4.28.2010

暖かい言葉

入院棟の大部屋に、二人となり同士の患者がいた。片方の名前は大原寛治、33才の会社員、軽自動車にはねられ右足骨折。その隣に水元瑞穂、37才の会社員、大型トラックにおおよそ15メートル引きずられてあちこち全治6ヶ月。

二人同じ日に救急車で運ばれてきたのは偶然ではなかった。というのも二人は同じ会社の営業部に所属していて、たまたま一緒に外回りしていたときに事故が起きたのだった。水元がぼうっとしていて軽自動車にあたりそうになったところ、大原が彼女を突き飛ばして自ら軽の餌食に。勇敢な話ではあるが、あいにく、突き飛ばされた水元は向こう車線の大型トラックにひかれてしまった。

こういう事態は表現するに、惜しい、詰めの甘さ、労災、などの言葉が思い浮かぶ。

少し大原の心境を掘り下げてみると、実はこの男だいぶ前から水元にちょっと気があった。共に外回りできる機会はそうあるものでもなく、その日はルンルンだった。軽自動車の延長線に水元がいることに感づいたとき、助けなきゃあ、と思うと同時に、輝くチャーンス、と思うスケベ心もなくはなかったと言える。ただ、いまとなって大怪我をした水元を隣のベッドから見守らなければならない状況で、大原は形容しがたい心苦しさを味わっている。

大原本人からしてみれば、これはまさしく大惨事、ジエンド、デストロイの類の他何でもない。

水元は大原を男として見る気はサラサラなく、仕事もまともにできないくせに付きまといやがって、と前からひそかに思っていたが、ゴールデンウイークの予定をものの見事に台無しにしてくれた新たな功績を受け、これからは露わにどう大原をしばきあげるか模索しはじめたところだ。

これを、喜劇と呼ぶほかないと思える。

4.22.2010

片思いを許諾

ポンキチロウです。2歳、柴犬、オス。

この機会に、私の言い分を聞いてもらいたい。

先ず、近所の評判は聞いています。柴犬のくせに、飼い主にかみつくバカ犬、と。バカは飼い主の方、とここで言いたい。かみつくくらいしないと三度の飯も忘れてしまう。名づけのセンスも、ごらんのとおり。バカにするのも、悪ノリもほどほどにしてもらいたい。私が、彼に媚びる気になれないのは理解してもらえるだろうか。一緒に歩いてるところを見られたくないので、最近散歩は仮病で自粛している。なに、庭をウロウロすればその気分だけ味わえる。

世の中の犬と飼い主の大半は、平和に共存している。それは、運命の働きかけでそうなったと説明すればいいが、本当のところはどうだろうか。私は、運命はそんな気の利いたものとは思えない。どちらかとは一概に言えないが、犬と飼い主の関係には必ず妥協や譲り合いという負担が生じると思う。それは、ひょっとしたらハァハァ尻尾ふってる側がそう感じているかもしれないし、それとも人間側にあるの’かも’しれない。乗り越えるには、どこかにとんでもない努力が潜んでいても全然おかしくないのだ。

上手くいってるカップルもあるので、水をさすようなことばかりは言いたくない。でも、どうしても私の場合は生理的にダメだ、とどうしても言わせてもらいたかった。

4.20.2010

業務連絡:新しいウエブログ

your last chickenというバンドをはじめてしばらくたちますが、ようやく表向きの活動ができはじめた今日この頃です。

メンバー三人で書いていく予定のウエブログが立ち上がったので、よろしかったらのぞいて行ってくださいね。

http://okubyomono.blogspot.com

4.17.2010

エピローグその一

すべてが終わり、すべては忘れられた。わたしも、名乗る意味がいまはない。

身体はひっそりと地面に埋められていて、かつての意志をしめすものとしてはこの言葉が最後になる。

人の心臓が動き続けるのは、身体の酸素がたりないところに赤い血液をとどけるためであり、言い方を変えればそのアンバランスこそが生命をうながしている。平衡が成立したとき、心臓はようやく長い役目を終えて休む。動いてるうちの身体の行いが正義だったか悪だったか、成功だったか失敗だったか心臓には関係ない。

わたしの人生は長かったが、一言でいえば失敗だった。本に書きおさめたらかなりの大作になるだろうが、失敗話にしてはページを費やし過ぎかもしれない故に、読者にはいささか気の毒な本になるだろう。悲しい話も楽しい話も、願わくば最後に何らかの救いがあってほしいものだ。わたしがいえることは、安らかであることと、痛くないこと。

今日の仕事を終えた安部村和夫は完成した原稿をポストにストンと入れ、帰り道に家の近くの飲み屋でえだまめを冷えたビールで流し込んだ。

4.15.2010

タイトロープダンシング

憲正は7才。ママは31才。

ママの決めごとで、憲正は夜は8時半までに寝なければいけない。ママの理由は、そうしないと憲正がちゃんと朝起きれないから、と、そうしないと憲正が二組のいじめっ子のゲンちゃんみたいに脳みそがトーフな子になっちゃうから。でも、憲正がママの決まりごとをきちんと守ってる理由は朝寝坊でもトーフでもなくて、8時半までに寝ないとママがすんごく怒るから、である。一度だけこっそりベッドから抜け出したのがばれたことがあって、そのときママがとてもとても大きな声で怒鳴ったから、となりの家の窓に灯りがついたのを見たことを覚えている。

なぜあんなに怒らなければいけないのかな、と憲正は考えていて、本当は憲正のためを思ってるのではなくて、なにか憲正から隠してるんじゃないかと思うようになった。そんなことを考えていて、時計の針をふとみるともう10時だった。いま、ママは何をしてるのだろう。パパはもう帰ってきただろうか。胸がどきどきした。

パパもその秘密を知っているだろうか。いや、パパはもっともっと遅いかもしれないから、ママだけの秘密だ。

憲正はゆっくり起き上がり、足の裏にすいつく冷たい床を感じた。

4.06.2010

きっかけ

義理の姉が日曜日の夕方に訪れてきた。都内から一時間半はなれたところに住んでいる。普段の生活で特に関わりがないので、突然の訪問に驚いた。彼女にも家庭があり、よほどのことでもなかったら夕飯の支度で忙しいはずだし、まして出張で主人がいない我が家に雑談目的でくるわけがない。ようするに、悪い予感がしたのだった。

真澄さん、変な時間にごめんね。用件だけ済ませて帰るから、ちょっといいかしら。はい、それではなんでしょう、と切り出すわけにもいかず、とりあえず居間にあがってもらいコーヒーをいれた。姉と二人っきりになったことがほとんどないため、居心地の悪さはお互い様のようだ。雑談しないという暗黙の理解なのに、ついつい小話で三十分も費やしてしまう。日本人であることを痛感する。

それでね真澄さん、今日聞きたかったのはこれなんだけど。ハンドバッグから封筒。封筒のなかから古そうな写真をいちまい。私が見たことのない、昔の家族写真。姉と主人が、どうだろう、それぞれ7歳、5歳といったところか。姉はかわいらしいパステル(写真が黄ばんでただけかも知れない)のワンピースを身につけているが、おせじでも可愛いと言えない仏頂面。主人は泥だらけのポロシャツに、犯罪的とも思える丈の短い短パンと白いスニーカーの組み合わせ。ニヤニヤ笑ってる。

ほら、見てここ。俊一、背中の後ろに何か隠してるの、わかる?両手で後ろに何か隠してるのよ。あたしのジェニーちゃん人形のお洋服だったのよ。

そうだったんですか、主人も昔はいたずら好きだったんですね、と愛想笑いするしかなかった。

ごめんなさいね、こんなものを見せに来て、あなたきっと私が変だと思ってる。

いえいえ。当たり前だ。

でも、あなた子供のころの俊一のことを良く知らないって言ってたのをふと思い出してね、今日押し入れの整理してたらこれが出てきてね。忘れないうちに見せたかったのよ。

4.03.2010

緊張感と半溶けの氷

ボンボンの悪友の誘いにのってしまって、気づけば麻布の薄暗いバーに一人で取り残されていた。水野、お前木曜日ヒマだったら、コンパするけど来ない?メンツが足りなくてさ。この悪友こと、金子とはこういうやりとりをする割には、思い返せばあまり親しい仲ではなかった。何年生だったか、もっと言えば本当に同じ大学に通っていたかも定かじゃなかった。その金子はさんざんお酒を飲んで騒いだ後、突然風のように二人の女の子をつれてどこかへ行ってしまった。きっと僕は、彼の思う役割を無事に果たしたのだろう。

僕がもう少しお金に余裕があって、着ている洋服がせめて穴だらけのジーンズでなかったとしたら、この状況をもう少し上手く乗りきれたのかもしれない。そうだったら、カウンターでハイボールでも頼んで、マスターに話しかけてやれやれ今日はひどい目にあいましたよ、良いお店ですねまた来ますよと、痛々しいながらも笑いを交えて一日を終わらせることができただろう。ただ現実として僕は仕送り頼みの極一般的な学生であり、まさに穴だらけのジーンズをはいている。おそらく、持ち合わせの残金500円も、顔にでているに違いない。

マスターもバーの雰囲気を乱すわけにはいかないから何も言わないが、本当は僕をすぐにでもつまみ出したいと思っているはずだ。よく見ると、タキシードに身を包んでいるがかなり筋肉質だ。