9.30.2010

器用と不器用

帰りのエレベーターで加奈子と二人きりだった。突拍子もなく、力いっぱい抱きしめられた。僕は腕を胴体の横にだらんとぶら下げた状態でいたので、それごと包むように抱かれた。自由が利かないので振り払うことも、抱きかえすこともできなかった。あの瞬間、腕が自由だったとしたらどちらの行動をとっていただろうか、妙なことに僕自身よくわからない。

不器用を武器にできるのは男だけでないと思った。まるで相手の反応を押し殺したいかのように、彼女の腕の力が一向に強まっていった。

腕がしびれてきた。あまりに気持ちが舞い上がっていたため、エレベーターが止まらないことに気づかなかった。ホテルの最上階のバーといってもせいぜい20、30階か。照明が何度かまばたきして、消えた。暗闇の中に残った物音はエレベーターの機械音と、一言もいわない加奈子の息。背筋がゾッとした。

エレベーター、止まらないね。勇気を振り絞って話しかけてみた。彼女の爪がぐいっと背中に食い込む。あいたたた、と反応するとほんの僅か彼女の腕が緩んだ。

9.28.2010

業務連絡:近況

ヒナミケイスケです。

いま、バンド活動の方のレコーディングをしています。この数年間ライブばかりやっていたためか、感覚をつかむのに苦労しています。ステージに立とうが、録音していようが、マイクを向けられることには変わりないですが、やっぱり緊張の種類がまるで違います。

僕自身の理想を言えばレコーディングの過程は創造の場そのものであって、発想を爆発させたり何らかのカタチで体当たりせぬばならないものです。ただ、レコーディングには、曲の一つの完成体を記録する、という意味合いも同じくらい大事だと思います。いずれにも偏り過ぎては良い音はとれないと思います。

現実問題としては僕みたいなヘタッピにとっての薬でもあります。自分の音とヘッドホンを介して向き合わざるをえない状況なので、細かい修正点や悪い癖が山ほど明確になります。つらかったりもしますが、避けては通れない道のような気がします。

精進します。

また来月の中旬、ソロライブです。ちょっとは上手なステージをしたいものです。

9.18.2010

くじけて良し

たかしまあゆむ、29年5ヶ月目にて体験。生涯無駄使いをした夜ベスト10に入るであろう一つの記録を以下のとおりつづることとする。

あたし、歌には自信があるの、と既に酔っぱらったアカネは僕にいう。友達の友達がハワイでプロデューサーをやってて、この間カラオケにいったらものすごくほめてくれたのよ。キャバクラとOLを足して2で割ったようなメイクとタイトな白いワンピースだった。かわいい、と思える男もこの世の中いなくはないかも知れない。百歩譲るとして、その背伸び感は僕にとってコミカルな文脈で微笑ましく思えた。

そっかあ、それはすごいね。模範的な回答、というより、それ以外のサーブレシーブの選択があっただろうか。経緯を話すと長くなる。早い話、僕の意に反してかなり年下のアカネと彼女の友人をカラオケに連れて行くところだった。大人になると断れない誘いがあるという。地下鉄でみた胃薬の広告がそううたっていたのだった。

狭いカラオケバーの席につくと、彼女はすぐさま曲本をパラパラめくりはじめた。最初のジントニックを注文するタイミングでウェイターに華原朋美の最盛期の曲を伝えた。僕自身カラオケバーは初体験で振る舞いに困っているというのに、この娘の図太さときたらまったく頭が上がらない。わざわざ立ち上がって熱唱し、歌詞を暗記してるため画面を見ない。従って、どうしてもこちらとバッチリアイコンタクトをとらざるをえない構図だ。ブリキ人形のように、片手の空中チョップでテンポをきざむ。ギクシャクした空中チョップは終始元気いっぱいだが、サビになると高音が苦しいせいか声が突然聞こえないくらい頼りなくなる。にもかかわらず、120%の自信を持ち続けてアイコンタクトの呪縛から僕は解放されない。いちパフォーマーと考えればすばらしい根性である。

ちなみに、私自身あがり症のためカラオケはどちらかというと苦手である。そして誤解されたくないのは、他人の歌にケチをつけたいのではない。カラオケで上手く歌う必要が一切ないから。私がケチをつけたいのは、アカネそのものである。

閉めに、酔っ払ったチンピラに絡まれる。お兄ちゃん、かわいい子つれてんじゃん(ここに一人いた)、俺とトレードしろや、トレード。ものの一瞬、アカネとウーロン茶のバーターを図ろうと思ったが、さすがに流行りの保護責任らしきものを感じる。面倒なことにならないうち、アカネをつれて店をでた。彼女の友達を、忘れて。

タクシーのなかで、あたし酔っ払いきらいー、と酔っ払っていう。

そうかぁ、そうだよね、と今度は心をこめて彼女にこたえた。

9.11.2010

行くサンシャイン号

日野博士は優れた学者だった。発想豊かで、理論的で、人柄も温厚で研究員の人望も厚かった。ただ、日の届かないところに陰りもあった。日野博士は異常なほど研究熱心で、一時期は数ヶ月もの間家に帰らなくなり、終いには妻に家をでられてしまったのだった。それからの日野博士は日に日に元気がなくなり、やがて研究員に意味なく怒鳴りつけたり八つ当たりするようになってしまった。

人間関係は相当悪くしたが、研究は順調にすすみとうとうタイムマシンのプロトタイプが完成した。日野博士は自らタイムマシンに乗り込んで100年後の未来に行ってきた。帰ってくると、見てきたものをすべて研究員に語った。

政治、流行り、食べ物や生活など、生き急ぐように日野博士はしゃべった。2、3時間話すとさすがに疲れて帰った。一番若い研究員に議事録作成を命じていったのだった。

9.02.2010

薔薇の戦争

泉勤という。来週の土曜日に56才になるが、会社の同僚や妻が教えてくれていなければ、今年の誕生日は忘れて過ごすつもりだった。人に祝ってもらえることは何歳になっても嬉しいことだが、その反面私の年までなると正直なところ照れくさいを通り越して恥ずかしくなってきた。もちろん、相手に悪気はまったくないんだが、どうも私の周囲の人間は祭り好きが多くて、人前だとどうしても騒がしくて、目立つ。

娘の英里子は高校生で17才だ。こいつは今年の春の新学期の開始からまもなく、二週間も家出をした。前からそんな素振りもなかったのだが、後からわかったのは、妻との言い合いがきっかけになったらしい。家族とはいえ、女同士の喧嘩に頭をつっこむことでロクなことは起きない。私は静観することにした。娘が帰ってきても、何について言い合ったかもきかないことにしている。

スイスのごとく長く中立性を保つことは実に難しい。妻も娘もいつもは私を無視するくせに、こういう時に限っていずれも私を見方につけようとする。分からない、仕事で忙しい、寝る食う風呂はいるなど言い訳を使い尽くした後、結果私は無関心だというので二人とも敵にまわしてしまった。