11.29.2011

大洋ホエールズのこと

神原洋治、56才、無線タクシー運転手。

俺、かれこれ30年ちかくタクシーやってるけど、いままで本当に色んな客を乗せてきたよ。有名人だ芸能人だ、政界だ財界だ、人間国宝だ犯罪者だ、一通りは見てきたつもりでいる。

死人だって、二度や三度は乗せたことがある。ようするに、幽霊だ。怖い思いするわ、当然金は払ってもらえないわで一つも良いことないんだな、これが。連中は大抵、生前の家に帰りたがるんだが途中で死んでることに気づいてパッと消える。騒がしいったらありゃしない。俺たち運転手は自分の目で確認して、自分でドアの開け閉めもしちゃうもんだからあらかじめ死人と人間を見分けることができないんだ。もっとも、問題になるほどしょっちゅうある話でもないけどな。

幽霊がタクシーで家帰るなんて考えてみればバカげた話なんだが、まあ、きっかけがないと気づかないのか、それともいままで何度も気づかされていてその度忘れてるのか、いずれかだと思うな。

今までの経験だと、幽霊が車に乗った瞬間、見た目は普通のおじさんでもイヤな予感がする。どんなににこやかに、運転手さん酔っ払った!横浜まで!て言われても、背筋に寒気が走る。ヤバいもん乗せちまった、とにかく一刻も早く、おろさなきゃ、と自然に思うんだ。

この、横浜行きのおじさんは特におっかなかった。車を出すと、陽気な態度が一遍して、借りてきた猫みたいに小さくまとまって一言も喋らなくなる。リアミラーを覗くと必ず、後部座席のおじさんと目がバッチリ合ってしまう。こっちも怖かったが、おじさんも怖がってる目してたな。

高速に乗ると、やつも薄々なにかおかしいと感じたみたいで、気を紛らわすために俺と会話しようとする。今年のホエールズはペナントいけるかね、と。素直に答えた俺が悪かった。お客さん、もうあの球団はベイスターズに改名して大分たつんだから、ホエールズなんて呼ぶ人はいないよ?って。

うあー!!うーわー!!

俺の一言が引き金になったようで、幽霊は破裂するのをふさぐように両手で頭を抱え、ひたすら叫んだ。10分、いや20分間は叫んでいただろうか。高速の路肩に寄せようと思ったが、逆に止まったら何をされるか分からなかったので、結局車を走らせ続けるしかなかった。横目からバックミラーが視野に入る。血走った目が、必死に俺の姿を確認しようとしている。こんな状況で下らない話をすると、幽霊はいくら叫んでも、身体がないので疲れないものか、と関心したもんだ。

高速を降りると、幽霊は叫ぶのを止めて、窓越しの生前の街並みを静かに眺めるようになった。二度目か三度目バックミラーを確認したときにはもう姿を消していた。

あのおじさんの魂が成仏する手助けをしたのか、邪魔してしまったのか、俺には分からないや。

11.27.2011

海のように広く

林海人の家は海の近くにあるが、生い立ちは都会の人間だ。両親は東京で生まれ育ち、海人が八才になるまで暮らしたマンションも墨田区だった。ある日、両親はまるで大事な約束を思い出したかのように、ことは慌ただしく一家は茅ヶ崎に引っ越したのだった。父は仕事を辞めたようだったし、親戚も知り合いもいない、何の縁もない街だった。

9才にもなれば、少しは大人を疑う知恵は身についている。例えば、海人はこのころから自分に与えられた名前の、苗字である「林」に対するすわりの悪さを感じるようになった。ママ、僕の名前は海の人だけど、うちは林の家族だよ?母親の説明は、パパが海のように広い心を持って育ってほしいから海人になったのよ、という。あまり反論する余地のないことで、海人はふぅん、と頷いたが、心のなかでは林も山も宇宙も空だって広いじゃんか、と思っていた。

僕の両親は、少し変だ。ボクは変な人たちの子供だから、ボクも変なのか?

幸い、新しい学校ではすぐ友達ができたし、名前についてからかわれることもあまりなかった。クラスメートに同名の林万作という男の子がいたので、みんなは混乱しないように万作、海人と下の名前だけを呼ぶようになった。そのまま、高校を卒業するまで海人は友達と楽しく茅ヶ崎で過ごした。

東京の大学に通い始めてしばらくたったが、海人は未だに当時の引っ越しをした理由を親から聞かされていない。

11.21.2011

秋の風がふく夜

密集した住宅街に住んでいる。ここらへんは軒並み古い建物ばかり。近所の生活音がよく耳に入る。朝は西側の窓からお隣の洗濯機が聞こえる。風の強い夜は、北側からなにやら錆びたブランコのような音。路上に面した東側から、飲み会から帰る若者達の声。時折突風がふくと、ミシミシ、と、建物がきしむ音がする。

風呂上がりに外に出る悪いクセがついてしまった。遠くにいくわけでない。パジャマの上からコートを羽織って、百メートルほどはなれたコンビニに向かった。秋の匂いがする。パジャマのズボンの裾から伝わってくる冷たい空気か心地いい。

人気の少ないコンビニで若い従業員が一人棚の整理、年配のおじいさんがレジを担当。雑誌の棚を通りすぎ、菓子パンのコーナーで井村屋のジャンボむしケーキプレーンを二つ手に取る。最近の朝飯はこいつとコーヒーにすることが多い。あと、お気に入りの飲むヨーグルトのブルーベリー味。なんとなく、オハヨーよりブルガリアの方が美味しい気がする。

帰って、鍵をしめ、台所とリビングを消灯。ベッドに潜り込む。北側の窓を開けてタバコを吸う。さっき書いた、錆びたブランコの音を聞く。携帯電話の目覚ましを7時に設定する。充電器につなげる前に、なにか書いておくことにする。

11.13.2011

いま、新宿のデパートにて

ヒナミケイスケです。

ちょっと悲しい事態に直面しています。長年履いてきた、革靴を捨てることになったのです。よく見ると穴やヒビ割れがひどく、靴底からも水が侵入放題です。いま、デパートの修理屋さんにこの子、なんとかなりませんか、と相談したばかりですが、無理だと言われてしまいました。

まあ、まさかこの状態から火の鳥のように復活するとは思っていなかったものの、長年の相棒との別れはつらいものです。今までこの靴が僕の地味で目立たないコーディネートを支えてくれていました。我慢して履き続けることもできますが、控えめどころかボロすぎて目立つことになる。

いまデパートのエスカレーターの側のベンチで休憩しています。となりにじいさんが寝てます。靴を入れた紙袋を膝に乗せています。僕は、この紙袋ごとどこかのゴミ箱に捨ててしまうのでしょうか。

さようなら、さようなら。