11.30.2012

こころの持ちよう

小野将太、67才。
一言でいえば気の毒な男である。

激動の会社生活から解放され、これからゆったりと老後を楽しもうと思っていた矢先に妻に先立たれてしまった。小野氏は深い悲しみに襲われた。食欲は失せ、夜も眠れない。身体も日に日に痩せていった。このままではあまりにもかわいそうなので、親戚一同は力ずくで小野氏を精神科の先生に診断してもらうことにしたのだった。

一通りの病状を聞かされた精神科の安岡輝彦先生。そうですか、それはそれは、辛かったですね、という。鬱ですな、と続ける。とりあえず今日は痛みどめを出しておくので、一日一回食後に飲んでおいて来週またいらしてください、と。

小野氏は聞き直した。
痛みどめ、ですか?

「そう、痛みどめ。心の痛みのね。軽いやつだからあまり副作用もないからご安心を。」

「そんな薬があるんですか。」

安岡氏は説明した。

「新薬です。現代人はあらゆる痛みに弱くなってきたからね。注意点はあくまでただの鎮痛剤なので、病気を治す薬じゃない。痛みをおさえこんでるだけなので、完治するには小野さん自身で生きる力を見い出すことが大事ですからね。なるべくなら新しい趣味でも見つけることをすすめるがね。」

小野氏は指示通り薬を飲むことにした。本人曰く、大分楽になったらしいが。

11.13.2012

名前と住所

私の名前は橋本雄介だと思う。

苗字の橋本は確かなのだが、下の名前が雄介か陽介だったか、記憶が曖昧だ。私はこの五年間一人で山にこもっていて、日常生活では名前どころかほとんど言葉を発していないのが原因だと考える。

ここ奥多摩には毎日のように観光客で賑わう山もあれば、全く人を寄せ付けない山もある。遠い地方の電力会社が所有していてまったく管理の行き届いてない山、大昔に大勢の侍が神隠しにあったいわく付きの山など色々ある。私の選んだ山は呪いがかかってるとの噂で、行方不明者もでてることからなおタチ悪い。好都合なもので、一度も人と会ったことがない。いっそのこと、呪いを補強してやろうとあちこちに藁人形でもくぎ打ちしようと思ったが、その必要もなさそうなのでやめた。

暮らしは快適だ。主な食物は木の実で、ドライフルーツやジャムなど保存食もできる。芋のようなものもあるし、ごくたまに狩りをして肉も食べている。つらいのは冬ごもりだ。一月と二月は寒さをしのぐためほとんど洞窟をでないし、毎日同じ保存食ばかりで少し飽きてしまう。そんなこともあるが、おおむね気に入っている。

先日、私の住まいの洞窟の奥を探索していたら、サバ缶のゴミを見つけた。錆び具合とラベルを見た限りかなり古い。賞味期限が平成11年5月。更に洞窟の奥へ進むと、明らかにここに誰かが生活していた跡が次々と見つかる。割り箸、熊鈴、毛布の残骸。

物から推測すると命をたつ意思は感じられないので、どこかで見切りをつけて下山したのか、それとも違う山に引っ越したのかも知れない。

勝手ながら、時代を超えて同じ山を選んだかつての住民をとても身近に感じた。いまごろどこで暮らしているのだろうか。家族はいたのか。またここに戻ってきたくなっているのか、それともこの山の生活は既に忘れているだろうか。