3.31.2009

触れなかったりふれたり

不思議な夢の「再放送」がありました。

今朝から三回立て続けのマラソンで、少し疲れてしまいました。宇宙戦争編、東南アジア編、いつもの職場編。それぞれ夢の設定は異なりますが、必ず最後は僕の方から各々のストーリーの主人公にまた会えますか、と尋ねて、いいですよ、と帰ってくるのでした。目が覚めては五分くらいうだうだしたりメールを見たりして、再び夢の世界で新たな出会いをする、そんなのの繰り返しでした。

前こういう夢を見たときは高校時代を振り返る内容と、今回とまたかなり違う風景でしたが、共通するフシギなこととは、夢で出会った人に触れる感触があまりにもリアルだったことです。息の匂い、握った手の感触、聞こえる声とか。フシギで楽しくて少し怖かったです。昨夜から今日終日にかけて一人で暮らしていたので、よりそう感じたのかも知れません。

考えてみると、日常生活で物理的に人に触れることが、ウン百万人住む都会にいる割りには漠然と少ない気がします。イヤらしい意味でなく、実際触れてるときはせいぜい満員電車で隣同士になった人とか、食事中に醤油を渡すときふと触れてしまった手、いつもはそんな程度。握手なんて滅多にしないし、抱き合ったり、キスしたり、頭をなでたり、寝てるときやコタツの中で脚をからめたり、ハイタッチしたり肩もんだり、あまりないです。私も特段人にベタベタ触りたいタチでもないのですが、何か、少ないなぁ、と。

逆に言えば、超満員じゃない電車やバスのとき、乗客同士、一切打ち合わせもしてないのに良くお互い触れないように人と人の間(まさに人間というやつでしょうか)の距離を作り上げてるもんだ、と感心してしまうときもあります。

その分なんだか貴重な夢を見れた気がします。

3.25.2009

昔の恋文を読み返し

火事の翌朝は良く晴れていた。木ノ下氏は早朝一人で全焼した我が家の残骸を確認しにきた。母と妻と娘は宿泊したホテルの部屋でまだ寝ている。何もなかったかのよう、皆嘘のように穏やかな寝顔だった。寝床についたのは午前の4時過ぎだったので、無理もない。

改めて青い空のしたで静まった現場を見渡すと、不本意にも清々しく思える自分がそこにいた。昔からある密集した住宅街の中心に、ポッカリ空いた黒い正方形。敷地の左右後ろを囲む、近所の家の外壁に初めて日が照らされていたのが気持ちよく思えたのだった。

警察にも消防士にも、現場調査が終わるまで踏み入れないよう、注意されていた。あまりにも見事な全焼なのに、隣に火が移らなかったのが、もしや故意の放火事件かも知れないと睨んでいた。木ノ下は一度、誰も周りにいないことを確認し、黄色いテープをまたいだ。どうしてもいち早く探したい物があった。

人は誰もが、何かを愛し、何かを憎み、何かを失ったことがあるという。

3.24.2009

髪の毛など

ヒナミケイスケです。
みなさんお元気ですか?

私、先月に誕生日を迎えると同時に、20代とさようならしました。改めて文字起こししてみると些細でばかばかしいことですが、一人の世界では割と重大な出来事でした。え、僕も三十になるもんなんですか、そんなの聞いてないです的な。まだ何もやらかしてないのに、とか、もう少しで人生の半分に近い、まだ生まれて一度もモテてな・・・やばいやばいやばいなど、そんな無駄な思いがたくさん頭を駆け巡っていました。ジタバタしているうちに1ヶ月以上経ち、その間多くの30以上の人生の先輩に激励の言葉をいただいたり、年下からからかわれたりで、そのうち、まぁ、いっか、と思うようになりました。かなりヤワな感じですが、ヤワな感じでした。実にお恥ずかしい。

去年一時期入院したんですが、病気そのものは大したことなかったんですが多分その治療の後遺症かなにかでハゲかけたんですよ。時期的にタイミング悪すぎ、かなり笑えず(笑)。そんでもって落ち込んでたりしたんですが、単に凹んだのと、こういうことで凹んでる自分が情けなくて凹んで。幸いなことに一時的な症状だったようで今は大分回復したんですが、髪の毛がいま大分ありがたいです。大分。あまりにもありがたいので、何年ぶりかの贅沢で美容院に行ってみました。友人に紹介してもらったのでとても丁寧でやさしく、仕上がりの髪型は実にカッコよく、本当に髪型そのものはカッコいいんですが、鏡を通り過ぎる度に、自分じゃないみたいで。いや、自分なんだけどとてもカッコいい帽子をかぶってる感覚、というか。いつか慣れるかな。ちなみに、美容院は床屋と違って、「せっと」という高等技術を教えてくれます。これは難しそうですが、せっかくなのでたまには努力しようと思います。薄っぺらい、うん、私もそう思いました(笑)。悩んでる時、少し年の離れたイケメン独身医者をやっている兄にも相談したんですが、「薄っぺらくて悪いんだけど、なんとかなんないかなぁ」と打ち明けたら意外にやさしく。「髪の毛が薄くなるのは医学的にも実証されてるほど、男性の不安神経症の原因の一つなんだよ」と。これで、少しくらい薄っぺらくていいや、と思い。

10代や20代の私は、いわゆる大人を見ては生意気に「こういう大人になりたい」だ、「こんなのになりたくない」と指差して言ってたような気がします。私も気がつけばそのグレーゾーンに突入してしまいそうで、今度は指を指される側に。なかなかおっかない極まりない。はなっからそんな自信サラサラないですから。フン。

とも長くは言ってられないのですね。むーん。

3.19.2009

過程と果実

登美子は同性愛者だ。ハッキリその意識を持ちはじめたのは成人になった後からである。小さい頃から薄々と感じていたが、それは他の女性とは少し趣味が違うという心構えに留まっていた。

女子高生時代、友人と集まって彼氏彼女の話題になると、どうも皆と同じテンションに追いついていない実感はあったが、それは自分自身に合う男にまだ出会っていないことが原因だと整理していた。男友達もいたし、誘いもあったが興味を持てなかった。一方で、当時つるんでいた同姓に対しても性的にひかれることもなかった。あたしってひょっとしたら恋愛に向いてないのかも。登美子はね、きっとハードルが高すぎるのよ。いま思い返せば、違う意味で確かにあの頃から自分の性質に目覚めることのハードルはあまりにも高すぎた。

いまのパートナーと出会ったのは会社に入社してから二年後くらいだった。同性愛者も異性愛者にも共通する、ビビビというやつである。ただ、相手が自分に興味があるない以前に、相手も同性愛者かどうか分からなかった。現実問題として女性の場合、男と比べて判別がやたら難しい。結局、付き合うに至るまで二年間かかった。

まあ今となっては、その苦労した分、お互いを大切に思う気持ちは並々ならぬもので、二人は大層幸せに暮らしているのだそうだ。

3.16.2009

業務連絡:ライブ

みなさんこんばんは。今週の土曜日、3連休の真っ只中ですがライブです。もしご都合がよろしければ是非遊びにきて下さい!最近は少しずつ、カバーとか今までライブでやってなかった曲をセットに織り込むようになってきましたので、楽しんでいただけると思います。

恒例のサンドイッチとコーヒー、回を重ねるにあたって増すアットホームさをお楽しみ下さい。あと、イベント周辺ではゴールデンウイークに開催されます「廃校フェス2009」の準備も着実に進んでいます。近いうちに発表できると思いますので、ご期待下さい。

black box broadcast
studio museum笹塚店 Gスタジオ
http://www.studio-museum.com/sasazuka/index.html
3月21日(土)
18:00開場、18:30開始
お一人様1,000円
軽食/ドリンク付き、持ち込みも歓迎

3.15.2009

いつも居るあの人

私の名前は杉村太郎だった。

解釈の仕方によって、本当は私が今でも杉村太郎だといえるのかもしれない。確かに私は杉村太郎の意識を引き継いでいるが、生身の杉村太郎は102年以前に死んでいる。つまり、人の言葉で言えば、私は杉村太郎の幽霊だ。この102年間、この公園で浮遊霊をつとめている。どうしても私が杉村太郎を名乗ることを躊躇してしまうのは、今となって人間の杉村太郎の存在を覚えてる人間がこの時代にいなくなってしまったからである。

私の記憶が正しければ、浮遊霊となったきっかけは女だった。そうだ、女。騙されて金を取られて、終いにはその女の男に殺された。怒りというより、悲しかった。杉村太郎は身も心も時間もほとんどをその女にかけており、他に生き甲斐がなかった。あまりにも一次元的なので、あの世の担当者も魂の行き先について頭を悩ませた。しばらくの間、下界で考え事でもしておきなさい、という指示だった。

勘違いしてほしくないのだが、私は無差別に生きてる人間を怖がらせたり、襲ったりするような下品な地縛霊の連中とは違う。ただただ、長い散歩をしているだけなのだ。誤って人に目撃されてしまうことは、たまにはあるが、あくまでも私の不注意が招いた事だ。私も、基本的にはそっとしてほしい。

残念なことに、どうやら明日をもってこの公園が無くなってしまうらしい。これから新しいマンションを建てるのだそうだ。私も、これをきっかけに引き上げようかと思う。その前に、これから公園を最後に一度、一周歩きたいと思う。

3.12.2009

久しぶりのアクセ

帰宅すると、家は静まり返っていました。

その日はいつもどおり、部屋の電気をパチっとつけて、部屋の住民たちが私を迎えてくれました。散らかったCDや本、楽器や機材、サクマドロップス、洋服。みんな、別に迷わなくても簡単に片付けられるものばかりなのですが、物を使っても出しっぱなしにしてしまうのは昔からの悪い癖です。強いていえば年に一度か二度、大掃除をして「やれば出来る」ことを確認するのみです。クローゼットはいつも、マヌケな半開きの状態となっています。

このかた30年もの間、人様に見せられる部屋を維持できていない。

その日は、見知らぬ新入りが机の上にいました。なんと説明すれば良いのでしょうか。数珠、じゃなくて、数珠っぽいんだけど普通のおじさんがブレスレットとしてつけてる、アレです。玉は木製で、紫のゴムバンドでつながっていました。お香の香りがします。おじさんくさいなぁ、と思うと同時に、なぜここに、と。たまたま去年は葬式が多かったこともあり、すっかり頭が「数珠」モード。よめが買ったのかな、と。しかし何故机の上に。

翌朝、早速よめに尋ねてみましたが、あたしが間違って買うわけないじゃん、という。そもそもこれ、数珠じゃなかったら何なんだろう?魔よけよ、魔よけ。つけとけば?

つけといた。

3.04.2009

ペテロとヘレン

富山県富山市出身のペテロ・ペテンの母、ヘレン・ペテンはペテロが5歳のときに宇宙人にさらわれた。その数日後、絶望していたペテロに通りすがりのテレパシーが届き、どうやらヘレンは宇宙人に煮られたも食われたもなく、なんと宇宙人の故郷となる星の女王として祭り上げられていることが分かった。その日からペテロはヘレンの奪取を心に誓い、それは長い長い旅のはじまりだった。

なにはともあれ、まずは宇宙に行けなければ話にならない。

小学生のペテロは即座にロケット科学を志し、勉強に励み着々と優れた学歴を身につけていった。努力が実って有名な工業大学に合格し、有能な技術者や将来のビジネスリーダーとのネットワークを広めるようになった。片手間ではあるものの要領よく学業も進められ、やがてペテロは教授の座にありつくことが出来た。当然ながら、もはやロケット科学において彼の右を出るものはいなかった。

社会的地位も手に入れたペテロは、「宇宙戦艦トヤマ」プロジェクトを発案し、そこから怒涛のロビー活動と資金集めに取り掛かった。はたまた長い年月の末にスポンサーも資金も無事に確保されるようになり、様々な技術的な問題をも乗り越え、ようやく宇宙への旅立ちが実現されようとしていた。年齢的にも定年退職直前のペテロだったが、この日のための健康管理にも手抜かりなく、多少の根回しも加えてトヤマの特別乗務員として認められた。

<旅中略>

ヒッピリト星は豊かな星だった。

莫大な権力と金と酒を手にした母のヘレンはヘベレケに酔っていた。ペテロはビンタを一発おみまいし、恥かかせやがって帰るぞババァと、猫の首をつかむように宇宙戦艦に引きずりこんだとさ。