12.31.2011

黒い髪の毛

昔、保育園に通っていた息子が絵を描いてきたことがある。紙の中心に勢い任せで描いたであろう、黒いクレヨンのぐじゃぐじゃ。その上に、緑色の豆二つ。保育士が気を利かせて、絵の端っこに薄く鉛筆で「お父さん」と説明を添えていた。多少の自己暗示を要するが、上下ひっくりかえせば髪の毛と目に見えなくはない。お世辞でも絵の才能は感じさせないが、オヤジを思い浮かべてクレヨンをはしらせたことは素直に嬉しいと思った。

明信が大人になって、本物の画家になるとは思ってもいなかった。妻によれば、私はあの絵をみた当時、明信は絵描き以外になるな、と笑いながら言ってたという。安岡明信、なんて画家は無名だし、私が生きてる間に有名になんかなれそうにない。だが、いまのところ人さまに迷惑かけず食いつないでるようだし、忙しい忙しいとブツブツ言いながら時々顔を出しにくるので、まあよしとしている。昨日、泊まりにきた。

あの保育園時代の絵が大掃除でひょこっと出てきたので、我が家の大先生にみせてやることにした。意外なことに、本人はその絵を覚えていた。ひっくりかえして見せたら、父さんな、これは逆だよ、と直された。

この豆は目じゃないのか、と訪ねたら、父さんの目を緑にするわけないじゃない、という。この豆は、枝豆だよ。わかった?

そうか。

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今年のfelling the titanもこれでお終いです。読んでくれた方、ライブに来てくれた方、ありがとうございました。

色々あった年でしたが、来年が皆様にとって良い年になりますよう、心より祈ってます。良いお年をお迎えください。

ヒナミケイスケより

12.22.2011

いちちゃんねる

島山慶太といいます。

1992年は、僕が小学6年生だった頃です。東久留米市という東京の郊外都市に住んでいて、そこの市立小学校に通っていました。

さすがに何十年もたつと、あの頃の人の顔や出来事の記憶も危うくなってきますが、妙なことに学校のさまざまな風景だけは映像として、しかも割と鮮明に覚えています。教室の窓からの校庭の眺め、保健室の行き方、校門のさみしげな一本の桜。先生の名前も覚えていないのに、この風景の何が、どのような意味を持つのか。自分に呆れてしまいます。

体育館裏の焼却炉には歴代の高学年生の落書きが沢山あります。当時は僕も怖いもの見たさでたまに見に行きましたし、卒業する前は記念に何か書いたと思います。大体の書き込みは誰々が好き、誰々死んじまえ、誰々は誰々が好き、宛もないバカ、あとはうんこやちんこやドラえもん諸々。いま思うに落書きは焼却炉にふさわしく、ちいさな小学生達にはじめて芽生えはじめた、行き場のない感情の捨て場だったのだと思います。

時々実家に戻ると、保管されている昔の作文のような物を見たりもしますが、本当は自分の残した焼却炉の落書きが何だったか知りたくなります。

12.06.2011

行って来ること

ヒナミケイスケです。

先日、奥多摩にある川乗山という山を登りました。富士山や高尾山みたいに誰もが知ってる山ではありませんが、きれいな川や滝がたくさんあり、多くの登山者や沢登りをする人の心に近い山だと思います。

僕も何時かこの山を登っていますが、ルートの途中でいつも通り過ぎる、大きな岩に埋め込まれた慰霊碑があります。1986年に、洞窟にダイビングしにいったまま行方不明になってしまった上智大生の冥福を祈るものです。洞窟ダイビング。僕には危険すぎて一生縁がなさそうなスポーツですが、ただ、いくら気をつけても山遊び全般に伴うリスクについて、慰霊碑を通り過ぎる度に痛感するのでした。

驚いたのは、つい先月この学生が遭難してから実に25年の時間を経て、遺体が発見されたというニュースでした。DNA鑑定の結果はまだ出ていないようですが、ダイビングスーツを着てたことや発見場所などから推測して、当人である可能性が高いと見られているようです。

遺族の心境が果たして、ホッとしたのか、それとも古い傷を呼び戻すことになったのか、両方なのか、想像できないです。ただ、亡くなった学生からしてみれば、ようやく狭くて暗い洞窟から解放され家族のもとに帰れたので、見つかったことは総じてよかったんじゃないかな、と思うのです。

慰霊碑があるくらい有名な話ですので、学生にまつわる都市伝説もあります。道に迷ってしまった登山者が若い青年に案内されて、その青年はいつの間に消えてた、など。心やさしい霊だったようです。

これからあの慰霊碑がどうなるのか分かりませんが、おとといはまだありました。いつもだったら安全祈願で手を合わせていたところでしたが、彼はその場所を既にはなれていたかも知れないので、「祈願される」立場にないんだなぁ、と思いました。素通りするのも何なので、よかったね、と心の中で言っておきました。