものであり習得するものでなく、暴飲暴食は禁物、そして長生きの美徳、細く、そして、長く長く。この種の教えすべてが金子家の家訓だったと考えれば話は早い。安彦、欲しいものがあるときは、胸いっぱいに願いを込めて足で踏みだすのよ、と祖母がまじないのように言っていた。右手でこぶしを作って胸にあてるの。金子家は、安彦が知る限り無宗教だったが、右手でこぶしを作って胸にあてるまじないは皆知っていた。振り返れば、人前では恥ずかしくてできないが、一人でひっそりしたことが何度もある。

安彦自身、自分の生活に華がないことは百も承知でいる。その反面、今までの人生において難なく過ごせてきたのも、この育ちの背景が大きく貢献していたと自覚している。その気になっていれば、いつぞや違う生き方を選択していたかもしれない。

難なくすごせてきた。振り返れば、異常なくらいに。望んだものはすべて手に入った。希望していた小さな出版社に入ることができた。都合の良い住まいも、手軽な家賃ですぐ見つけることができた。付き合いは悪いなりに、人に愛されることなければ恨まれることもなく。右手でこぶしをぐっと作って、細く、長く長く、そのようにずっと願ってきた。

金子さん、今年の夏休みはどこか行かれるの?

ごにょごにょ。

え、ディズニーランドに行かれるの?彼女とデートですか?

あ、いや、'伊豆に'日帰りで。彼女はいないんです。

そんな会話が同僚とかわされる日があった。そうか、一部の人は女性を連れてディズニーランドに行ったりするものだ。当たり前のことがひどく新しかった。安彦は一人になってから少し考えて、ゆっくり右手でこぶしを作って胸にあててみた。

8.19.2009

グスタフが告白した

グスタフ・マーラーという、クラシックの作曲家がいました。詳しくはないですが、重要人物のようです。前置きが乏しくすみません。

彼の曲で、「アダジエット」というのがとても気に入ってます。映画とかでも良く採用されるモチーフだと思います。もし良かったらユーツーブで検索してみて下さい。素敵です。

ラブソングなんですって、これ。マーラーさんが恋人のアルマ・シンドラーのために書いたそうです。聞いたことある話だと、氏はなかなかのロマンチストだったそうで、曲の原稿を手紙も添えずに彼女に送りつけたと言われてます。マーラーさんもマーラーさんですが、シンドラーさんもシンドラーさんで、なんと譜面を手紙のように読んでは感激し、マーラーさんにそのままてくてく会いにいったんだとか。ある意味作曲家としてこれ以上の成功はないのではないでしょうか。言葉一つ使わずに愛を伝えてしまったのです。

とまあ、残りはご想像にお任せしますがひどくクサイ展開なわけで、本当かよと疑ってしまうくらい出来すぎな話です。でも、嘘でも本当でも正直、ラブストーリーを聞くならこれくらいは欲しい。

そんなプレイが現代社会においてどれほど評価されるかは、分かりかねますが。

8.16.2009

病院の天井

病院は社会において大切な役割を担っていると思います。病気やケガをしたとき、身体を治してくれるすごいところ。誰もが、といいたいところだけど、お金という要素が加わると話が幾分ややこしくなります。それでも、多くの人の健康を守る存在であることには違いなくて、私自身の立場からしてみてもこの世から病院が突然姿を消したりなんかしたら相当ビビるのだと考えます。

もう一つ、病院の大きな役割があります。人は、生まれるために、そして死ぬために病院に行くのだと思います。私は病院で生まれました。そして、交通事故や予期できない事態でも起きない限り、特別に意思表明しない限り病院で人生を終えることは九割ほぼ確定しているのだと思います。手元に手軽な統計もないけど、家で終わりをむかえる人が減ってきてるのではないかと感じませんか?正しい遺体の扱い方や、死の確認(もう無理よね?と断定できる知識)をしろと言われても気が動転してる素人には難しいのではないでしょうか。

病院は何も悪くないですが、無機質な感じがします。自分が年老いたころ、こだわる余裕があるかどうか分かりません。仮にでもノンビリこんなことを考える暇人になっていたとしたら、せめて自分の部屋の天井をみながらいきたいかな。

でも、余裕がなさそうだったら病院でいいや。いや、やっぱりいずれにしても病院でいいや。すまん。

奈美のバカンス

暑いのも、寒いのも苦手。あたし、中村奈美。決まって夏のバカンスはスキーで、冬はマリブなの。家のある都会に居られるのは、秋と春だけ。都会に居るときは、季節は気にしなくていいときだけ、それは秋と冬。都会は季節をもみ消そうとするの。でも、あたしはそれは悪いこととは思ってない。だって、暑いとか寒いとかいちいち気にしていたら、お仕事にもならないし、忙しい中、気が散るじゃない?

あたし、旅行は結構好きな方よ。暑いのが欲しいときだけ、それを手に入れに自分から行くの。ビーチでピニャコラーダがない暑い日なんて、あたしはごめんなんだから。温泉がない雪景色なんて興味ないんだから。

明日、主人とカナダ旅行なの。プリンス・エドワード島。赤毛のアンの設定の場所よ。あたし、小さい頃にアンの本が大好きで、何度も何度も読み返したわ。とても楽しみ。モンゴメリーのお墓があるのかしら。あったらお花でもおいていきたいものね。

8.14.2009

ジョニーとマグロ

ヒナミケイスケです。

若いころ、海外のお寿司屋さんで働いていたことがありました。食べ物のテイストは外国の方に合わせて作っていたので、どちらかというと創作料理としてのとらえ方が正確なのかも知れません。そこでお世話になった板前さんは、記憶が定かではありませんが中国大陸の福建省出身でした。逆に、私は日本のお寿司屋さんで働いたことがないので比較のしようがありませんが、その方はとても口数少なく、穏やかながら基本はきびしく、エレガントで器用。自分のイメージの中だけでは中国人であろうと日本人であろうと、彼は私にとって板前たるものの理想象と言える存在でした。それしか知らなかったから。やたらめったらノリ巻きばっかし巻いてた日々が私にとってとても良い思い出です。

そんな、大好きなジョニー師匠。教えてもらったことは沢山ありますが、とあるマグロにまつわる小話が特に深く印象に残っています。マグロで人生が特段変わったとは言えませんが、なぜだか頭の中の重要書類の引き出しに紛れ込んでしまった紙っぺら、というか。

当たり前のようなことではありますが、マグロの握りには大きく分けて赤身、中トロ、大トロと三種類あります。赤身はトロ系からは孤立した存在である一方で、

「中」トロと「大」トロの相対関係というのは食べる側からしてみれば言葉のごとく上下関係にあてはめられがちです。どれだけ脂がのってるか、多くのってればのってるほど高級かつ高価、というのが一般的な整理だと思います。ただ、実際のところ中トロの支持層というのは大変根強いもので、脂のってりゃいいってモンじゃないぞ、とあくまでも身と脂のバランスを重要視する人たちがいます。ジョニー師匠も私も、いまふりかえってみるとそのような考えだったと思います。

で、です。ジョニー師匠は大トロのことを「美味しすぎるのだ」と表現されました。人間の舌には大トロの味は「ウマすぎて」処理しきれないと。大トロというのは実に形容し難しい存在で、脂がのっていながらもさらっとしているため、「脂っこい」では多少言葉足らずだと思う。大トロに対しても軽率になってはならないのだ。

そんなので、「美味しすぎる」という表現がとても素敵に思えて。
こんなところにも、一人詩人がいた、と。

8.04.2009

敷布団、掛布団を笑フ

ヒナミケイスケです。

たまには早く家に帰らないと、子供がグレるとのことで、いや少しくらいはグレても良いのではという暴言を心だけに秘めて本日はおとなしく帰宅することに。私はあまり立派な父親ではありません。でも、子供が相手してくれると正直、嬉しいものです。

ソファーで横になってテレビを観てると、次男がよじ登ってきて腹這いで己の父親を布団代わりに。こりゃ、すぐ寝るなと確信しました。呼吸は深く、体温は高く、ピクリとも動かず、次男の小さな身体が見た目以上に重くのしかかる感覚は、まさに寝る直前。動かすのも面倒なので、次男を掛け布団代わりにぼーっとスマスマを観ておりました。ところが、ふと次男の寝顔を覗いてみると、目がパッチリ開いていて、この三十分ほど指一つ動かずに親子揃ってスマスマをガン見していたことに気づく。息子よ、いったいビストロのどこがお前の士気をそこまで引き上げるというのだ、とやれやれ、ようやく寝たか。

8.03.2009

業務連絡:ライブ

今度の日曜日の夜、新宿2丁目に出没いたします。何年前に対バンをしてからその後もちょくちょく連絡を取り合うようになり、肩並べてウエンディーズのフロスティをすする関係にもなり、お声掛けいただけたという、なんともうれしい背景のライブです。フォーク色が強く、いろんなカラーのシンガーが出るのだと、思います。会場も古くからあるバーのようで、期待が膨らみます。

久々のアウエー、この頃のセットを何の躊躇なくぶっちぎって行きたいと思います。暑い日が続きますが、お近くでしたらお誘いあわせの上、ぜひ遊びにいらしてくださいね。

2009年8月9日(日)

新宿スモーキン・ブギ

「一寸笑劇」主催「一寸劇場」

開場/開演:18:00/18:30

前売/当日:1,500円/1,800円


一年ぶりにギターの弦を張り替えたら、怒られました。
しゅん。

8.02.2009

シュガートーストを消化

三枝子に、男が付きまとうようになった。三枝子は商社に勤めるOLさん、26才独身一人暮らし。男こと達也は近所の花屋のせがれ、24才独身家業手伝い。出会いはご想像に任せておいて、多分問題ない。ストーカー話ではない。二人は至って健常者であり、最低限の愛情を受けて育てられ、人並みに恋愛に興味を持つものの過度な期待はせず、性格は多少つまらないがいい人であって、時と場合によってはとてもとても魅力的な人間と認められる場面もあるかもしれない。

そして二人の結末というのも、お互いにおいて良く良く考え抜いたことであって、それも愚直に現実だけを踏まえたものでなく、お互いのもつ感情や、夢、価値観、そんなのも適度に加味したので、誰の責めにも値しないのだ。あなたも聞いたら、二人に対する感心があったと仮定して、きっと納得したに違いないはずだ。

そして、やがて二人が年をとっていつかあの2009年の夏の出来事を振り返ることがあったとすれば、それは少し照れ混じりにはなるだろうがなんとなく甘酸っぱい何かが心に込み上げてくるであろう。