6.13.2015

思いの丈

父は蕎麦屋の三代目だった。

これといった取り柄のない子供だった私にとっては数少ない自慢の一つだった。いや、言いふらすことはなかったので、自慢は言い過ぎかもしれない。スポーツや勉強が平凡でも、よっちゃんは蕎麦屋の子ということでアイデンティティというか、物心ついたころから何も役にたたないが地位のようなものが確立されていた。受験に失敗したとき、周りからはお咎めもなければ、面倒な気遣いもなかった。なにせよっちゃんは蕎麦屋の子だったのだ。逆に働くこともあった。就職が決まったとき、大した会社じゃなかったのに、親戚はえらく感心した。ヨシ子は向上心がある、そこらの蕎麦屋の子とは違うぞ、と。

一方の父はというと、周りが騒げど私に店を継がせる気なんて毛頭なかったと思う。蕎麦のうちかたなんて教わったことないし、家族で蕎麦を食べるのも基本的に大晦日だけだった。会話もほとんど蕎麦の話題に触れないので、この人の蕎麦に対する思いの丈は何度も疑ったことがあるほどだ。

こないだ誕生日でも祝ってやろうと思い、久しぶりに帰省してきた。身体はしっかりしてるが、もう立派なじいさんだ。いまだに手打ちにこだわって毎朝早起きしてるようだが、腰が不安だという。

スパゲッティ屋にでも変えるか、と相談されて悲しくなった。