3.25.2011

パンと水と永遠のカデンザ

祖父はとなりの街で大きな一軒家に住んでいる。50年間、引っ越しを一度も考えたことがないんだ、と僕によく自慢話をする。ちょうど僕が生まれたころに祖母が亡くなったので、思えば祖父はかなり長いこと一人暮らしをしている。僕はよく、あの家に遊びにいく。

祖父は自称の音楽好きだ。でも、ロックとか、クラシック、とかそういう音楽には興味がないみたいだ。ステレオコンポのような音響機器は持っていない。ならば、何を聴いているかというと、カナリアの歌、であるそうだ。大きな洋風のリビングルームの真ん中は、ソファーではなく、立派な一本足の鳥かごが置いとある。その中に一羽のちいさなカナリアがいる。

僕が、であるそうだ、と言うのは、このカナリアの歌を一度も聴いたことがないからだ。カナリアの生態には詳しくないが、至って元気そうに見える。羽もきれいだし、餌もよく食べる。僕のタイミングが悪いのか、歌う気配がしない。

ヒミコはな、聞き手を選ぶんだよ。悪く思うな。そう言って、祖父は僕をからかう。

おじいちゃんは、飽きないの?聞こえたとしても、いつも同じ歌で。

飽きるもんか。これが、いちばん性に合うんだ。こいつがいなくなったら、もう音楽は諦めるよ。

3.13.2011

地震の翌々日にて

こちらは無事です。連絡下さい。
無事ですか。連絡を。
心配してます。連絡ください。

テレビからしきりなく安否確認の伝言が流れます。知らない人ばかりですが、無責任ながら、その人たちがめぐり合えるといいな、と思う。理不尽な力で引き裂かれているのだから、たくさんの意味のない愛がそんな人たちに向けられることも許されていいと思う。少しの奇跡が起きたっていいじゃないか、と神がいるなら訴えたい。僕にできることは、少ない身内の安否の確認、事態を見守ることと多少の金銭、それ以外は自分がどれだけラッキーだったか新たに自覚して精一杯生きることを心がけるしかない。

同じ国に住んでることがまるで嘘のように、東京は穏やかさを既に取り戻しつつある。事実、僕はいまスタジオに来ていて、レコ発の練習の支度をしている。こんなときに音楽、こんなときだから音楽、誰かがツイッターで書いていたが、正解はないと思う。しばらくは家でおとなしくして、家族と過ごしたり非常食を補充するのも考えごとにふけるのも大正解。もちろん僕も僕なりの正解を実行しているつもり。

洒落たこと何一つ言えない。

災害地の人が一人でも多く助かりますよう。救助にいどむ人も無事でありますよう。権力者に思いやりと知恵と決断力を。死者の冥福を祈る。

3.08.2011

ひねれないというか

ヒナミケイスケです。

先日、山に行きました。登山事態、幸いに何の冒険もせずに終えました。

下山中、あと少しで登山口といったところで、小さなお地蔵さまがいました。何時か通過したことのある場所です。はじめてここを通ったとき、一人の小さなおばあさんがお地蔵さまに手を合わせていたことを思い出しました。今日も登山者が全員無事でありますように、と信じられないくらい大きな声で言って、パン、パンと力強く手を叩きました。あの時は本当にびっくりした。ここにもそれについて何か書いたかも知れません。

あの小さなおばあさんはものすごくデカかった。少し思い出し笑いをして、僕も今回、微力ながら挨拶することにしました。